2023/08/11

グラッサー博士の選択理論(10)最高の学校

 




ウイリアム・グラッサー著

選択理論の基本の書(実践編









第二部      実践編

第10      最高の学校


                                       

  • グラッサー博士は1990年代のはじめ、高校関係者に講演をするためにピッツバーグを訪れた。博士は講演の前夜、50人の生徒を集めて彼らの学校でどれくらいの数の生徒が能力以下の勉強しかしていないと思うか推測してほしいと頼んだ。彼らの推測は20から45%であった。   

「成績の良くない生徒は能力がなくて勉強できないのか」という問いに彼らは「最も有能な生徒の何人かは大した勉強をしていない。なぜなら、彼らは中学校で勉強が嫌になっているからだ」と言った。

この低い数字は強制によるもの、ボスマネジメントによるものだと私が主張したときに誰もそれに反対を述べなかった。

  • ボスは強制と罰を使うので失敗する。 そしてリーダーは成功する。それは強制と罰を使わず、リーダーに従うことが自分の利益になると生徒にわからせるからである。リーダーが好きだから従うようになる。
  • ミシガン州アルマで、クオリティスクールについて講演をしていたときのこと。

「学校で君たちはクオリティと言える勉強に取り組んでいるか」

この質問に、1人の生徒が立ち上がり話を始めた。「僕は成績は全部Aだったり、少しBがあったり、Cは一つもありません。僕も親も先生も満足しています。でも、僕は言いたいのです。教科の学習で今まで一度も自分でベストを尽くしたことはありません」

グラッサー博士は、彼に質問をした。「教室でしなかったとしたら学校のどこでベストを尽くすのかね」

直ちに彼は答えた。「バスケットボールのチームです。そこでは常にベストを尽くしています」 

  • ほとんどの学校で最善の取り組みは課外活動でなされている。これには2つの理由がある。

1つは、生徒が部活の教師と、活動そのものを自分の上質世界に入れているからである。

2つ目の理由は、部活にはスクーリング(強制学習)がないからである。        

 

 

『スクーリング』                                              

多くの生徒が酷い成績をとり、良い生徒ですらベストを尽くしていない主な理由は、外的コントロール心理学に従い「学校で教えられていることは正しく、勉強しない生徒は罰するべきである」という考え方を頑なに持ち続けているからである。この破壊的な間違った考え方をスクーリング(強制学習)という。                                                

  • スクーリングには2つの定義がある。

1.役に立たない知識を生徒に身につけさせ、現実世界では生徒を含む誰にとっても価値のない事実を暗記させようとすること。                                           

2.現実世界では役立つかもしれないか、全員に無理矢理学ばせるほどの価値のない知識を強制的に身に付けさせようとすること。                                        

  • 人に強制的に学ばせようとして成功したためしがないにもかかわらず、それが正しいと信じて強制をやめない。学校で多くの生徒が反抗しているのは、このスクーリングに対してである。スクーリングを排除するつもりなら、教育は知識の習得であると定義するのを止めなければならない                                          
  • 教育は知識の習得ではない。教育は知識を使うことと定義するのが最善である。何かを使うためには知らなければならないことは確かだ。しかし知っているだけではほとんど役に立たない。                                        
  • 教育には努力する価値がある。教育は改善する価値がある。自分の能力を人に見せることができるのは、知識を使うときだ。バスケットボールのチームやほとんどの課外活動で生徒が大変な努力をするのは、学んだことを使えるだけでなく、改善することもできるからだ。学ぶことに伴う本当の喜びはそれを改善することだ。
  • 生徒が「すごい先生」というときは、その先生が単なる知識の習得ではなく、使える知識、そして改善できる知識を教えたということである。このような教師は生徒に考えることを要求する、スクーリングが行われる学校ではほとんどの生徒にとって考えることは難しいことと思われている。しかし考えることは役立つとわかれば、生徒は自分たちの教師を尊敬し進んで勉強するようになる。                                                 

 

『ステイシーズ』                                    

ステイシーズとは、上質世界から勉強と教師を剥がし取り始めた生徒のことである。

  • たいてい家庭に教育に対する理解がない。そして彼らは十分な愛情や注目を受けることも滅多にない。最低限の勉強をするためには、彼らは学校で理解と注目を得る必要がある。彼らは家庭で必要なものが得られていないので、低学年で遭遇する強制、スクーリング、罰に対して非常に傷つきやすく、上質世界から勉強、教師そして最終的には学校自体を剥ぎ取ってしまうことで抵抗するようになる。                                        
  • 多くの子供は幼稚園と小学校一年生のときには大変うまくやっている。しかし小学校2年生になるまでには、教師は強制し始め、失敗の脅しが加わる。楽しく取り組んでいたものが邪魔されるようになる。          
  • ステイシーズは授業中に散漫になる。お喋りをし真面目に勉強する子供たちに無理やり関わろうとし、注目が得られないと妨害しようとする。彼らは他の生徒以上に学校でもっと愛と忍耐を求めている。しかし、教師を悩まし、他の生徒の注目を無理矢理に引こうとし始めた途端、得たいと思っていたものが得られなくなる。 
  • 中学校になるとスクーリングが増え、もっと強制が強くなり、教師が生徒に個人的に目をかける時間も少なくなる。中学校のステイシーズは成績は悪く、しばしば授業を休む。彼らはすぐに基盤を失い始め、高校への準備はできてない可能性が高い。彼らは現在の画一的な教育システムでは成功しない。
  • 現在の優れた専門学校は高校3年生しか取らない。しかしほとんどのステイシーズにとってこれは遅すぎるのだ。職業教育についてのビジョンを広げ中学校のレベルまで下ろした徒弟制度のプログラムを拡大する必要がある。明らかなことはステイシーズが職業訓練校では、しばしば勉強に対する興味を新たにすることである。職業訓練教育は大学に直結してはいないが、もっと先に進みたいと思い始めた生徒に対して門戸が開いていることを生徒たちは理解すべきである。
  • 貧しい地域ではステイシーズが全就学人口の多くを占めている。今のところ誰一人として増大するステイシーズをどうしたら良いかわかっていないが、ステイシーズ自身が問題なのではない。変える必要のあるものはシステムである。                                                 

この後、学習障害、ADHD、シュワブ中学校での実践、ハンティントン・ウッズ校での試みなど具体的な事例が続いている。クオリティスクールの説明や実際に行われている取り組みなども多く書かれているので、興味のある方はぜひ本書を手にとっていただきたい。


 ◆第10章を再読して感じたこと

  • この章も非常に深い内容である。具体的にグラッサー博士と奥さまがクオリティスクールの実現のために尽力されたことが書かれている。
  • 我が家は子どもが成長して学校とのかかわりはなくなっているが、教育の概念と考えると社会人でも参考になる内容だと思う。本章のポイントはスクーリング(強制学習)とステイシーズの2つである。強制、やらされている感じはサラリーマンであれば誰もが一度は体験していることではないかと思う。また興味が持てず、あきらかに上質世界から剥がれそうになっている会社で目標を失っている社員も存在するだろう。非常に興味深い内容である。
  • 読みながら娘の大学受験のことを思い出した。四年制の福祉系私立大学を目指していた娘には精神保健福祉士になるという夢があった。ところが担任教師は国立大学を受験することを強く勧めてきた。たしかに国立大学に行って心理士になる道もあるが、娘の目指しているものとは違っていた。何度も説明を繰り返しても担任は理解していない様子だった。同じクラスで海外留学を希望している友達も担任に強く反対されているということであった。詳しく聞いてみると、担任は自分のクラスから難関大学に何人合格させられるか、数字しか頭になかったのである。さらに私大を第一志望にすると勉強をしなくなるという理論であった。幸いなことに進路指導の先生が話の通じる方だったので娘は志望大学に進み現在は精神保健福祉士として働いている。その当時は私も娘も上質世界のことを知らなかったが、イメージする未来像は明確だったと思う。選択理論を学んだことで自分たちは間違っていなかったのだと安心できたのである。

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