追熟読書会: 選択理論
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グラッサー博士の選択理論(13)自由への道


ウイリアム・グラッサー著

選択理論の基本の書
(応用編








第三部      応用編

第13      自由への道


自分の人生で外的コントロール心理学を選択理論に置き換えるなら、どれほど多くの自由を持つことになるのだろうか。この章ではグラッサー博士が「選択理論の十の原理」と呼んでいるものが紹介されている。


(1)私たちがコントロールできる行動は唯一自分の行動だけである。これを意識し始めると私達は自分自身の自由を直ちに再定義し始め、多くの場合、意識している以上の多くの自由を持っていることに気がつく。自分の人生をコントロールすることはいつでも可能であるが、この意味で私たちは絶えず自由が自分にとってどれほど重要であるかを決めなければならない。

 

(2)私たちが与えることができるもの、他の人から受け取るものはすべて、情報である。その情報をどう処理するかはそれぞれの選択である。教師は生徒に情報を与えることができ、この情報を使う手助けができる。しかし教師は生徒に代わって勉強することはできない。

 

(3)長期にわたる全ての心理的問題は人間関係の問題である。惨めさの原因は常に望み通りにいかない重要な人間関係に対処する方法にある。私たちには、この問題を解決することができるという保証はない。しかし、私たちが問題に直面しなければ決して解決しないことは保証できる。


 (4)人間関係を探るのに、遠くさかのぼる必要はない。問題は過去のものでも将来のものでもなく、常に現在の人間関係である。私たちは多くのものから自由になることができるが、完全に自由な選択というのは不可能である。他の人の願望を常に考慮しなければならない。解決のサークルは自分たちの自由を再定義するときに、選択理論を知っている2人が使える良い方法である。

 

(5)過去に起こった苦痛は、現在の人間関係を改善することに貢献できない。満足していた過去の部分に再び戻ることは良いことであるが、不幸はそこに残しておくことだ。私たちが取り組むことは現在の人間関係を正すことである。

 

(6)私たちは遺伝子に組み込まれた「生存」「愛と所属」「力」「自由」「楽しみ」の五つの欲求によって駆り立てられている。これらの欲求を満たさなければならない。引き延ばすことができても拒否はできない。私たちは他人を助けることはできるが、他人の欲求を満たすことはできない。自分の欲求しか満たせない。他人の欲求を満たそうとすれば、不可能なことに取り組み、身動きができなくなる。身動きができなくなると私たちは自由を失う。

 

(7)私たちは、上質世界に入っているイメージ写真を満足させることによってのみ、こうした欲求を満たすことができる。私たちの知っているすべての中で上質世界に選択して入れるものが最も重要である。満足させることができないイメージ写真を上質世界に入れるなら、自由を放棄することになる。

 

(8)私たちが誕生して、死を迎えるまでにできることは全て行動することである。あらゆる行動は全行動で四つの分離できない構成要素、「行為」「思考」「感情」「生理反応」によって成り立っている。


 (9)全ての全行動は、動詞、あるいは不定詞や動名詞によって表現される。「落ち込む選択をしている」とか、「落ち込み行動をしている」と言うや否や、私たちはそれが一つの選択であることに気がつき、個人の自由を得たことになる。ここに、こうした選択を動詞て表現することがとても重要な理由がある。


 (10)全ての全行動は、選択されたものであるが、私たちが直接コントロールできる要素は、行為と思考だけである。しかしながら、自分の感情と生理反応のコントロールは、間接的に私たちが行為と思考をどのように選択するかによって行っている。このように理解することは、私たちを自由にして、コントロールできないものを避けるようにさせる。


 

間関係の中で、自分の得たいと思っている自由が得られないような感じがするときは、選択理論の原理「あなたは自分の人生だけをコントロールできる」を受け入れようとしていないからだ。しかし選択理論は一度学べば使えるようになる。使えるようになると自分が近づきたいと思う人々に自由に接近することができる。自由を使うために自由を得ることが本書の目的である。

 

◆以上で「グラッサー博士の選択理論」のまとめは終了する。およそ2ヶ月をかけて読んできたが難解な部分も多かった。ブログでまとめをすると思い立たなければ、各章ごとにまとめるというルールを作らなければ、今まで同様、自分に都合よく飛ばし読みをしていたと思う。いまは達成感を感じている。しかしここで終わったのでは本来の目標に到達したとは言い難い。何度もまた読み返していく中で理解が変化していく可能性もある。まだまだスタート地点にいることに変わりはないが、とりあえずは読了とする。

グラッサー博士の選択理論(12)地域社会への応用

 


ウイリアム・グラッサー著

選択理論の基本の書
(応用編








第三部      応用編

第12      地域社会への応用


洪水、地震などの害を被ったときにはいつでも支援の輪が広がる。このとき上質世界にあるのは彼らを助けることだけである。見知らぬ人には何も期待しないので外的コントロールが関わってくることはほとんどない。しかし私たちが妻、夫、子ども、親、生徒、従業員とともにいるときには、外的コントロールが私たちのやり方となる。

外的コントロールから選択理論に移行した社会になれば、どれほど住みやすい社会になることだろうか。グラッサー博士はクオリティ・コミュニティという考えを抱くようになった。しかし、コミュニティ全体にどのようにして個人的な生き方を変えるように説得できるのだろうか。この章は、クオリティ・コミュニティのビジョンとコミュニティの始め方についての説明である。

 

 

『ビジョンの歴史』

  •  選択理論をベースにしたクオリティ・コミュニティのビジョンは1960年代の初期に始まっていた。1956年から1967年の間、カリフォルニア青少年局によって経営されている更生施設で、グラッサー博士は精神科医をしていた。非行青年女子を収容していたこの施設で実行していたことは、「これからしようとすることは、少女たちとの距離を近づけるか、それとも引き離すか」という理論が中心であった。
  •  この施設では少女たちは個室を与えられ鍵を持っていたが、夜間は安全のために外から鍵をかけられていた。朝になるとドアは解錠され寮母が1日を始めるのに必要な準備をした。
  • 入所したばかりのトレイシーという名前の少女がいた。いかにして彼女は敵意を捨てたのか。トレイシーは部屋の片付けもせずベッドメイキングもしないでベッドに座っていた。「何かしてほしいことあるの」と寮母は尋ねたが、たちまち呪いや脅しの言葉を浴びせられた。ここが重大なわかれ目である。規則では皆、自分のベッドを綺麗にすることになっている。トレイシーがベッドを綺麗にすることは重要である。しかしそのプロセスの中で、すでに今まで疎外されてきたこの少女から私たちをさらに引き離すようなことをしないことが最も重要である。寮母は「あなたがどうしているか心配している女の子の1人に、ここに来てもらってベッドを綺麗にするお手伝いをしてもらうというのはどうかしら」と言った。トレイシーの敵意は既に収まりかけていた。寮母が彼女の呪いにも、脅迫にも関心を払わなかったからである。寮母が提供していたものは全て援助であった。寮母は自分でベッドメイキングをすることもしなかった。多くの学校や組織では外的コントロールを使って状況をもっと悪くしているが、それよりもこの方がはるかに効果的である。

 

『クオリティ・コミュニティはどんなものか』

  •  私たちは外的コントロール心理学を長い間使って生活している。多くの人が選択理論を学び、解決のサークルを実践すると意見の不一致から暴力にエスカレートするのを未然に防ぐことができる。あらゆる暴力に対処する鍵は、被害が大きくなる前に初期介入をすることである。この懲罰的でない、教育的な介入は理想である。
  • クオリティ・コミュニティで、子どもが家庭で不当な扱いを受けていることがわかると、この情報はコミュニティの危機と考えられる。初期援助によって大きな苦しみから救われる。コミュニティで専門家を含めたかなりの数の人々が選択理論を学び、共通の言語で話し合いができるようになれば、このようなことがわかった段階で、彼らに対処する取り組みを始めることができる。
  • 今、コミュニティがしていることは罰と無視であるが、どちらも効果はない。そして事態は悪化している。医療費が少なくなることも、選択理論を使い始めると次第に明らかになってくる。警察官と刑務所員の全員が選択理論を学ぶ機会を提供することは重要である。裁判官は新しい裁判方法があることに気づき、服役囚あるいは少年院に入っている人は、グループディスカッションに加わる機会が提供される可能性もある。


『始めること-最初のステップ』

  •  最初のグループに参加する人々はとても重要である。コミュニティでいつも人とふれ合っている人から始めるのが良い方法である。定期的に人が集まる場所ならどこでもこのプロセスを説明できる。
  • 最初のグループは誰かと一緒に本書を読み、その人と話し合って進んでいくのが賢明である。 
  • 最初の企画会議には少なくとも100人を集める。本書を読んだ人は誰でもこの最初の会合に出席することを歓迎されるべきである。

 ※会合の初期メンバーとして招待すべき人々のリストが掲載されているので、興味のある方は本書を読んでいただきたい。

 

『読者のグループ-継続教育の段階』

  • コミュニティの残りの人々に本を読んでもらう良い方法は、最初の会合に出席した人々の中からボランティアを募って読者のグループを作ることである。このような人々がコミュニティで尊敬されていればいるほど、彼らのプログラムへの貢献は大きい。
  • 最初に読者のグループをリードする人たちは専門家である必要はない。彼らに必要なのはユーモアのセンスと人間関係の技術である。このような能力は、引退した人々の中に見つけられるであろう。
  •  最初の企画会議に参加した100人の中から10人のグループリーダーを選び、この10人が将来リーダーになることに興味を持った10人に教えれば良いスタートが切れる。

  

『実践段階』

  •  主な実践はいろいろな読者のグループを作り、各自がそれぞれの人生で選択理論を適用することを学ぶことである。その後で特別な読者のグループが構成される。
  • 実践のその他の部分は援助の専門家を紹介することになる。どこのコミュニティであれこのプログラムを実践する経費はわずかである。コミュニティが費やすお金は節約されるだけでなく人間の不幸が減少することによって、何十倍にもなって返ってくる。

◆第12章を再読して感じたこと
  • 何かを始める、ゼロイチはいつも一番難しい。それはグラッサー博士といえども同じである。この「まとめ」では割愛したが、ニューヨーク州コーニング市で行った講演から始まったコミュニティについても書かれている。熱意のこもったコーニング市への提案の手紙も掲載されている。コーニングの人々は警戒しながらも燃えていた。彼らは完全に理解していないことに時間とお金をかけることが不安だった。まさに何かを始めるときの戸惑いはこのようなものだろうと思う。
  • グラッサー博士が本書の中で繰り返し言っているのは、本を読んでほしいということである。これは「グラッサー博士の選択理論」のことである。もうすぐ出版される本という言い方で説明している部分もある。執筆と並行して行われたコミュニティへの挑戦である。本当に大変なチャレンジだったと考えられる。
  • 更生施設での寮母さんのエピソードは非常に参考になる内容だと感じた。大きな声でクレームを言うお客さまに対応するテクニックを書いた本なども最近は人気のようだ。しかし私はテクニックよりもいつもと同じ対応をすることのほうが大切なような気がしている。(この当たり前のことが大変難しいのは事実だが)相手が大きな声を出したからといって、こちらも大きな声を出していいわけではない。こちらに非があれば謝り、できることは速やかに処理し、できないことはできないと言う。寮母さんの立場ではつい言い過ぎてしまいがちだが、ここで創造性を働かせ提案をしている点は注目すべきところだと感じた。




グラッサー博士の選択理論(11)職場での選択理論

 


ウイリアム・グラッサー著

選択理論の基本の書
(実践編








第二部      実践編

第11      職場での選択理論


私たちのほとんどにとって、仕事はアイデンティティの要素である。初対面のとき、最初の質問はしばしば何をなさっていますかである。大したことをしていなかったら、これはとても苦痛をもたらす質問である。仕事そのもので自分が不幸だと思う人は少ないが、上司や同僚との関係から感じる不幸が主な原因となっている。

一般的に企業はボス(上司)が、自分を怖い存在だと印象づけることで従業員を管理している。これをボス・マネジメントという。この場合の具体的な弊害は、マネジメントされる人が上司を上質世界に入れないことである。ボス・マネジメントから職場を守ろうとするなら、トップにいる人がその悪影響に気づき、選択理論を基盤としたリード・マネジメントに切り替える必要がある。リード・マネジャーは、従業員の上質世界に上司、仕事、顧客、そして私的企業では株主を入れてもらうことの重要性を知っている。

リード・マネジメントとボス・マネジメントとの関係は、選択理論と外的コントロール心理学との関係と同じである。

 

『ボス・マネジメントの4つの要素』

  1. 全てのレベルでボスが仕事とその仕事の基準を決定する。従業員の意見を聞くことはめったにない。
  2. 大抵ボスは従業員に仕事のやり方を話すだけで見せることをしない。
  3. ボス、もしくはボスが命じた人が仕事を検査し評価する。従業員はこの評価に関わらないので、ほとんどの従業員は最低限度の仕事しかしない。普通以上の仕事をしている従業員は仲間の従業員から除け者にされる。仕事そのものが従業員の上質世界に入っていない。
  4. ボスに対しての従業員の抵抗は、常に様々な方法で試みられ、それが品質を落とすことになる。マネジャーと従業員は敵対関係となり恐怖が支配する。

 

『リード・マネジメントの4つの要素』

  1. リード・マネジャーは、会社が成功するために必要な仕事の質と経費について絶えず正直な話し合いを全従業員にしてもらう。
  2. リード・マネジャーあるいはその役割を任された人は、マネジャーが期待しているものが従業員に正確にわかるように、仕事のやり方の規範を示す。従業員は仕事がどのようにしたら改善できるかの考えを述べるように励まされる。このようにしてマネジャーは、従業員が自分の仕事に対してコントロールできるものが多くなるようにする。
  3. 従業員は、高品質な仕事がどんなものかを一番よく知っているし、できるだけ経費をかけないで高品質なものを生み出す方法を知っている。従業員がこのような安心感を抱いていると品質は向上し経費は低くなる。
  4. リード・マネジャーは上質の本質は絶えざる改善であることを教える。マネジャーの仕事は従業員に道具、訓練、そして仕事のしやすい友好的な場を提供することによって、改善を促進することである。

『ボス・マネジメントからリード・マネジメントへ』

  • 今日のマネジメントは露骨なボス的対応をしない。しかしトップ・マネジメントはボス・マネジメントであるという固定観念がほとんどの従業員にある。そこでトップ・マネジャー自身がリード・マネジメントを採用する何らかの明白なステップを踏み出さなければ、組織的にボス・マネジメントが浸透したままである。押しつけることしか知らない下級マネジャーの頭の中にこの事実が定着するには何年もかかる。
  • 実際に下級マネジャーはボスのように押しつける傾向が最も強く、組織がリード・マネジメントに変化しようとしているときに、彼らに変わってもらうのが一番困難である。1人のマネジャーと2人の従業員がいる小さな会社では、年配の従業員がボスのように振舞って一方の従業員を強制する傾向がある。
  • ボス・マネジメントが破壊的なのは、それが個人に焦点を合わせ、お互いを対抗させるからである。リード・マネジメントが成功するのは「私たちはあなたのことを気にかけていますよ」というメッセージが中心にあるからである。

 

『貪欲について』

  • 自分たちの貪欲さを守るために、たくさんの物を欲しがる人々は「それに値する」という論法を使い、自分たちの会社が競争に勝っているのも、自分たちの技術のおかげだと主張する。このような技術がなかったら、今よりも雇用の保証は少なかったであろう。この議論を間違いと決めつけることはできない。しかし、不幸なことに貪欲の主たる原因は、人が何かに値するということとあまり関係はない。それは強い「力の欲求」の産物である。
  • 他人がどんなに苦しもうが欲求が強ければ強いだけ、それを満たしたときの気分は良くなる。このようなタイプの欲求の持ち主は、もっと欲しいという欲求を抑えることをしない、成功したほとんどの人は力の欲求とともに、愛と所属の欲求も強い。彼らは自分たちの成功を交渉相手や自分たちのために働く人々との良い人間関係の上に築き上げた。

 

『不熱心』

  • 不熱心は目に見えない巨大な経費である。従業員がボス的な扱いを受ければ受けるほど、要求は全て押し付けであると受け止めて不熱心になる。
  • ボス・マネジメントが行われているところでは、すぐに罰を受けることになる。これが一度でも起これば、何もしない、何も言わないのが安全だということが浸透していく。ボスに問題の解決を考えさせればいい。そのための給料をもらっているのだから。これが従業員の考え方になる。

 

 

『解決のサークル』

  • マネジャーがどれほどリード・マネジャーになろうとしても、通常の人事考課を部下に対して行えばボス・マネジャーの役割を負わされることになる。マネジャーが年間を通してこれまでやってきたことをぶち壊してしまう。このような評価はほとんどのマネジャーと同様、全従業員が嫌がっている。
  • 必要なことは、会社が従業員各自に皆でどのようにしたら会社を良くすることができるか、話し合ってもらうことである。業績評価に関わる話し合いは、結婚や家族の解決のサークルと同じようなもので、「職場の解決のサークル」と呼ぶことができる。
  • リード・マネジメントが行われている会社では、マネジャーは従業員を呼んで、次のように言うだろう。「職場の状況を改善するのに、あなたにどんなことができそうか。そして私が力になれるとしたら私にどんなことができそうか話してくれませんか。何か大きなことを考えつくのが重要なのではなく、あなたが何を求めているか。そのために私がどのように力になれるのか、そんなことをお互いに話し合うときにしたいのです」

 

※職場で起きる障害とそれに伴う心理的な苦情への対処法、補償について実際にグラッサー博士がかかわった事例が書かれているが、日本の制度と同じとはいえないため割愛する。

 


◆第11章を再読して感じたこと

  • リード・マネジメントに関しては、様々な書物が出ているが、グラッサー博士の説明は非常に簡潔で鋭いと感じた。日本人向けに書かれたものとはまた違った鋭さともいえるが、共感できる部分が多かった。
  • 私は10年ほど事務の短期派遣を繰り返していたことがある。2~3ヶ月の仕事が多かったが一番長い仕事が2年だった。コールセンターから役所まで10年間で20社ほどの仕事をした。私は事務所の一隅でPCに向かい、電話を受け、その会社の雰囲気を感じながら、社員さん同士の会話を聞いていた。その当時私が感じていてことがそのままこの章に書かれていると言ってもいいのである。単発の仕事は製品のリコールや社員さんの休職など何かしらトラブルが起きているからこそなのである。そんなトラブルの中で社員さん同士の会話が少ない静かな職場が多かった。この10年で私は大きな変化を遂げたと自分でも感じている。家事と仕事を両立するために選択した働き方だったが、同じ会社でずっと働いていたのでは得られない貴重な体験だったと思う。
  • 特に以下の3つはひそかに私がいつも感じていたことである。
・普通以上の仕事をしている従業員は仲間の従業員から除け者にされる
・何もしない、何も言わないのが安全だ
・年配の従業員がボスのように振舞って一方の従業員を強制する傾向がある

グラッサー博士の選択理論(10)最高の学校

 




ウイリアム・グラッサー著

選択理論の基本の書
(実践編









第二部      実践編

第10      最高の学校


                                       

  • グラッサー博士は1990年代のはじめ、高校関係者に講演をするためにピッツバーグを訪れた。博士は講演の前夜、50人の生徒を集めて彼らの学校でどれくらいの数の生徒が能力以下の勉強しかしていないと思うか推測してほしいと頼んだ。彼らの推測は20から45%であった。   

「成績の良くない生徒は能力がなくて勉強できないのか」という問いに彼らは「最も有能な生徒の何人かは大した勉強をしていない。なぜなら、彼らは中学校で勉強が嫌になっているからだ」と言った。

この低い数字は強制によるもの、ボスマネジメントによるものだと私が主張したときに誰もそれに反対を述べなかった。

  • ボスは強制と罰を使うので失敗する。 そしてリーダーは成功する。それは強制と罰を使わず、リーダーに従うことが自分の利益になると生徒にわからせるからである。リーダーが好きだから従うようになる。
  • ミシガン州アルマで、クオリティスクールについて講演をしていたときのこと。

「学校で君たちはクオリティと言える勉強に取り組んでいるか」

この質問に、1人の生徒が立ち上がり話を始めた。「僕は成績は全部Aだったり、少しBがあったり、Cは一つもありません。僕も親も先生も満足しています。でも、僕は言いたいのです。教科の学習で今まで一度も自分でベストを尽くしたことはありません」

グラッサー博士は、彼に質問をした。「教室でしなかったとしたら学校のどこでベストを尽くすのかね」

直ちに彼は答えた。「バスケットボールのチームです。そこでは常にベストを尽くしています」 

  • ほとんどの学校で最善の取り組みは課外活動でなされている。これには2つの理由がある。

1つは、生徒が部活の教師と、活動そのものを自分の上質世界に入れているからである。

2つ目の理由は、部活にはスクーリング(強制学習)がないからである。        

 

 

『スクーリング』                                              

多くの生徒が酷い成績をとり、良い生徒ですらベストを尽くしていない主な理由は、外的コントロール心理学に従い「学校で教えられていることは正しく、勉強しない生徒は罰するべきである」という考え方を頑なに持ち続けているからである。この破壊的な間違った考え方をスクーリング(強制学習)という。                                                

  • スクーリングには2つの定義がある。

1.役に立たない知識を生徒に身につけさせ、現実世界では生徒を含む誰にとっても価値のない事実を暗記させようとすること。                                           

2.現実世界では役立つかもしれないか、全員に無理矢理学ばせるほどの価値のない知識を強制的に身に付けさせようとすること。                                        

  • 人に強制的に学ばせようとして成功したためしがないにもかかわらず、それが正しいと信じて強制をやめない。学校で多くの生徒が反抗しているのは、このスクーリングに対してである。スクーリングを排除するつもりなら、教育は知識の習得であると定義するのを止めなければならない                                          
  • 教育は知識の習得ではない。教育は知識を使うことと定義するのが最善である。何かを使うためには知らなければならないことは確かだ。しかし知っているだけではほとんど役に立たない。                                        
  • 教育には努力する価値がある。教育は改善する価値がある。自分の能力を人に見せることができるのは、知識を使うときだ。バスケットボールのチームやほとんどの課外活動で生徒が大変な努力をするのは、学んだことを使えるだけでなく、改善することもできるからだ。学ぶことに伴う本当の喜びはそれを改善することだ。
  • 生徒が「すごい先生」というときは、その先生が単なる知識の習得ではなく、使える知識、そして改善できる知識を教えたということである。このような教師は生徒に考えることを要求する、スクーリングが行われる学校ではほとんどの生徒にとって考えることは難しいことと思われている。しかし考えることは役立つとわかれば、生徒は自分たちの教師を尊敬し進んで勉強するようになる。                                                 

 

『ステイシーズ』                                    

ステイシーズとは、上質世界から勉強と教師を剥がし取り始めた生徒のことである。

  • たいてい家庭に教育に対する理解がない。そして彼らは十分な愛情や注目を受けることも滅多にない。最低限の勉強をするためには、彼らは学校で理解と注目を得る必要がある。彼らは家庭で必要なものが得られていないので、低学年で遭遇する強制、スクーリング、罰に対して非常に傷つきやすく、上質世界から勉強、教師そして最終的には学校自体を剥ぎ取ってしまうことで抵抗するようになる。                                        
  • 多くの子供は幼稚園と小学校一年生のときには大変うまくやっている。しかし小学校2年生になるまでには、教師は強制し始め、失敗の脅しが加わる。楽しく取り組んでいたものが邪魔されるようになる。          
  • ステイシーズは授業中に散漫になる。お喋りをし真面目に勉強する子供たちに無理やり関わろうとし、注目が得られないと妨害しようとする。彼らは他の生徒以上に学校でもっと愛と忍耐を求めている。しかし、教師を悩まし、他の生徒の注目を無理矢理に引こうとし始めた途端、得たいと思っていたものが得られなくなる。 
  • 中学校になるとスクーリングが増え、もっと強制が強くなり、教師が生徒に個人的に目をかける時間も少なくなる。中学校のステイシーズは成績は悪く、しばしば授業を休む。彼らはすぐに基盤を失い始め、高校への準備はできてない可能性が高い。彼らは現在の画一的な教育システムでは成功しない。
  • 現在の優れた専門学校は高校3年生しか取らない。しかしほとんどのステイシーズにとってこれは遅すぎるのだ。職業教育についてのビジョンを広げ中学校のレベルまで下ろした徒弟制度のプログラムを拡大する必要がある。明らかなことはステイシーズが職業訓練校では、しばしば勉強に対する興味を新たにすることである。職業訓練教育は大学に直結してはいないが、もっと先に進みたいと思い始めた生徒に対して門戸が開いていることを生徒たちは理解すべきである。
  • 貧しい地域ではステイシーズが全就学人口の多くを占めている。今のところ誰一人として増大するステイシーズをどうしたら良いかわかっていないが、ステイシーズ自身が問題なのではない。変える必要のあるものはシステムである。                                                 

この後、学習障害、ADHD、シュワブ中学校での実践、ハンティントン・ウッズ校での試みなど具体的な事例が続いている。クオリティスクールの説明や実際に行われている取り組みなども多く書かれているので、興味のある方はぜひ本書を手にとっていただきたい。


 ◆第10章を再読して感じたこと

  • この章も非常に深い内容である。具体的にグラッサー博士と奥さまがクオリティスクールの実現のために尽力されたことが書かれている。
  • 我が家は子どもが成長して学校とのかかわりはなくなっているが、教育の概念と考えると社会人でも参考になる内容だと思う。本章のポイントはスクーリング(強制学習)とステイシーズの2つである。強制、やらされている感じはサラリーマンであれば誰もが一度は体験していることではないかと思う。また興味が持てず、あきらかに上質世界から剥がれそうになっている会社で目標を失っている社員も存在するだろう。非常に興味深い内容である。
  • 読みながら娘の大学受験のことを思い出した。四年制の福祉系私立大学を目指していた娘には精神保健福祉士になるという夢があった。ところが担任教師は国立大学を受験することを強く勧めてきた。たしかに国立大学に行って心理士になる道もあるが、娘の目指しているものとは違っていた。何度も説明を繰り返しても担任は理解していない様子だった。同じクラスで海外留学を希望している友達も担任に強く反対されているということであった。詳しく聞いてみると、担任は自分のクラスから難関大学に何人合格させられるか、数字しか頭になかったのである。さらに私大を第一志望にすると勉強をしなくなるという理論であった。幸いなことに進路指導の先生が話の通じる方だったので娘は志望大学に進み現在は精神保健福祉士として働いている。その当時は私も娘も上質世界のことを知らなかったが、イメージする未来像は明確だったと思う。選択理論を学んだことで自分たちは間違っていなかったのだと安心できたのである。

グラッサー博士の選択理論(9)信頼される生き方

 



ウイリアム・グラッサー著

選択理論の基本の書
(実践編







第二部      実践編

第9      信頼される生き方


私たちは意識して両親を上質社会に入れるわけではない。両親のことを自覚したときにはその選択をしてしまっている。ほとんどの人にとって、それは一生続く。自分を育ててくれた両親を上質世界から剥がし取ることはほとんど不可能に近い。なぜならほとんどの場合、それに取って代わるものがないからである。

虐待を受けている子どもは自分が必要とする人々を喜ばせようと必死になってひどい仕打ちも受け入れる。代えがたいと思っている人から引き離されるという考えよりも、虐待からくる苦痛ははるかに耐えやすい。こうした多くの子どもたちにとって、両親以外に関わることができるのは教師である。しかし私たちの学校を支配している外的コントロールシステムは、こうした若者の多くから機会を奪い取っている。

選択理論を家族、特に子育てに適用することによって人間関係の問題の多くをどのようにして防げるか、その方法についてこの章で説明をしていく。

 

『選択理論、家族、子育て』

  • 家族の不幸の大半は、親が善かれと思って子どもを強制し、したくないことをさせようとすることである。子どもたちは、特に成人した子どもたちは自由を求めて、親のすることに抵抗する。
  • 親が次のように言うのが聞こえてくる「"親としての責任を放棄するのですか、子どもがしたいことを何でもさせるのですか」もちろんそうではない。子どもに対応するときには限界を知り、この限界の中でできるだけのことをしなければならない。親には限界があり、自分の行動しかコントロールできない。子ども、親、配偶者を含め他の人々に対して与えることができるのは情報である。この情報は、脅迫、賄賂、殴打、監禁であるかもしれないが、それでも情報である。
  • 選択理論による子育ての原理は、子どもが成長して幸せになり、成功し、親と親しい関係を持ち続けてほしいと親が願うなら2人の距離を引き離すと思われるようなことをしない選択をすることである。この原理が意味することは、親しい関係を維持したいと思う人に対して批判しない、脅さない、文句を言わない、馬鹿にしない、罰しない、賄賂を与えないということだ。実際には、この原理は、あらゆる人間関係に適用できる。

 

『選択理論を使った子育て』

  • 選択理論は、問題の解決よりも、問題の予防に用いられるときに効果がある。ほとんどの親にとって最大の関心事は子どもたちの将来である。私たちのほとんどは、子どもたちがずば抜けるような事を望んでいない。どんなに努力しても、子どもたちを頂上に押し上げるためにできることは、ある点を超えると何もないということである。親は援助や支援はできるが、最終的に子どもたちがどうなるかコントロールはできない。
  • 外的コントロール心理学の第3の信条は「子どもたちにとって何が正しいかを私たちは知っている」である。これに従ってわたし達のほとんどは、子どもたちに自分たちが正しいと信じていることをさせようとして、褒美で釣ったり、罰を与えたりする。それをし続けるが、子どもを理想とする地点にまで導くことは失敗し、親子の関係を破壊してしまう。
  • 愛に関する限り、具体的な行動と相手を結び付けないことだ。子どもが何をしても、あなたが子どもを愛していることを明確にすることだ。しかし、子どもが無軌道な行動をしているときには、愛することは容易でないと素直に言うことだ。
  • あなたが子どもを愛していることを伝える最善の方法はいつも話すこと、聞くことの用意があることだ。このような態度でいると、あなたには自分の意見を述べる権利があり、子どもが何か変なことをしていたりしようとしているときには、それについて自由に話すことができるはずである。これは結婚で用いられるサークルに匹敵する。子どもと親の解決のサークルである。
  • 選択理論の人間関係の基礎は信頼を確立することである。これは子どもが何を言っても、また何をしても、親が子どもを拒否することはないということを意味している。しかし同意できないことをも支持するという意味ではない。
  • 子どもの信頼を回復する唯一の方法は、子どもと話し、子どもの話に耳を傾けること、そうしながらお互いが接近することである。親が間違いを犯したら、すぐに親は間違いを認めなさい。あなたは子どもに完全であることを期待しないし、あなたもまた完全ではない。過ちを犯すことを認めることは信頼を確立し、また回復する。
  • 選択理論は次のようなメッセージを送り続ける。「私はおまえに自分の間違いから学んでもらいたい。もし私たちのどちらかがお前の選んだ行動に不満足であれば、親の責務は話し合い、より良い方法を見つける手助けをすることだ。どんなときにも、より良い方法はある。しかしながら、おまえがあまりにも若すぎて、どんな方向に向かっているかわかっていないと思えるときには介入して、おまえのしていることを止めるつもりだ。しかし、親の目的はおまえを止めることではない、おまえが後悔するようなことをする前に学んでもらうためなのだ」ここでも信頼がとても重要である。
  • 子どもが自分で処理できると思えることにはできるだけ多くの選択の自由を与える。しかしまだできないと思えるなら、子どもができると思えるようになるまで、心を開いて、繰り返し話し合いをする。強く主張する価値があると思うことは主張して良いが、なるべく少ない方がいい。

『虐待された子ども、または、子どものとき虐待された大人への対応』

  • 虐待が現在も進行中であるなら、それを止めるためにあらゆることをしなければならない。たいてい子どもをその状況から引き離すことを意味している。しかし、しばしば虐待が発見されたときには既に虐待は止まっている。それでも子どもは起こったことに対して対処する助けを依然として必要としている。
  • 報告されないままに止まった子ども時代の虐待が大人になってから表面化することがある。従来の考え方は、子ども自身が加害者に対決しなければ、起こった出来事に対応できないというものである。自分一人では対処できないので、心理療法士の導きを得て癒しのプロセスと呼ばれるものを経験する必要があると信じられている。選択理論は、過去の虐待に対して違った見方をする。選択理論を使って自分を助けることができると教える。彼らが自分たちを犠牲者と見る選択をしない限り、事件の犠牲者にはならない。あなたは犠牲者で自分ではどうすることもできないと暗示することは常に有害である。
  • 不幸な経験を再体験しても人間は強くならない。長い間飢えてているとき必要なのは食べ物であって、過去に食べ物が与えられなかった理由の説明ではない。選択理論の説明によると、全ての問題は、現在の問題である。将来の食事を今食べることはできないし、過去に食べなかった食事を今食べることはできない。
  • 虐待された子どもが、人を信用しないのは、彼らの経験から最もなことだ。上質世界に入っている人に傷つけられたのであれば、どうして見知らぬ人を信頼できるだろうか。彼らが学ばなければならないことは、ほとんどの人は信頼できるということである。そして信頼できる人とできない人をどうしたら区別できるかを学ばなければならない。 

本書を読むことで、不幸な関係に悩んでいる人が選択理論を学び、相手を責めるのをやめて、解決のサークルに入り、自分の要求よりも人間関係を優先すれば、今よりも良い関係になる。

 

 ◆第9章を再読して感じたこと

  • 非常に深く濃い内容である。現在進行形で子育てをしている親御さんは読んでいて辛くなることもあるのではないかと思った。
  • うちは上の子が男の子で今年31歳になる。30年前は叱らない子育てが流行り出したころである。しかし残念ながら今ほど理論が確立していなかったために、ただただ叱らず放任するお母さんも多く存在した。そのころ、息子のお友達が食卓テーブルの上でダンスを踊るという変わった遊びを好んでいた。ある時、別のお友達の家でその子が食卓テーブルに上って食べ物を蹴飛ばしながら踊ったときもお母さんは注意しなかった。私は大変驚いたがその場では何も言えなかった。後日私が「自宅ならまだしも他所の家では注意すべきではないか」と言うとその子のお母さんは激怒して我が家との関係は切れてしまった。そのことに関しては今でも時々思い出して考えるが、付き合いを続けるのはどちらにしても困難だったように思う。本書を読んだときに「同意できないことをも支持するという意味ではない」という一文を読んで癒される思いだった。
  • このブログで度々ご紹介している「ラジオセラピー」でも子育てのことをたくさん取り上げている。とくに田畑雅紀先生の子育て論は非常に面白く聞かせていただいた。長年、心に刺さっていたトゲが抜けたような感じがした。
          田畑先生のラジオセラピー
  • 上の息子は理系の国立大へ、下の娘は四年制の福祉系大学へ、高校に入学した時からすでに進学先を決めていた。2人とも自分のやりたいことはハッキリしていて、先生や友達に何を言われてもぶれることがなかったので私も口出しせずにきた。しかし、小さな事でくだらない言い争いはたくさんしてきた。そのことに関しては大人げない母親で申し訳ないという思いで一杯である。そのころに選択理論を知っていれば、もっと建設的な会話ができただろうと思うと残念である。

グラッサー博士の選択理論(8)幸せな結婚生活


ウイリアム・グラッサー著

選択理論の基本の書
(実践編







第二部      実践編

第8      幸せな結婚生活


この章では再び結婚生活について、さらに詳しく書かれている。


『愛とは』

  • 私たちは、しばしば予期せぬ恋に落ちる。自分が親しくなれそうな人を見つけ、わくわくする。自分をありのまま受け入れてくれるだけでなく、将来の自分を受け入れてくれる人、上質世界を分かち合える人、自分を裁いたり変えようとしたりしない人と一緒にいることは気分がいい。
  • 愛を定義するなら、希望と恐れを分かち合う。しかも喜んで分かち合う気持ちのことだ。分かち合うことができる限り、あなたが愛にそのままとどまっている可能性は高い。「最初に分かち合いを自由にできなかったら、たとえあなたがどれほど愛の中にいると感じても、あなたの愛は弱い」弱い愛は、長続きはしない。もし恋に落ちた2人が、選択理論を知っていて上質世界を知っていれば、この知識を使って愛にとどまることができる。

『リアリティ』
  •  他人について空想を思いめぐらさないということは不可能だが、それらを分かち合うことは相手に多くを求めすぎているのかもしれない。しかし、現実のものを分かち合うことができないことがわかれば愛は終わり始めている。
  • 2人がお互いを知れば知るほど違いがある。愛にとどまるためにはその違いを解決しなければならない。選択理論を知らない人たちは、外的コントロール心理学に逆戻りして相手を変えようとするかもしれない。

『カウンセリング』

ここからはグラッサー博士のカウンセリングの話になる。
  • クライアントはティナ、28歳。あらゆる分野で有能な女性である。彼女は演劇を教える高校教師で学校のリハーサルがない夜の時間に地域の演劇を指導している。恋人のケビンは30歳で、近くの中学校の前途有望な副校長でフィットネスに関心がある。2人は2年間交際していて、とても相性がいい。しかしティナは結婚願望が強く、彼は決断を渋っていた。
  • カウンセリングを行ったグラッサー博士は、ティナがコントロールできるものに焦点を合わせることにした。リアリティは人によって違う。ティナは、彼女の現実で生きるしかない。ケビンの現実について、ティナはコントロールできない。ティナの現実は、彼の気持ちがわからないでいるということ。お互いが気持ち理解し合っていると言えるようになるまでは、彼との結婚について考えるべきではない。 将来の話をしないこと、将来があるなんて匂わせないこと。それよりも、出会いの頃よりももっと良い関係になるように焦点を当てることだ。彼がしたいと思わないことをさせようとすることに何の意味もない。
  •  ティナは、落ち込むことも選択できる。怒り、喚き散らす、食ってかかる、脅す、他の男性と会う、彼を捨てる、病気になるなど人生をめちゃくちゃにすることができる。しかしティナは上質世界のことを知っている。自分の知っているものを使う良いチャンスだ。
  • 良い関係が続いても彼がこのまま決断をしないようだったら、関係を終わりにする準備をしなければならない。彼はティナの人生をコントロールする権利はないし、同様にティナにも彼の人生をコントロールする権利はない。いつまでこの関係を続けるか期限をつけた方が良い。それを決めるのはティナ自身だ。
  • ティナは、結婚をせがむようなメッセージを送らないことにした。2人は次の3ヶ月とても良い交際をした。彼は、彼がしたくないことを無理にさせようと思わないというティナの姿勢に興味を持った。ティナは、自分が外的コントロールをしなくなってからどれほど幸せになったかを話した。

『解決のサークルと創造性』
  • 2人がしたことは、解決のサークルを使うことだった。2人には意見の相違を処理する道具がある。これは意見の不一致がないという意味ではない。意見の相違を処理する道具があるということである。選択理論と解決のサークルを使って、2人は何でも自由に話し合う。
  • 読者の多くは、あまりにも理想が描かれていると思うかもしれない。しかし良い結婚に問題が起こるとすれば、どちらかが退屈になって外的コントロール心理学を尊重することで起こる。私たちは創造性を決して忘れてはならない。新しいことは批判されるだろうと思うから私たちは創造的であることを恐れる。選択理論に移行したカップルは、そんな恐れは抱かない。マンネリになったりすると、いつでも創造システムを使おうとする。
  • 解決のサークルは、創造的であるための安全な場を提供してくれる。選択理論には悪い面はない、あらゆる人間関係の問題でそうであるように、誰かが先に動いて外的コントロールを止めなければならない。
  • 選択理論の適用も、相手を変えるつもりで選択理論に基づく考え方をさせようとする罠にはまることがある。これは最善の意図があっても、基本的には外的コントロールである。コントロールはコントロールを生む。

『構成的結婚カウンセリング

失敗しつつある結婚において、ほとんどの場合、当事者は失敗者ではない。個人的には有能な人たちである。選択理論をベースにした構成的結婚カウンセリングをうけていれば、多くの結婚が救われる。カウンセラーは具体的な質問を投げかけ、2人が順番に応答するよう要求する。問いかけは次のようなものである。

①あなたは本当に助けが必要でここにいるのですか。それとも既に離婚の決意を固めていて、自分は助けを得ようとしたと言いたいからですか

  • 助けを求めるという決断が両者になければカウンセリングに望みはない。個々に自分のために助けを求めているなら結婚カウンセリングではない。

②一言で言うなら、この結婚の何が問題だと思っていますか。

  • 彼らは互いに自分が正しいと思い、自分を支持してくれるカウンセラーを探している。言いたい放題にしておくとカウンセリングの努力が無駄になる。

③あなたは誰の行動をコントロールできますか。

  • これは難しい質問ではない。②で相手の問題点を勢いよく言ったあとで自分の行動しかコントロールできないことを知る。

④あなたの結婚で、一つだけ良いことを話してください。

  • ほとんどのカップルは、まだ結婚に関して良い点を挙げることができる。でなければカウンセリングを受けにくることはない。良いことを少しでも話すとき、怒りや相手を責める気持ちが消えていく。

⑤よく考えてから私に話してください。今週、結婚を良くすると思うことを何かするとしたら、それは何ですか。それが何であれ、あなたが自分でできること、相手がするしないにかかわらず、自分1人でできることです。

  • ④を少し拡大しただけの質問。2人が何か新しいことを考え、その上に積み上げる機会となる。これは彼らに少し希望を与える。

⑥今週中にここで考えたものの他に追加して何かを考えるつもりがありますか。前の質問にあったように、自分のすることだけをコントロールできるという、同じ原則に従って、それを行動に移してください。

  • 彼らが楽しめる別の肯定的なものに焦点をあわせる機会を与える。
このあとはエドとカレンの40代夫婦を例に構成的結婚カウンセリングの説明が続く。


 ◆第8章を再読して感じたこと

  • 以前はこの章はあまり真剣に読んでいなかった。今回、繰り返し読んでみた結果わかったことは、リアリティの意味を今までよく理解していなかったということである。それは理想論だ、という言葉を聞くことは多いがこれは机上の空論という意味であって上質世界の概念は存在しない。上質世界は上質世界として尊重し、それでもリアリティ(現実)を分かち合うと考えると解決のサークルも理解しやすくなった。どちらかが我慢して表面的に穏やかでいることではない。しかし批判的にならずに話し合うことの難しさはやはり感じる。これは夫婦に限らず職場での話し合いでも最も難しいように思う。
  • もう1つ印象深かったのは、ティナのカウンセリングで、が決断をしないようだったら彼との関係を終わりにする準備をしていかなければならないという点である。期限を設ける。これも恋愛に限らず転職などでも同じだと思う。上質世界からイメージ写真を剥がすのはなかなかに難しいと度々本書にも書かれているが、イメージ写真を剥がす良い方法があるのだろうか。一人でできる他のことに集中するというのは1つの方法だろう。理論や知識で価値観を変えていく方法もある。しかし、実は私は意外と簡単に剥がれてしまうような気がしている。剥がすのではなくいつの間にか剥がれているという印象を私は持っているが、グラッサー博士が語る人物はいつも強烈なイメージ写真を持っている。上質世界についての理解が深まっていくと、また新たな疑問も出てくる。

次章の「信頼される生き方」では親と上質世界について書かれている。今までよりも少し長いので時間をかけて読んでいきたいと思っている。


グラッサー博士の選択理論(7)創造性


 ウイリアム・グラッサー著

選択理論の基本の書である。

各章のまとめの7回目。





第一部      理論編

第7      創造システムの二面性

創造性とは、求めているものが現実に得られないときに、新たなアイデアを生み出すため、脳が情報を再整理することである。この能力はどんな人にも備わっている。

  • 私たちの行動に創造性を付与するのが創造システムだが、プラスの面だけではない。私たちが求めている人間関係が得られないときに、しばしば自己破壊的な創造をする。このことにより大きな害をもたらす可能性もある。
  • このシステムは止むことなく活動し、あきらめることもない。多くの場合、創造システムは新しい行為と思考を提供する。これが事態を悪くすると思えば拒否できる。拒否するのが困難な場合もあるが「これも一つの選択である」と理解できれば、自分の行為と思考を自らコントロールできる。
  • 本章では創造性の闇の部分ついての解説がメインになっている。私たちが良い選択をするようになる前に、悪い選択をした理由を知らなくてはならないからである。グラッサー博士の精神科医としての臨床の数々、心身症や精神疾患のこと、免疫システムと創造システムの関係性が語られている。病気になったときは人間関係を再点検することも必要である。また、この世が終わるわけではないという気持ちになったときに自分の人生のコントロールを取り戻した話など非常に興味深い内容がつづく。
  • 落ち込みもまた創造システムにより提供された感情である。第4章でも説明しているが、落ち込みの理由は3つある。
第1は怒りの抑制。 
第2は助けを求める叫び。 
第3は逃避である。

  •  落ち込むことはコントロールを与えてくれるが支払う代価も大きい。しかし結果は何であれ、創造システムの目的は問題を解決に導く新しい行動を見つけることである。
  • 自分の人生のコントロールを取り戻せない人、不満足な人間関係を諦めきれない人は、関節炎などの身体症状を抱える。このことで落ち込みを選択しないで済むことがある。それは彼らに取り組むべき何かを与えたからである。 
  • この章の後半は再びフランチェスカとロバートの話に入っていく。ちなみにこの二人の関係は「マディソン郡の橋」という小説をモチーフにしている。小説ではフランチェスカはカウンセリングは受けていない。ロバートと夫とどちらを選んでも苦しみとみじめな感情を味わう。解決法のない葛藤を抱えてフランチェスカは落ち込みを選択することで怒りを抑え、良い母でいることができた。
  • フランチェスカは日記をつけることで人生を受け入れた。いつの日か自分の死後にでも子どもたちがこの日記を読んで自分の気持ちを理解してくれるだろう。またフランチェスカが人生のコントロールを取り戻す助けになったのは隣人の存在だった。本書に登場するカウンセリングは選択理論を適用したグラッサー博士なりの解釈である。小説で何が起こり、何が起きていなかったかは重要ではない。しかしこの小説は破壊的な創造システムがどのように私たちの行動にかかわっているか知るための助けになる。
  • フランチェスカは精神異常になるような女性ではない。彼女は良い人間関係を持つことも、自分や家族の世話をすることもできたからである。フランチェスカは落ち込む以外に問題解決のために大したことをしなかった。しかし少なくとも彼女は問題に直面した。
  • フランチェスカは神経症や恐怖行動、不安障害、PTSD、パニック行動や妄想行動などを選択することもできた。様々な選択肢について解説が語られているがこのまとめでは割愛する。どちらにしても年月が過ぎロバートの記憶が薄れることで症状は消えていくが、何かのきっかけで思い出が甦り発作を起こすかもしれない。考えないようにしていることを考えるという逆説手法のカウンセリングもある。しかしこれは一人では試さないほうがいい。グラッサー博士の仮想カウンセリングでは仕事に就くことで所属の欲求を満たす方向性を提案している。
  • 選択理論はより良い選択をするためのものである。自分の人生をコントロールする方法を見つけたたときに症状や信条を進んであきらめるようになるのである。本当の思いやりとは人々が自分自身を助けるのを援助することである。

◆◆追記◆◆◆
グラッサー博士の、別の書籍「テイクチャージ 選択理論で人生の舵を取る」の中で、創造性について次のような説明をしている。
  • 私たちは、現時点のイメージ写真を充足させるため、行動システムから可能な限り最善の行動を選ぼうとしている。
  • 行動システムは2つの部分からなる。1つは整理された使い慣れた行動。もう1つは再整理の状態にある。この再整理が新しい流れになるが、今持っているものより効果的でないかもしれない。そのためよく整理された使い慣れたシステムから落ち込みなどの行動を引き出してきて対処するのである。

◆第7章を再読して感じたこと
  • グラッサー博士が繰り返し述べていることは、博士の言うことが仮に役に立たなかったとしても、何の害にもならないということである。日々私たちにできることがあるのならば試してみること、仮にこう考えてみようと選択理論のエキスを取り入れてみても害はないということである。
  • 何度読んでもこの創造性については難しい。理論として納得したとしても自分のものになったという実感があまりない。こういうシステム的なことは実感するというものではないのかもしれない。意識しなくても常に陰で動いているシステムと解釈するべきなのだろうか。しかしこの理論を知ることで選択ができるようになるとグラッサー博士は言っている。もう少し勉強と体験が必要ということなのだろうと考えながら読了した。
  • 本書で引用されている「マディソン郡の橋」は大変有名な小説で映画化もされているが、私は読んでいないし映画も見ていない。この小説をグラッサー博士のカウンセリングを念頭に置きながら読んでみるのも勉強になるのかもしれないと思っている。
これで理論編は終了。第二部は実践編で幸せな結婚生活、信頼される生き方、学校や職場での選択理論。第三部は応用編で地域社会への応用である。






グラッサー博士の選択理論(6)葛藤


 ウイリアム・グラッサー著

選択理論の基本の書である。

各章のまとめの6回目。





第一部      理論編

第6      葛藤の解決の仕方


同時に相反するイメージ写真が上質世界にあるとき、私たちは葛藤を経験する。一方に向かって動けば動くほどもう一つのフラストレーションは増大する。両方を求めている限り葛藤から逃れられない。葛藤の深刻さはぶつかり合っているイメージ写真の強さに比例している。両方のイメージ写真が強かったら、葛藤は非常につらいものとなる。葛藤を深刻にするのは今の時点では解決がないからである。しかし解決にならないとしてもできることはある。


『待つ』

  • グラッサー博士の恩師、ハリントン博士は次のように言っている。何をしてよいかわからないときには、可能であるなら、どちらの方向にも進まないで何もしないことだ」そうすれば少なくとも事態を悪化させないですむ。最終的には時間がその葛藤をある方向に動かし決断に伴う苦痛が少なくなる。


『カウンセリング』

  • もう一つの解決策は、良いカウンセリングを受けることである。そうすれば選択肢を整理することができる。その中で平等な選択肢と思われていたものが、実際には平等でないことに気づくかもしれない。カウンセラーと話している間に時間は経過していく。話すことでしばらくの間そのままでいられる。
  • 効果的な方法は第3の選択肢の方向へ導くことである。この選択肢は葛藤がなく、満たされない欲求と同じ欲求を満たすものである。クライエントが葛藤の渦中にいる限り何を選択しても葛藤の解決とはならない。


  • リアリティセラピーの特徴

    1. 問題について長い時間をかける必要がない。問題は常に不満足な現在の人間関係である。
    2. 問題は常に現在であるのでクライエントの過去に遡って長い集中的な調査をする必要がない。
    3. 私たちが唯一コントロールできるのは自分だけであることを教える。

『カウンセリング例』

ここからは、リアリティセラピーを使って、深刻な葛藤の渦中でもがいている45歳の女性フランチェスカのカウンセリングが書かれている

  • いちばん良い方法は、まずどこからでも話していただくことです。裁かれるのじゃないかと心配しなくていいですよ。という言葉で博士はカウンセリングを始めた。
  • フランチェスカは既婚で10代の2人の子どもがいる。イタリア国籍だが、第二次大戦直後に軍関係でイタリアに来ていたリチャードと結婚して移住してきた。今は農場に住んでいる。夫はいい人でそれほど親密ではないがケンカするわけでもない。
  • 6週間前、フランチェスカはロバートという男性に出会った。ロバートは写真家でカメラをかかえて旅をしていた。フランチェスカはロバートを好きになり4日間一緒に過ごしたが、ロバートは帰っていった。子どもがいるし夫を捨てて一緒に行くことはできなかった。
  • この問題にすぐにできることは何もない。時間だけが解決してくれる。しかし何か欲求充足になることを彼女が選択する手助けはできる。
  • 彼女がコントロールできる何か。彼女だけが一人でできる何か。そして誰も取り去ることができない何かを見つけなければならない。葛藤に焦点を当ててはならない。何かできるものに焦点を合わせることで、彼女に時間を与え希望を与えてくれる。物事は変化する。時間とともに葛藤は忘れ去られる。
  • 博士は「私に会いにくる選択をした理由は何でしたか」と質問をする。肯定的な意味で選択という言葉を導入したのである。フランチェスカは答えた「私が来たのは、誰かに話さずにはいられなかったからです」
  • カウンセリングでできることは、古い生き方が上手くいっていないと彼女が話すときに、新しい生き方を探す手伝いをすることである。しかし、落ち込みは人を頑固にする。違う人生について考えるより落ち込み続けるほうが容易なのだ。
  • 私たちはフランチェスカがどうしたら自分自身を助けることができるか考えようとしている。農場の仕事は単調で孤独だ。夫にそのことを話しても理解できないだろうとフランチェスカは言う。
  • 博士の次の質問はイタリアに帰りたいか、というものだった。慰めが必要なときのために家族は存在しているのだ。その質問はフランチェスカを喜ばせたが、お金に余裕がないので帰れないのが現状だった。
  • フランチェスカを救ったのはイタリアに帰るお金を自分で稼ぐことでコントロールを取り戻すことだった。彼女は以前は教師をしていた。彼女が望むならば教職に戻ることができる。
  • カウンセリングのポイントは現在の問題に厳密に沿っていくことである。失われた生活や子ども時代のことに触れても意味がない。過去に焦点をあてることは、みじめな経験を繰り返すだけである。

この章のほとんどがフランチェスカとの会話に割かれている。葛藤とは何かを学ぶとともに、カウンセリングで博士が実際にどのタイミングでどういう言葉を使っているか、非常に興味深い内容である。


◆◆追記◆◆◆

グラッサー博士は、別の書籍「テイクチャージ 選択理論で人生の舵を取る」の中で、葛藤は2種類に分けられると書いている。 

1つは「真の葛藤」

解決策がないにもかかわらず何かをしなければならないという感じを持ち続ける。こんなときは、できるだけ効果的に何もしないでいることが最善策。しかし何もしないということは苦しく実践が難しいが選択理論的理解をすれば何もしない状態でいられるようになる。

もう1つは「見せかけの葛藤」

努力で解決策を見出すことができるとわかっているが、行動できない状態。行動できないのは何もしないほうが楽だからである。


◆第6章を再読して感じたこと

何もしないでいることは、私は割とできるほうだと思っている。それでも何にでも手出し口出ししたくなるときは気持ちが落ち着かないときである。上手に待つこともなかなかに難しい。それでも心をこめて「何もしない」でいようと努力すると、行動するように周囲がアドバイスしてきたりする。特に既婚女性にとっては親のこと、子どものこと、親戚のこと、どうにもならないことを抱え込んでしまうことがある。上手に気分転換することでさえも主婦の立場では難しいことがある。グラッサー博士はかなり具体的に第3の選択肢のことなどを解説してくれている。

初めてこの葛藤の考え方を読んだときは癒された感じがした。選択理論への入り口は外的コントールと葛藤の考え方に興味を持ったことだった。とにかく周囲の○○せよという圧力は絶えることがない。道徳観、義務感、罪悪感、責任感、自分のしたいことと板挟みになったときにどうするか。グラッサー博士は明確に説明し道を示してくれている。カウンセラーの立場で読むか、クライアントの立場で読むかで面白さは変わってくるのかもしれない。それでも葛藤に焦点を当てずに自分にできることに注力するのは、立場や場面に関係なく活用できる技だと思う。上質世界の概念を理解することでさらに実践しやすい内容になることも選択理論の魅力である。

次は第7章「創造システムの二面性」いよいよ理論編の最後の章になる。前回は創造について深く考えるほど理論を理解できていなかった。今回はじっくり読んでまとめてみたいと思う。


 






グラッサー博士の選択理論(5)解決のサークル

  

ウイリアム・グラッサー著

選択理論の基本の書である。

各章のまとめの5回目。





第一部      理論編

5      人との関わり方 

 

他人との関わり方は性格の違いを理解することから始まる。この章は主に結婚についての考察であるが、まず冒頭にグラッサー博士のご両親の性格の違いが書かれている。母親は力の欲求が強く支配的で関わるすべての人をコントロールしたがった。父親は優しい性格で他人をコントロールしようとしたことがなかった。ご両親は性格が極端に違っていた。

 

『性格の違いと欲求の強さ』 

  • 性格の違いは、5つの基本的、あるいは遺伝的欲求の強弱による。それぞれの欲求の強さは誕生時に決まっていて変化することはない。性格的に問題のない配偶者を見つけること、また性格が一致しない配偶者と上手くやっていくことは運任せにすべきではない。
  • 自分と、他の人の欲求を推測することは完全にはできないにしても、人にどう対処するか一通りの理解を与えてくれる。あまりにも異なる性格の人と結婚するべきではなく、仲良くやることが困難な人との関係で無理な努力をしない方がいい。
  • ほとんどの場合、欲求の強さはそれほど違わないので話し合って解決することは不可能ではない。お互いをコントロールしようとする気持ちを捨て、選択理論を2人の関係に適用すればこのような違いは解決できる。しかし正確な交渉のためには、どの欲求がぶつかり合っているかに気づく必要がある。

 

『解決のサークル』

  •  問題の解決のために選択理論を使う良い方法は、自分たちの結婚が大きな輪の中に入っていると考えることだ。この輪のことを解決のサークルと呼んでいる。

・床の上に、想像上の輪を描いてみる。

・それから2人は椅子を持ってこのままの中に入って座る。

・この解決のサークルの中には、妻、夫、そして結婚という3つの実態がある。

  • 2人は欲求の強さの違いに基づく主張を持っている。2人とも選択理論を知っているので、相手に強制しようとすれば弱い方が押し出されるか自分から外に出てしまうことがわかっている。
  • 意見の不一致がどれほど深刻であっても、サークルの中に入って違いについて話し合わなければならない。一方が話し、片方がそれに同意することで話し合いが始まる。
  • サークルの中でお互いが結婚を良くするためにできることを話す。このような枠組みの中で妥協点を見つけなければならない。どちらかが完全に譲歩することがたまにはあるが、現実的には、妥協点を見つけなければならない。
  • サークルの中で自分の行動しかコントロールできないことを受け入れる限り、どんなことでも話し合いで妥協点を見出すことができる。
  • 妥協するということは次のようなメッセージを送ることになる。「私が個人的に欲しているものよりも、2人の人間関係の方がもっと大切だと思っている」このメッセージは強力である。

 『欲求の強さと解決のサークル』

  • 生存の欲求の強さに違いがある場合は、

違いを結婚初期に認め合い、問題が起こったときに交渉する計画を立てていれば危機は防ぐことができる。

  •  愛と所属の欲求の強さに違いがある場合は、

サークルの中に入ってお互いに何が嫌で何を譲る気持ちがあるのかを話し合う必要がある。自分の行動しかコントロールできないということを忘れてはならない。そこでは、自分が何をする気持ちがあるかだけ話すべきで、相手に何をしてほしいかではない。私たちは与えられる以上の愛を求めるようである。受けることでなく与えることに話し合いの焦点が合っていれば、愛の問題にとって素晴らしい回復の好機となる。

  •  力の欲求は、

最も満足させるのが難しい。もし夫婦の両方とも力の欲求が強く、それを満たそうとすると結婚を損なうことになる。力の欲求はその性質からして話し合うことが困難である。なぜなら、妥協することは、力を開け放すことを意味するからである。

  •  自由の欲求の高い人は、

あらゆる長期的な親しい人間関係で困難を覚える。自由とは誰からも所有されないということだからである。お互いが相手の求める自由を受け入れることができれば上手くいく。そのために2人が解決のサークルの中に入って、どの自由を自分は譲歩するつもりであるかを相手に話す必要がある。

  • 楽しみの欲求が高い人が、

それを分かち合うことはあらゆる人間関係にとって素晴らしいことである。楽しみは、年齢、性別、あるいは金銭の不足などで制限されることはほとんどない。少し努力すれば、いつでもどこでも笑うことも学ぶこともできる。しかし2人とも楽しみの欲求が低ければ、自分が見逃しているものが何かわからないので平穏無事かもしれない。

※解決のサークルについては選択理論心理学のHP「選択理論.jp」にも説明がある。

興味のあるかたは下記のリンクから↓

解決のサークルの内側で~恋愛/夫婦関係編~

解決のサークルの内側で~子育て/親子関係編~

解決のサークルの内側で〜上司部下/マネジメント編


『欲求の強さを知る

どうすれば欲求の強さがわかるのか。

自分や相手に関する知識と、相手に対する洞察を基に自問自答しなければならない。

  • 生存の欲求が強い人は、リスクを冒さない。
  • 愛と所属の欲求が強い人は、どのくらい得るかではなく、与える気持ちがある。
  • 力の欲求が強い人は、
いつも自分のやり方を貫きたい
最終決断を下したい
人々を所有したい
自分の言動はいつも正しいと思われたい
  • 自由の欲求が強い人は、

型にはめられるのは嫌だ
一つのグループの中に長くいるのは嫌だ 

  • 楽しみの欲求が強い人は、
学ぶことが好き
教えるのが好き
  • 欲求の強弱についてすべてを語ることは難しい。時間をかけて話し合い、自分の感情を記憶することだ。欲求が満たされたときには気分がどんなに良くなるかを覚えておく。気分が良くなればなるほど、その欲求は強い。
  • 上質世界のイメージ写真が強力であれば相手を正確に見ることができなくなる。そうなる前に2人の欲求の強弱を考えるほうがいい。巷に溢れている「私の愛で相手は変わる」という妄想こそ最大の外的コントロールである。

 

◆第5章を再読して感じたこと

  • 解決のサークルが一番のポイントになる。この章でもあらためて交渉、話し合うことの大切さを感じた。察してほしい、言ってもわからない、とすべてを諦める前にできることがあるのかもしれないと感じさせてくれる内容だった。その一方で「仲良くやることが困難な人との関係で無理な努力をしない方がいい」とも言っている。相手の欲求を知ることが非常に重要になるということだろう。
  • この章では社会病質者と仕事につかない人についても書かれているが、一般的な内容ではないため今回は割愛した。仕事につかない人とは引きこもりとは違っている。社交的で薬物やアルコールに依存しない。自分を世話してくれる人には依存する独特な性格の人ということであるが、読み進むうちに、もしかしたら意外と多いのかもしれないと感じた。興味のあるかたは一読を。
  • 日本の場合はグラッサー博士のご両親とは逆に力の欲求が強いが多いのではないだろうか。私の両親は父が外的コントロールの塊のような人で、母は父の機嫌を損ねないように気を使いながら日々を過ごしている。決して過去形ではなく父が91歳になる現在でも続いているのである。しかし決して仲の悪い夫婦ではないので、これはこれで微妙なバランスを保っているのかもしれない。グラッサー博士と同じように私も母に離婚をすすめたことがあったが今年で結婚65年目になる。現実問題としてサークルに2人揃って入るという行為はかなりハードルが高いのかもしれない。


次回、第6章は葛藤について。私が選択理論に興味を持つポイントになったのは外的コントロールと葛藤だった。勉強を続けるうちにイメージ写真の概念の凄さがわかってきたが入り口は葛藤の考え方だったと記憶している。



グラッサー博士の選択理論(4)全行動


 ウイリアム・グラッサー著

選択理論の基本の書である。

各章のまとめの4回目、全行動について。

 

 

 

 

 

第一部      理論編

4      行動のコントロールの仕方 

この章は、カウンセリングの場面から始まる。

相談者はトッド。30代初めの男性。カウンセリングにやってきてすぐに自分が落ち込んでいることを話し始めた。トッドの悩みは妻との壊れた関係についてであった。

妻はトッドより10歳も若い23歳。トッドは妻よりも自分の方が世間をたくさん知っていると思っていた。そして自分が何でも決めることを妻も喜んでいると思っていた。しかし妻は1週間前、家を出ていった。

「どうして妻はこんなことをするのでしょうか。妻が帰ってくるような手助けをしてください」トッドはとても気分が悪いと訴え落ち込んでいた。


『カウンセリング』

  • カウンセリングは、まずクライエントとカウンセラーの良い人間関係を確立することに成功しなければ何も始まらない。選択理論を基盤にしたリアリティセラピーは、現在の人間関係を改善することに焦点を合わせる。過去の人間関係には関心を向けない。カウンセリングの一部として選択理論を学んでもらいたいが、初回から「あなたはみじめさを自分で選択している」と言ったならクライアントは席を立って帰ってしまうであろう。
  • カウンセリングの最初の数回は冗談を言い合い、話し合い、お互いを知ることが重要である。このような話し合いは支援的な温かい関係を育む。
  • 次にうまく行かなくなった人間関係を探す。「トッドさん、気になっていることを話してくれますか」外的コントロールの行動をしているか、自分の気持ちを妻のせいにしているかどうかを探る。このような質問はトッドの注意をひきカウンセリングが進んでいく。


『全行動』

  • 行動は全て基本的欲求の充足に直結する。私達はいつも人生を最も効果的にコントロールできる方法で行動を選択している。効果的なコントロールとは、私たちの上質世界にあるイメージ写真を満足させようとする行動である。
  • 行動とは、体を動かし、何かをすることである。体を動かす方法には4つの不可分要素がある。

1行為。歩く話す食べるなどの行為。

2に思考。私達はいつも何かを考えている。

3は感情。私達が行動するとき、いつでも何かを感じている。

4は生理反応。何かをしているときにいつも生理反応が伴っている。鼓動、呼吸、脳の働きに関係のある精神化学物質の変化がある

これらの4つの要素が全て同時に機能しているので、選択理論では行動という言葉を全行動と言い換えている。

  • あなたはこのように言うであろう。「私は自分の感情に気づいている。しかしその感情はたまたま起こったものだ。もし選択できるのなら惨めになる選択だけはしないだろう」しかしこの言葉が本当なら心理療法を受けるのは納得がいかない。自分の感じていることについて何も選択できないのなら、自分の人生や抱えている問題について話し合って何の役に立つのか。
  • あなたが全行動を選択するときに、常に4つの構成要素全てが関与しているが、直接コントロールできるのは行為と思考だけである。4つの構成要素は分離されないということを受け入れれば、たとえ直接感情をコントロールできなくても、感情ばかりか生理反応も間接的にコントロールできると気づくようになる。
  • 頭の中で繰り返し考えていることがやめられない。どんなにそれが惨めなものであっても、あなたはその繰り返し考えている。なぜならその考えは、そのときにあなたが選ぶことのできるどんな考えよりも、あなたの人生のある部分をコントロールしているからである。人はいつの時点でも常に最善と思える選択を試みるという考えは全行動を理解するのに重要である。

 

『落ち込み』

  • トッドは状況に対処するために落ち込みを選択したのだ。繰り返される選択には、選択理論から見れば立派な理由があるのだ。トッドの場合は妻であった。
  • トッドは落ち込んでいる。この場合、彼が惨めさを選択していると言ったが、直接選択しているとは言っていない。彼が直接選択していたのは、落ち込みと呼ぶ行為と思考という全行動の構成要素である。
  • 落ち込んでいる限り、頭の中には同じ不幸な思いが去来し続ける。落ち込みは苦痛ではあるが、この状況で落ち込まないのはもっと苦痛であったろう。
  • こうしたものが選択の結果であると考えると希望がある。一つの選択ができるなら、もっと別の、もっと良い選択をすることもできる。
  • この落ち込みを選択することはどのように役立っているだろうか。無益なら、もっと良いことを選択することはできるだろうか。頭の中でこうして考えてみると、いつまでも落ち込んでいることが困難になることに気付く。
  • 全行動についての知識を持てば、明らかに苦痛や惨めさを経験している人に向かって、気分はどうですかというような質問をしなくなる。質問されたほうは「気分はいいです」と嘘をつくからだ。今日は何をするつもりですか」という質問は自分をコントロールしている感じが得られる。これは気分を良くする助けとなる。

『落ち込みを選択する3つの理論的な理由

 ①怒りの制御

  • 怒っても欲しいものは手に入らず、エネルギーだけを消耗し、苦痛を味わうだけである。落ち込みは怒りを制御するために人間の考えついた最も強力な方法の一つである。
  • 怒りを完全に遮断するには大変なエネルギーが必要だ。そのため落ち込んでいる限り何をする気力もない。
  • もっと効果的に人生をコントロールする別の選択を持つ思いつきさえしたら落ち込みを選択しなくて済む
 ②助けてほしい。

  • 落ち込みは、人に助けを求める方法である。これは援助を求める最も強力な情報提供である。その強力さゆえに多くの人がその苦痛にも関わらず、他人をコントロールしようとして落ち込みを選択する。
  • 苦痛は援助を求めることを正当化する。苦痛なしに援助を求めれば、能力で自立していない人間と取られてしまう。無能力と思われることは大きな苦痛である。それでは力の欲求が満たされない。

 ③逃避

  • 私たちは落ち込むことで、したくないこと、または恐れていることをしない言い訳としている。誰かが実行するように言えば「今はとても落ち込んでいて、それどころではないのです」と言うだろう。


『落ち込みをやめる』

  • 落ち込みは自分の選択であるという主張を確かめるには、何かをしてみることだ。簡単にできることで、楽しくできそうなことを。そうすると、しばらくの間は不幸な人間関係について考えることもなく気分は良くなっている。しかしやめるとすぐに悪くなった人間関係に想いがいって、感情が戻ってくる。
  • 落ち込みのような惨めな行動を選択することをやめたいときにできる選択は3つある。

①自分の求めているものを変える、

②自分のしていることを変える。

③両方を変える。

  • 落ち込みを選択しているときでさえ、より良い選択をする能力がある。全ての行動と同様、落ち込みも選択なのだ。歩いたり話したりするような直接の選択ではないが、快感であれ、苦痛であれ、間接的な選択であることがわかってくる。間接的であっても、選択であることに変わりはない。


◆第4章を再読して感じたこと
  • 具体的なカウンセリングの場面が出てくるので話の聞き方や提案の仕方など興味深い内容が多い。トッドは選択理論を理解し新しい妻と幸せに暮らしている。
  • 全行動の4つの要素のうち直接コントロールできるのは思考と行為だけである。本書では文章で説明しているが、セミナーなどではこれを車のイラストで説明している。前輪が思考と行為、後輪が生理反応と感情である。エンジンが基本的欲求。ハンドルが上質世界。車は一人に1台。自分でハンドルを握る。他人のハンドルを握ることはできないし、他人に自分のハンドルを握らせてもいけない。この車のイラストは非常にわかりやすい。自分はどうしたいのか、車を見ながら考えていくのである。
       車のイラスト(参考)
  • こういう理論を覚えても実際に役に立つのだろうかと懐疑的な時期もあったが、シンプルな理論がしっかり頭に入ってくると行動は変わってくるのだと少しづつ納得できるようになった。
  • 私は思考は言葉だと思っている。思考を変えるとは言葉遣いを変えること。特に心の中のひとり言(セルフトーク)を変えることだと思う。本書でも名詞から動詞へという説明があった。「きょうは何をするつもりですか」という言葉はすぐに使うことができる。
  • 間接的であっても、選択であることに変わりはない。どんなことであっても自分のしていることは自分の選択なのだ。ここまで言われたらもう受け入れるしかない。

これで選択理論の基本的欲求、上質世界、全行動、外的コントロールという主要な部分は終わるが、第5章「解決のサークル」第6章「葛藤」と続き、日常生活に密着した内容が紐解かれていく。