2024/03/18

コリーニ事件


フェルディナント・フォン・シーラッハ(著)

ベルリンで刑事事件弁護士として活動。元東ドイツ政治局員ギュンター・シャボフスキーや、ドイツ連邦情報局工作員ノルベルト・ユレツコの弁護に携わり、ドイツでも屈指の弁護士と見なされている。








本書は結末の意外さで話題になった作品である。世界的ベストセラーになり映画化もされている。リーガル・サスペンスとしての面白さはもちろんだが、ポイントとなるのはドイツで1960年代に行われた第二次大戦中の残虐行為に関する捜査である。


(ネタバレを含みますのでご注意ください)


大虐殺に関わった将校や親衛隊が次々と裁かれる中で、1968年に秩序違反法の一部が改正された。このことにより関与した人物の多くが、ただ命令に従っただけだったとして謀殺罪ではなく幇助罪で裁かれることになった。そして幇助罪の時効は15年。1960年代にはすでに時効が成立していたのである。



主な登場人物は


・ファブリツィオ・コリーニ

イタリアからドイツにやってきて真面目に35年間働いた67歳の自動車組立工   


・ハンス・マイヤー

機械工業会社の元社長、85歳。


・ヨハナ・マイヤー

ハンスの孫娘


・リヒャルト・マッティンガー

マイヤー家の弁護士で裁判の代理人


・カスパー・ライネン

コリーニを弁護する新人弁護士



 

・物語は2001年、コリーニがハンス・マイヤーに4発の銃弾を撃ち込み殺害するシーンから始まる。コリーニはすでに息のない老紳士の顔を頭蓋骨が砕けるほど執拗に踏み続けた。いったい2人の間になにがあったのか。


・このあとはライネン弁護士の視点で描かれていく。弁護士になったばかりのライネンはコリーニが最初の依頼人である。国選弁護人として深く考えもせず引き受けた弁護で大きな苦しみを背負ってしまう。


・コリーニは犯行を自供したものの動機は黙秘し続けた。状況からみて復讐にまちがいないが2人の接点は全くみつからない。家宅捜査からも何も見つからなかった。そもそもコリーニは真面目で几帳面で仕事を休むこともほとんどなかった。独身で質素な生活。大会社の元社長であるハンス・マイヤーと知り合う機会さえなかったはずである。ライネンは凶器が第二次大戦中ドイツ軍用銃だったワルサーP38であることに注目して調査を始める。


・大きな動きがあるのは第七回公判。物語の中盤を過ぎてからである。静かな法廷で陳述書を読み上げるライネン。それはコリーニが9歳のとき、6歳上の姉と父がドイツ兵に殺害された顛末である。当時の親衛隊大隊指導者ハンス・マイヤーの名前が読み上げられると法廷の空気も一変した。


・被害者と加害者の接点が不明なときは無差別殺人か狂気によるものと思われていたが、ここにきて復讐であることは明確になったのである。しかし、なぜこんなにも年数が経過してからの復讐なのか。理由は2つある。


まず1つ目は、コリーニの伯母が亡くなったことである。イタリア在住の伯母はドイツは人殺しのいる国と言って、コリーニがドイツで働くことをいやがっていた。コリーニがドイツの刑務所に入るようなことになったら心臓がつぶれてしまうだろう。伯母の死を待っての犯行だったのである。


2つ目は、冒頭で書いた秩序違反法の一部が改正されたことと関係している。1968年にコリーニは証拠を上げ検察局にハンス・マイヤーを告発したが、時効により捜査は打ち切られ起訴されなかった。これはハンス・マイヤーに罪がなかったということではない。大戦中はイタリア国内でドイツ兵を狙うテロが多数起きていた。ドイツ軍はテロで死んだドイツ兵1人につきイタリア人10人を殺害するよう指示していた。それはテロの抑止として認められていたとのことである。ハンス・マイヤーの行為は犯罪なのだろうか。


・陳述書により法廷の空気は一変したがそれでもコリーニの罪が消えるわけではない。裁判は誰も思いもしない結末へと向かっていく。




本書の面白さは裁判のシーンだけではない。母親がいなかったライネンは子ども時代にマイヤー家で家族同然に過ごした時期があった。そしてヨハナとは恋愛関係にある。恩人を殺した犯人の弁護を引き受けてしまった。ハンス・マイヤーは日常生活で使用していた通名であった。調書や勾留状に書かれた本名を見ただけでは恩人と気づかなかったのである。


・このまま裁判を続けていいのだろうか、悩むライネン。そのライネンを救ったのは被害者側の代理人弁護してあるマッティンガーだった。

弁護人が任を解かれるのは依頼人との信頼関係が揺らいだときだけである。今回の弁護を引き受けたのはライネンの過ちだったとしても依頼人に対して責任がある。依頼人が望めば弁護を続けなければならない」老弁護士マッティンガーの言葉が刺さった。


・ヨハナとの関係もライネンに重くのしかかってきた。ハンス・マイヤーの大戦中の行為が暴かれたなら2人の関係は終わってしまうだろう。それでも結局ライネンは真実を明らかにする道を選んだ。何年にもわたって刑事訴訟を理解しようと努めて教授から学んできたが、この裁判でライネンは全く違う学びを得た。それは虐げられてきた人のことを一番に考えなくてはいけないということだった。



【あとがき】より

著者 フェルディナント・フォン・シーラッハについて


著者の祖父バルドゥール・フォン・シーラッハはナチ党全国青少年指導者であった。独裁政権の中心人物の一人であり、ニュルンベルク裁判で禁固20年の判決を受けた。著者が12歳のときに教科書を見て祖父のことをはじめて理解した。また、同級生にはヒトラー暗殺計画に参加して処刑された人物の孫もいた。彼も自分の祖父のことを12歳になるまで知らなかった。2人は大人になっても友人同士であるとのこと。詳細はエッセイに書いてあるらしいので興味のある方はぜひ読んでみていただきたい。



◆初読は2022年、そのときはただただ衝撃を受け、ストーリーに圧倒されたことを記憶している。今回、ハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」に興味を持って何冊か本を読んだことをキッカケに「コリーニ事件」を再読してみた。今回は時間をかけて2度読んで考えた。しかし、何かがわかったとは簡単には言えない。何かに盲目的に従うのではなく自分らしく生きることだと理解はしても余りにも大きな問いかけである。


◆秩序違反法をめぐり、犯罪とは何か、さらに弁護士の仕事とは何かという2つの大きな問題が投げかけられている。余りにも大きな問題なので、どう受け止めていいか困惑する場面も多々あった。


◆秩序違反法は表向きにはナチ関連の裁判を止めるために改正されたわけではない。多くの国民は本当の意味がわかっていなかったというのが現実のようである。議会側には、もうこの辺りで戦犯を裁くのはいいだろうという思惑があったのだろう。戦争中の残虐行為の一つひとつを裁いていたのなら、いつになったら裁判が終わるのかわからないというのが本音だろうか。


◆被害者ハンス・マイヤーは会社の代表として多くの人から慕われ、ライネンにも親がわりとして愛情をそそいできた。一方で加害者のコリーニも真面目な手堅い人という評判だった。なぜあんなにいい人が・・・という思いが本書の雰囲気を作っていると言っても過言ではない。それはまさに、誰もが状況によっては凡庸な(陳腐な)悪に傾く可能性があるということでもある。


◆コリーニは「死者は復讐を望まない。望むのは生者だけ」とライネンに語っている。復讐の虚しさを理解しながらも止められなかったコリーニの思い、揺れ動きながらも弁護士としての矜持を忘れなかったライネン。静まりかえった法廷で陳述書を読むシーンではライネンの声が本当に聞こえてくるかのようであった。


◆誰かと話をしたいと思っても、マイヤー家との絡みから誰にも心を開くことができないライネン。孤独との闘いでもあった。蚤の市にも行き、雑多なものを見てまわり、若い恋人同士のデートを眺め、呼び込みの男の口上を聞くライネン。感情的にならない淡々とした文章が却って涙を誘った。


やはり最後はヨハナである。「わたし、すべてを背負っていかなければいけないのかしら」と呟くヨハナ、「きみはきみにふさわしく生きればいいのさ」と応じるライネン。後日談をエピローグとして書かなかった著者のセンスに浸りながら読了した。




2024/01/28

スピリットベアにふれた島


ベン・マイケルセン(著)

アメリカ合衆国の児童文学作家。南米、ボリビアで生まれ育つ。米国西北部、モンタナ州ボーズマン在住。研究のために捕獲され、殺されそうになったアメリカクロクマを保護し20年前からいっしょにくらす。徹底した取材にもとづく作品には定評があり、8作品で30近い受賞をするなど、各方面から高い評価を得ている。




・主人公のコールは同級生のピーターに重傷を負わせてしまう。15歳にして何度も警察のお世話になっているコールは刑務所に入る可能性もある。福祉・医療関係者や警察官など手を差しのべる人々は多い。しかし少年から見れば、それらの人々は上辺だけの思いやりを見せる嫌な大人でしかない。コールの嘘と凶暴性は増すばかりであった。


・本書の登場人物は少ない。コールとピーター、お互いの両親と弁護士。更生の手助けをする老人エドウィン、保護観察官のガーヴィー。このガーヴィーが本書で重要な役割を果たすことになる。まずガーヴィーはコールを刑務所に行くことなく更生させるため「サークル・ジャスティス」へと導く。



『サークル・ジャスティス

これは通常の裁判とは異なり、被害者と加害者、双方の家族、地域住民などが参加して文字通り輪(サークル)になって座り、一人ずつ発言していく。処罰を決めるものではなく、あくまでも双方の関係性を修復する修復的司法と言われている手法である。



・ガーヴィーは、アラスカの無人島でコールが一人きりで一年間生活しながら更生する案をサークル・ジャスティスに提出し承認を受ける。物語の前半「第一部」でのコールは凶暴で誰のことも信じず、島の小屋を燃やして逃げ出そうとする。しかしどんなにあがいても少年の力では島を脱出できない。親切な人間さえも疎ましく思い悪態をついてきたコールだが島で本物の孤独を知るのである。



『スピリットベア

本書のタイトルにも入っているスピリットベアは、本来は黒い毛のアメリカクロクマの亜種で、 アラスカ先住民が精霊の熊と呼んでいる白い毛のクマである。

 

・この白いクマにコールは襲われて瀕死の重傷を負う。孤独とケガ、嵐と寒さと飢え、極限状態でコールは「生きたい」と強く願う。老人エドウィンによって救出されたコールは再びガーヴィーやサークル・ジャスティスのメンバーと一緒に今後のことを考える。


・生まれ変わったコールを人々は簡単には受け入れてくれない。スピリットベアに襲われたことも嘘と受け取られてしまい事態は悪化する。本来のスピリットベアの生息地はコールの行った島からは遠く離れていること、そもそも亜種であって稀なクマであること、コールの話はいつも嘘であることなどが原因となった。


・ガーヴィーとエドウィンは諦めることなく人々を説得しコールは再び島へ。第二部は島でのコールの更生の道、怒りとの向き合い方やピーターとの関係修復が中心に描かれる。前半は暴力、嘘、島での悲惨な出来事が続く。ザワザワ感が続き途中で読むのがしんどくなるが結末は爽やかである。諦めずに最後まで読んでよかったと思える作品である。



◆ここまではストーリーを追って本書の概要を書いてきたが、第二部で描かれるコールの日常生活に関しては本書を読んでいただきたいとしか言いようがない。この後はコールの心境の変化について、心に残ったフレーズを4つピックアップして書いていきたいと思う。



①人生はすべてホットドッグだ  

コールは空腹に耐えられなくなって急いでソーセージを焼いてパンに挟んで食べた。そのあとガーヴィーは丁寧にソーセージを焼いて味付けし、エドウィンとコールと自分用に3つに切って分かちあった。そのときにガーヴィーがコールに言った言葉である。「おまえのホットドッグはただの食べ物だった。なぜならおまえが、そうであることを選んだからだ。人生はすべてホットドッグだ。自分の人生を自分の望むようなものにしろ」

◆丁寧に時間をかけて日々の暮らしを営むこと。分かち合うこと。日々を祝いの日にすること。少々乱暴ではあるがガーヴィーらしさ全開で人生指南をしているシーンが何ともいえない余韻となって残っている。



②人は死ぬまで、怒りをを捨てるために枝を折りつづける

枝はエドウィンがコールに手渡したものである。「この枝の右端はおまえの幸せ、左端はおまえの怒りだ。左端を折って怒りを捨てろ」コールは左端を折り取る。しかし、エドウィンは「まだ左端が残っている」と言う。枝を折るコール。まだ残っていると言い続けるエドウィン。どんなことをしても枝には左端が存在するのである。「人は死ぬまで、怒りを捨てるために枝を折り続ける。だが、怒りは必ず残り、捨てきれなかったと感じる」

◆私はこのシーンが一番好き。だれもが心に怒りを抱えているが幸せの種も持っているということ。またそのあとにエドウィンは幸せも怒りも習慣だと言っている。習慣だから変えられるのか、習慣だからなかなか変えられないのか。どんなことに目を向けて日々の生活をおくるのか。自分で選べとコールに語りかけているエドウィンは暖かい。



③その時は、だれかほかの人間を助けてやれ

コールは被害者のピーターに償いたいと思っている。ピーターは重症を負わされてから、ずっと引きこもって自殺未遂を繰り返している。コールは赦すことを学んだ。腹をたてれば感情を支配する力を他人に与えてしまい操られるのだ。しかしコールは赦すだけでは何かがたりないと感じている。どうにかしてピーターを助けたいが、ピーターはその気持ちを受け付けない。このまま助けられなかったらどうする?というコールの問いエドウィンは答える「その時は、だれかほかの人間を助けてやれ」

ガーヴィーとエドウィンも過去に罪を犯しているのであった。 罪の償い方、更生の仕方も様々あると思うが、その一つが人を助けることである。被害者本人と接触が叶わない場合もある。そのときは別の形でだれかの役に立つことが癒しと償いになると2人とも語っている。被害者と関係を再構築できない状況は実際には多いのではないかと思う。小説のように上手くはいかないだろう。しかし大きな事件ではなく、日常の人間関係で考えるとどうか。修復的な関係作りというのはできるのではないだろうか。だれかの役に立つという考え方も同じである。コールは自分は大きな輪(サークル)の一部であると最後のシーンで語っている。どの部分も始まりででもあり終わりでもある。そしてすべてはひとつだ。



④見えない存在になるには、心を無にしなければならない
もう一度スピリットベアに会いたいとコールは思い続けるが、遠くに姿を見ることはあっても近づいてこない。エドウィンの助言やコールの島での体験をもとに考えると、スピリットベアと対面するためには見えない存在にならなければいけない。苦悩の中でコールは、「見えない存在になるには、心を無にしなければならない。それが秘訣だ」と理解する。見えない存在になるとは姿を消すことではなく意識を消すことである。
◆動物は本能と感覚の世界で生きている。人間は心の平穏や無の境地をなかなか持てない。以前のコールは周囲に悪意をぶつけたり、危害を加えようとしていた。心を無にするとは、同じ風景に溶け込むこと、呼吸を整えること、など様々な表現を駆使している。これはストーリーの中のニュアンスでしか理解できないのかもしれない。伝えることは本当に難しい。



◆修復的司法とはどういうことなのだろうか。裁判で裁かれるということは有罪か無罪か白黒つけることである。日本の社会では被害者救済という観点がかなり抜け落ちている感じで進められるようだ。本書に出てくる サークル・ジャスティスでは、最初は参加者は輪になって座っている→キーパー(司会)の声に従って立ちあがり両隣の人と手をつなぐ→着席しキーパー(司会)が一本の羽根を参加者の一人に渡す→羽根を持っている人だけが発言する→次の人に羽根を渡す。求められるのは誠実さと敬意だけ。被害者の立場、加害者の立場、それぞれに考えるのではなく、最終的にはどのようにして壊れた人間関係を修復しながら日々を幸せに生きるか。関係性を修復するということ。コールの島での生活は今すぐ結論を出すようなものではなく、大人たちに見守られながら歳月をかけて更生していく。非常に暖かく、そして厳しく、考えさせられる作品という読後感である。


◆つい最近私は、帚木 蓬生さんの「ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力」という本を読んだが、その本の中に日薬と目薬という言葉がでてきた。「日薬」とは、すぐには解決しないこと。待つうちに事態は自然と何とかなるようになるという考え方。「目薬」とは、人は見守ってくれる目があると苦しみにも耐えられるということ。ネガティブ・ケイパビリティは日本語では消極的能力」と訳されている。性急にアドバイスしたり答えを出させようとしない待つ能力ということになるのだろう。ガーヴィーとエドウィンの2人にはネガティブ・ケイパビリティに通じるものがあるのではないだろうか。



◆本書は中学校の課題図書になっているが、深く考えれば答えの出ない問題も多く含まれている。中学生が読むには難しいのではないかと思う。その反面、コールやピーターの怒りを一番共有できるのは同じ年齢の少年少女たちなのかもしれないという感じもする。完全にわからないなりにも何か感じるものがあれば、成長とともに何かを抱え込んでしまったときなどに、繰り返し手にとる本となるのかもしれない。いや、そうなってほしいと思う。











2023/12/26

共感的コミュニケーション

 水城ゆう(著) アイ文庫

 

◆のマークの部分は感想を書いています。その他の部分は本書の内容をまとめています。



水城さんは、NVC(非暴力コミュニケーション)を学ぶ中で、ご自身が理解・体験したことを書き残してきた。

NVCと共感的コミュニケーションはどう違うのか。答えはシンプル、「同じ」であると水城さんは答えている。

NVCは、英語圏、キリスト教圏における言葉遣いや、論理構造、発想法から生まれている。そのためNVCを学び始めたころ強い違和感を覚える人も多い。NVCを日本人に使いやすいようにするという発想で書いたという側面もある。NVCの精神を受け継ぎ、自分なりに修練し、理解を深めたものをより多くの人に知ってもらいたいと考えてまとめたのが本書「共感的コミュニケーション」である。NVCのエキスをわかりやすく解説した部分と、学ぶ中で感じたことをエッセイ風に記した部分とが混在している。

NVCの詳細については、

「NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法 新版」を参照していただきたい



◆私は2016年に水城さんの共感的コミュニケーション(2015年版)を読んでいるが、その本は現在は販売されていない。2017年に新装版が出版され、2018、2019年と続編が出ている。今回はこの3冊(2017~2019)の中からいくつか心に残った点を、ピックアップしてみたいと思う◆




【共感的コミュニケーション2017】


・共感的であるというのは、お互いに大切にしていることを尊重し合うこと。相手が大切にしていることに興味を持ち続けること。これが共感的にコミュニケーションをするための基本姿勢となる。



・共感を向ける方法はシンプルで、相手が大事にしていること、必要としていることを知り、それを尊重する。ただそれだけ。決して言われてもいないことを察して先回りして相手の望みを叶えることではない。



・『あなたが○○な気持ちになっているのは、○○を大切にしているから。○○が必要だからですか?』という文法で質問を投げかける。すると相手は「そうだ」とか「違う」とか答える。そのとき相手は必ず自分の内側を見て、自分が何を大切にしているのかを確認するのである。


・誰かに評価されることは大切なことのように思えるが、それ自体が価値があるのではなく評価されることは手段である。人に評価されることによって自分の何が満たされるのか、ということである。


・楽しい気分→良い。落ち込んでいる→良くない。このように自分を批判、評価してしまうのはいずれも自分をないがしろにしている。感情はどんなものであれ自分が何を必要としているのかを示す大切な指針である。自分自身をないがしろにしないためにはこれを丁寧に扱う必要がある。


・満たされなかったニーズがある場合は十分に嘆く必要がある。十分に嘆かれていないニーズは自分の中にしこりのような禍根を残し後で悪さをすることがある。十分に嘆かれたニーズは自分の中に大切なものとして存在し再び満たされる機会をうかがう。


・誰かの悪口、決めつけ、あの人から嫌われているとかいうジャッジは、ときに快感である。自分の安全安心のニーズから生じる行為である。そこに自分のニーズがあることを否定する必要はない。ただし、それを相手に直接ぶつけると対立を生むことになる。自分の中や信頼できる仲間と十分に毒を吐いてみることも時には良い。十分に楽しんだなら共感の世界に移行しよう。


・身近な関係でコミュニケーションの方法がパターン化していて、共感的なコミュニケーションへと移行するのが難しいこともある。そこから抜け出すには、まず非共感の鎧を脱ぎ、正直で無防備になる必要がある。非共感の鎧とは人を決めつけ評価し判断し、分析し、非難し、アドバイスし、同情し、こちらの思考で相手のことをあれこれ考えてやってしまう反応のことである。


・小学校でいじめ防止プログラムとして、友達の良いところをあげて発表するという方法がある。子どもたちの繋がりをつくるように見えるこの方法も評価方式の上に成り立っている。良いと評価することは悪いと評価することと表裏一体、同じ心理で行われている。同情ではなく共感する。それはお互いの違いを受け入れることであり、お互いが大切にしていることを尊重し合うこと、評価システムではそれができない。



◆ほんの一部だけポイントを取り上げたが、具体的な事例も多数書かれている本なので興味のある方はぜひ読んでみていただきたい◆




【共感的コミュニケーション2018】


2017のリリース後に行った勉強会や活動のなかでの気づきを書いた本である。


・あらためて共感を考えてみる。

誰かに共感する、ということは結果ではなく、その過程であり態度/ありようが重要なのである。この人は何を大切にしているのだろうと、相手に興味を向けるとき、あなたのその態度/ありようが変化している。その変化しているあなた自身の様子のことを共感的という。


・感謝するとはどういうことか。

人は2種類のことしか言っていない。「ありがとう」と「お願い」だ。これはマーシャル・ローゼンバーグの言葉である。ありがとうはニーズが満たされたとき、お願いというのはニーズが満たされていないとき。感謝するのは、誰かに強制されたり何らかの手順の中で決められた通り行うものではない。何らかのニーズが満たされたとき、ありがとうが自然に出てくるのだ。


・対立は手段のレベルで生まれる。

互いに自分の手段を手放さず、執着してこだわっている限り対立は解消されない。手段のレベルからその手段を取ろうとしているのは何のニーズがあるからなのかというレベルへと降りていったとき、そこには対立ではなく相互理解が生まれる。


・人間にはもともと、相手の感情や動作、姿勢を無意識に写し取ってしまう心の働きがある。社会的な動物として必要があってそういう働きを持っている。だが、ときにはそれがやっかいなことを引き起こす。では、どうすればいいのか。

①その場を離れる。逃げるというのも一つの方法。

②相手の言動や感情は、相手のニーズが満たされたり満たされなかったりしているために現れているもので、こちらとはなんの関係もない。つまり、相手が何を大切にしてるのか、どんなことを必要としているのか、そのことに注意や好奇心を向けていくのだ。そのとき、こちらはこちらのままでよく、相手の言動や感情に振り回されることなく、ただ相手に好奇心を向けていくだけだ。


・特定の相手に何か言われると反射的にカッとなって決まりきったパターンで返してしまう。その相手の言動を変えることは難しい。こちらが変わるためには、「なるほど、自分はこう言われるとこんなふうに反応してしまうんだな」と客観的に理解ができるかどうかがポイントになる。


・「ただ共感すること」を勧めると、そんなことをしたら、相手はますます図に乗るのではないか、自分ばかり不利な立場になるのではないかという不安に襲われてしまう人がいる。しかし、今相手が必死にしがみついている方法でなくても、ニーズは満たせるということに気づいてもらえれば、相手にも余裕が生まれ必死の態度は消えることが多い。


・共感的コミュニケーションでは「コンテンツを聞くな」という。つまり相手の言っている内容や意味をできるだけ聞かないようにしようと言っているのだ。代わりにそこに見える相手の様子、感情、ニーズなどに注目する。


◆水城さんが作家活動や朗読療法、共感カフェなどの多彩な活動のなかで日々感じていることがエッセイ風に書かれている。




【共感的コミュニケーション2019】


共感的コミュニケーションの勉強会が増え、自ら教える人も急増してきている。希望を感じると同時に、形骸化が起こったり似て非なる偽物が蔓延したりするのではないか。どのようなスタンスをとっていくか模索し続けた一年間の記録である。



・2019は「縁側の復権」というタイトルがついている。昔の家には縁側があった。そこでは、おばあちゃんや母が自然に、ただ自分の仕事にマイペースで没頭していた。つまり、おばあちゃんや母は自分自身に繋がっていたのである。いつもそこにいて話を聞いてくれる。彼女たちはただ自分のことをしていて、しかし同時にこちらにも耳を傾けていて、どちらも積極的な感じはどこにもなかった。自分のことをするのも、遊んでいる子どもを見守るのも、積極的にではなく自然にごく普通に行っていた。そのことが私を安心させていた。共感的コミュニケーションにおいて、もっと自然に普通に人と人が繋がって安心し合える関係を持つことはできないだろうか。


・人の話を共感的に聞くというのは、その人にきちんと向かい合い、話を完全に受け取り、集中して感情とニーズに注意を向けることだと考えて努力をする。しかし相手にとって、そんなふうに全力で聞かれるのは一種のプレッシャーになるのではないか。


・いつでも共感的であればならないという一種の強迫観念に似た自分教育が生まれることがある。相手に対しても自分に対しても、いついかなるときでも常に共感的であり自分と相手を尊重し、思いやりを持って繋がることを目指すことを自分に強要してしまう。しかしそんなことはなかなか難しい。もちろんそれは理想であるが、共感にも様々の濃さや姿勢やベクトルがあっていいのではないだろうか。


・「自分がやりたいことだけやりなさい。やりたくない、気が向かないことは一切やらない方がいい」とマーシャル・ローゼンバークは説いている。すると「そんなことをすると世の中が混乱するんじゃないですか」と聞く人がいる。その心配も理解できるが、わがままに振る舞うことと、自分のニーズに忠実で正直であることは別のことである。


・わがままというのは、互いに主張し合って対立することである。さらに一歩踏み込んで、自分は、あるいは相手は何を必要としているからこそ、そんな方法を主張しているのだろうかと見ていくのが共感的コミュニケーションの方法である。そうすれば、お互いのニーズをないがしろにせず協力し合ってやっていく方法はないものだろうかと考え始めることができる。


・共感的コミュニケーションの考え方や権利は非常にシンプルでわかりやすく、誰でも伝えることができる。問題は、実際にそれを実践できるようになるかどうかだ。ワークショップや勉強会でも実践的な練習を提供している場はあるが、日常生活の中で参加者がそれぞれやってみて、実際に身につくようになるかというと、それはまた別の話である。共感的コミュニケーションを身につけるには、練習そのものを習慣化する必要がある。


◆2019の後半では、様々な練習方法(習慣化させるための方法)が紹介されている。主なものは、共感手帳(エンパシーノート)、共感カフェ、共感文章講座、ブログ「水の反映」、音読療法、編み物カフェ、などである。詳細な実践方法については、本書を実際に読んでいただきたい。音読療法については音読療法の基礎という本も出ている。日々の健康法や介護予防、うつなどこころの病の予防法としても効果がある音読療法(自分自身の呼吸と声を使ったセルフメンタルヘルスケア)は、深呼吸というよりも音読で息を吐くことに重点をおく感じである。また、文学作品など他人の書いた文章を読むことで、自分の内部の雑念や感情、反芻思考を手放していく方法でもある




◆2017~2019の3冊を読んで感じたことは非常に正直に書いているということである。NVCを学び、実践するものとしての気負いはまったく感じられない。むしろ他人に共感できないときや愚痴がとまらないときにこそ自己共感のチャンスとして優しく捉えていることに癒される思いである◆


◆NVCにはKD(Key Difference)といわれているカギとなる差異がある。わがままと正直は違うというような小さな違いのことである。この3冊には日々感じる小さな出来事を掘り下げる内容が多い。似ているようだが「これとこれは別物だ」 「こういう考え方はまた別だ」というような表現を多用することで理解しやすい文章に仕上がっているのである。日本人が馴染める表現にするという水城さんの熱意と繊細な感性が伝わってくる清々しい読後感だった◆


◆2016年にはじめて共感的コミュニケーションを読んだときには、正直なところ本質的なことは理解できていなかった。2016年当時は音読のテキストを探していたような記憶もある。もしかしたら共感に重点をあまり置いていなかったのかもしれない。最近になってマーシャル・ローゼンバーグ氏の本を3冊読んだところ、少しずつだが何だかわかってきたような気がしている。そしてそのあとに水城さんのことを思い出してAmazonやブログをあらためて拝見した(そこで水城さんが2020年に旅立たれたことを知ったのである)私は遅々とした歩みで行きつ戻りつしながら学んでいるので、ここまで来るのに7年もかかってしまった。もっと真剣に学んでいたならば、とっくに人生変わっていただろうという後悔もある。しかしこれが私なのだと受けとめることにした。そしてこれからも遅々とした歩みで迷走しながら学んでいくことだろうと思う◆










2023/11/28

【NVC】人と人との関係にいのちを吹き込む法

 



アメリカの臨床心理学者
マーシャル・B・ローゼンバーグ(著)

◆のマークの部分は感想を書いています。その他の部分は本書の内容をまとめています。





 

 

『NVCとは何か』

 

NVCが、基盤としているのは、過酷な状況に置かれてもなお人間らしくあり続けるための言葉とコミュニケーションのスキルである。

 

具体的には、自分を表現し、他人の言葉に耳を傾ける方法を組み立て直す。反射的に反応するのではなく、自分が何を観察しているのか、どう感じているのか、何を必要としているのかを把握した上で、意識的な反応として言葉を発するようにする。


 

『NVCの4つのプロセス』  

第1の要素は【観察 Observation】状況を観察し、人が言ったことやしたことが私たちの人生の豊かさにどう影響しているかを、判断や評価を交えずに述べる

  • 観察は重要な要素だが、評価と観察を一緒にしてしまうと、こちらが伝えたいメッセージを相手が聞き取ってくれる可能性が減ってしまう。相手はむしろ批判として受け取り、反発する可能性が高い。


第2の要素は、
感情 Feeling相手の行動を観察したとき、自分がどう感じるか 

  • 自分がどう感じているのかを表現する。いつの時代も価値が置かれていたのは正しい考え方であり、感情は重要視されていなかったため、人間の感情を表現する語彙は少ない。自分の感情を表現する語彙力の向上に努めれば人間関係にプラス効果がある。


第3の要素は、
ニーズ Need自分が何を必要としているからそのような感情が生み出されているのかを明確にする 

  • 評価する、一方的に解釈する、勝手に想像するといった形で何かを表現すると、言われた側は批判されていると受け止めがちだ。それよりも、感じていることを自分が必要としていることと直接結び付けられれば、相手は思いやりを持って答えやすくなる。

第4の要素は、リクエスト Request相手に私たちの人生を豊かに、そして素晴らしくするための具体的な要求をする 

  • 自分の必要としていることが満たされていないとき、観察し、感じ、自分が必要としていることを自覚し、さらに具体的な要求をする。何を要求していないかではなく何を要求しているかを表明する。要求に応じなければ、非難されたり、罰せられたりすると相手に思われてしまうと、要求は強要となってしまう。

 

NVCとは、この4つの情報を、言葉、あるいは言葉以外の手段で非常に明確に表明すること。そしてまた、この4つの情報を他者から受け取ることで成り立つコミュニケーションである。


◆NVCの4つの要素はシンプルで分かりやすい感じを受けるが、一つ一つを考え始めると深い内容が語られていることに驚く。批判せずに周囲を観察できているか。これだけでも本当に難しいことなのだと痛感する。本書を読むのは非常に時間がかかった。それはこの最初の部分で考えさせられることが多かったからである。

◆ニーズは日本人にも馴染みのある言葉だがNVCのニーズとは生命を維持するためにどうしても必要なものと著者は説明している。具体的なものとしては、空気や水、食料、休息など。さらには、理解や支援、正直さ、意味など心理的なものもある。人はみな、国籍や宗教、性別、収入、教育などの違いを超えて基本的に同じことを必要としているが、ニーズを満たす手段は受けた教育や文化によって違うとのこと。ニーズもまた解釈の難しい要素である。NVC JapanのHPに掲載されているNVC入門講座の動画4本のうち、「その2/4」でニーズの解説をしている。

【動画】NVC入門講座 by マーシャル・ローゼンバーグ

ニーズは好みとは違っていること、相手の人をニーズの中に入れてはいけないことなどをキリンとジャッカルのパペットと使って語っている。この概念が理解できなければNVCの実践は困難になるだろうと思う。HPには資料も多数掲載されていて、ニーズを表現する言葉の一覧表もあるので興味を持ったかたは参考にしていただきたい。

◆本書にはエクサイズや事例がたくさん出てくる。繰り返し繰り返し4つの要素を解説しているが後半は共感の仕方や紛争解決の方法など具体的な活用例になっている。とにかく事例が豊富なので、実際に読んでいただきたいとしか言いようがないが、面白かったポイントをいくつか、まとめておきたいと思う。 

 

 

『思いやる気持ちを妨げるコミュニケーション』

私たちには、生まれつき人を思いやる気持ちが備わっているというのに、それをなかなか発揮できなくなっているのはなぜか。それは言葉が非常に重要な役割を担っているからである。あるタイプの言葉とコミュニケーション方法=「心の底からの訴えを遠ざけてしまうコミュニケーション」は、人や自分に対して暴力的に働く一因となる。このようなコミュニケーションは自分自身も自分以外の人も傷つけてしまう。

 ▶心の底からの訴えを遠ざけてしまうコミュニケーション 

    1. 道徳を振りかざして人を裁く
    2. 比較というかたちで人を評価する
    3. 自分の責任を回避しようとする
    4. 自分の願望を強要する

 

 

『共感を持って受け取る』

 ・共感とは、自分以外の人の経験を敬意とともに理解することだ。相手に対する先入観や決めつけを排除したとき初めて共感が生まれる。共感を求めている人にとって、励ましや改善策のアドバイスを欲しがっていると思われることはフラストレーションとなりかねない。共感をするために大切なのは、ただそこにいるということである。努力しているにもかかわらず、どうしても共感できない。もしくは共感する気になれない場合は、自分自身が他者からの共感を強く望んでいて、それが妨げになっているというサインである。

 

 

『思いやりを持って自分自身とつながる』

・NVCは、自分自身との関係作りにおいて最も真価を発揮する。自分自身に対して暴力的になっているとき、自分以外の人に心から思いやりを持つことは難しい。自分自身を批判したり非難したり、強要したりするコミュニケーションを繰り返し取り続ければ、自分が人間というよりも、モノに感じられてしまう。自分が必要としていることがどのように満たされているかといった視点で、自らを評価するとことを学んだ方が得られるものは、はるかに大きい。



『自分を許す』

・もしも自分の言動に対し、「ほら、またしくじった!」などと、とがめだてをする自分に気づいたら、すぐさまストップして自分に問いかけてみる。道徳をふりかざして厳しく叱責している奥には、どんなニーズがあり、何を満たそうと願っているのだろうか。

・悔やむプロセスをフォローするのは「許すプロセス」である。いま悔やんでいる自分の振舞いは、元々自分が必要としている何を満たすための振舞いだったのだろうか。人はどんなときでも自分が必要としていることを満たすために、そして価値観に忠実であろうとするために行動する。結果的に後悔したとしてもである。

  


『怒りを十分に表現する』

・NVCへの理解を深めるための絶好のきっかけとなるのが、怒りという感情である。怒りが生まれるのは相手を責める選択肢を選んだときだ。怒りを無視したり、押し込んだり飲み込んだりすることではなく、それよりも怒りの核心を心の底から十分に表現することが必要だ。

・怒りを十分に表現する第1ステップは私たちの怒りの責任から相手を解放することである。「彼、彼女、彼らが、ああいうことをしたから、私は怒ったのだ」という考えを手放すこと。人の言動は私たちの感情を刺激することはあっても、感情の原因とはならない。怒りが湧く度に相手の落ち度を探す。私たちは人に対して、間違っている、あるいは罰に値すると裁定を下し、相手を非難する。これが怒りの理由であると考えられる。

・義憤に駆られることもあるのではないかという疑問もでてくるだろう。しかし、罪を犯した人はどんな人間なのかといった意見に賛成したり反対したりする代わりに、自分たちが何を必要としているのかに注意を向けることで人生により貢献できる。自分が必要としていることを満たすにはエネルギーが必要だ。怒りは私たちのエネルギーを「人を罰すること」に向けてしまう。そのため、自分が必要としていることは満たされないままとなる。大切なことは、義憤に駆られるのではなく、自分自身、あるいは相手が必要としていることと共感を持ってつながることである。

 


『紛争を解決する』

・NVCを活用して紛争解決を行う場合、どんなケースであってもこれまで述べてきた原則通りに進める。最も重要なのは、当事者同士が人としてのつながりを築くこと。また、目指すゴールは自分の意向に沿って相手が動く状態ではないことを当事者双方があらかじめ理解しておく必要がある。その理解があれば、話し合いが実現できる。多くのプロの調停者の調停方法と、NVCを活用する場合とでは大きく異なる。多くの調停者は、紛争の当事者同士の関係を築こうとするより、争点を把握し、そこに焦点を当てて調停を進める。人と人との関係をより質の高いものにしていくことには、全く目を向けようとしない。

 


『力を防御的に使う』

・状況によっては対話の機会が生まれないこともある。そうなると、人命あるいは個人の権利を守るために力の行使が必要になるかもしれない。「力の防御的行使」は被害あるいは不正を防ぐことが目的だが、「力の懲罰的行使」は悪事と思われる行為を働いた個人に苦痛を与えることが目的である。

・懲罰的な力の行使は敵意を招きやすい。懲罰を与えられた側の善意と自尊心は損なわれ、行動の本質的な価値よりも結果のみを考えるようになる。非難や懲罰は、私たちが相手のなかに引き起こしたいと願っている動機の芽を摘み取ってしまう。力を防御的に使う場合は、相手に対して、あるいは相手の振舞いに対して評価を下してはいけない。

 


『感謝を表現する』

・賞賛と賛辞の言葉が、よりよく生きることを遠ざけているなどというと多くの人は驚くだろう。しかし賛辞は話し手が判定を下す者の座に収まっていることに注目すべきである。相手への評価は肯定的なものでも否定的なものでも、心の底からの訴えを遠ざけてしまうコミュニケーションである。企業で研修を行うと称賛と賛辞は効き目があるという考えの管理職に出会う。賛辞により受け手がよく働くようになったとしても、それは長続きしない。操作してやろうという意図で褒め言葉が使われているのを察したとたんに生産性は落ちる。

・感謝の言葉を優雅に受け止められる人はめったにいない。自分はそれに値するのだろうかなどと考えてしまうからだ。人と人は互いの人生の質を高めることに貢献できているという現実を、喜びとともに受け取ることが大切である。私たちは感謝の言葉を受け取ると落ち着かない気分になるくせに、大抵の人は純粋に認められて感謝されることを熱望する。何とも矛盾した存在なのである。



◆どんなに頑張っても相手側にコミュニケーションをとる意志がない場合や、自分が相手に共感できない場合のことなども書かれている。この類の本で、ここまで書くのは珍しいのではないだろうか。とくに「力を防御的に使う」の章は共感できる点が多かった。しかし相手の言動を評価せずに介入するのは難しいことだと思う。これまでNVCの本を2冊読んできた。しかしまだまだ十分に理解できてはいない。引き続き勉強していくつもりだが、とりあえずは一旦読了とする。



2023/11/03

口ぐせで人生は決まる


 


~こころの免疫力を上げる言葉の習慣~

 中島 輝(著)







近年急速に自己肯定感という言葉が広がり始め、同時に誤解も多くなってきた。本書ではまず自己肯定感とは何かを考え、どうしたら自己肯定感は高くなるのかを説明している。

自己肯定感が高いイコール自己評価が高いと思っている人がいるがこれは間違いである。人間は社会的な動物であり社会の中で生きている限り心に傷を負う。この場合の対処法は2つ。まず攻撃を防御すること。そしてもう1つは早く回復すること。心にも免疫力があり自然治癒をさせることができる。この心の免疫力こそが自己肯定感である。


ではどうすればいいのか。

心は「言葉」で作られているので、この言葉の習慣を改善することで回復していくのである。


『人間は地球上でただ1つの知的生命体』

知的生命体には3つの特徴がある。

    1. 言葉を持っていること
    2. 時間の概念があること
    3. 発想力をもつこと
※ここで重要なのは、時間の概念も発想力もすべて「言葉」があって生まれたもの、すべては言葉から始まっていることである。

・私たちは声に出さなくても頭の中で、常にいろんな言葉を思い浮かべている。さらに他人との対話、自然に耳に入ってくる会話、SNSやテレビの声、駅のアナウンスなどを入れると莫大な数の言葉を浴びている。その中で自分でコントロールできるのは、自分自身が口にする言葉しかない。だからこそ口ぐせを意識していくことは重要になる。


『言葉の習慣』

・口ぐせの習慣を変えると聞いて、どんなイメージを持つだろうか。ネガティブな言葉からポジティブな言葉への言い換えではないだろうか。しかし、言い換えのパターンを1000個覚えたところで何の意味もない。口ぐせとは、意識せずとも出てくる言葉のこと。

・言い換えの意識が頭にあるうちは口ぐせとは言えず、習慣そのものの変化とは言えない。目的はあくまでも失われた自己肯定感を取り戻すことである。その手段として言い換えがある。言い換えの丸暗記にならないように注意が必要。

・言葉の習慣とは単語レベルの問題ではない。例えば口調や声のトーン、言葉を発するときの表情、長い文章を話すときの言い回しなど、言葉にまつわる癖の全てに変化の余地がある。

・自分の口ぐせを振り返ろう。直視して向き合わないことには改善は始まらない。まずはありのままの言葉の習慣を把握し、受け入れることから始めていく。


『口ぐせを振り返る』

(1)口ぐせのジャーナリング

やり方としては誰かと話した後などに、自分がどういう言葉を使ったか、どんな話題についてやり取りしたか記録をつけていく。

(2)会話を録音する

会話を録音して聞き返す。

3)人に尋ねる

普段からよく話している相手に「私ってどんな口ぐせがあるかな」と直接尋ねてみる。

(4)LINEを見返す

テキストなので、単語や文章の言い回しだけにはなるが、視覚的に振り返ることで、よりしっかり口ぐせを認識できるメリットもある。

(5)日記をつける

日記が個人的なものであればあるほど自然と出てくる率直な言葉を振り返る材料になる。


『身に付けたい4つの口ぐせ

・まずは自分の口ぐせを振り返る。そして危険信号の口ぐせを知り、自分が使っていないかチェックする。そうしたら次はいよいよ「いい口ぐせ」のインストールを。

①肯定語を多用する

「できる」

「大丈夫」 

「OK」

「何とかなる」などが肯定語の代表格。

注意すべきことは、自分の心に嘘をついて八方美人になってしまうこと。言うべきNOやNGは大事にしよう。

②「かもしれない」をつけ足す

よくない口ぐせを止めようと意識しても最初はなかなかうまくいかないかもしれない。特に否定語を使いがちな人が肯定語を使うのは考え方を180度転換するようなものだから難しい部分もある。否定語が顔を出してしまったときには「かもしれない」という言葉を付け加える。

「もう無理・・・」の後に「かもしれない」と言うのである。

これは心理療法の現場で使われている脱フュージョンというテクニックACTから派生した考え方で、ネガティブな感情と距離をとって、負のループに陥りにくくする手法である。

駄目だというネガティブな感情だけに頭を占領されず、別の要素を入れたり、第三者目線を取り入れたりしてマイナス感情と距離を取ることに狙いがある。

アファメーションを習慣化する。

アファメーションとは肯定的な自己宣言のこと。思い描いている理想や、望む結果を言葉にして宣言し、自分自身に語りかける。これだけ聞くと怪しい宗教のように感じるかもしれないが、アファメーションの効果は様々な実験によって実証されている。

にこやかに声を響かせる

話し方によって自己肯定感を高めることもできる。ポイントは声量と表情、大きな声を出すことによって脳内にアドレナリンが分泌され、より大きな力が発揮できる。どんなときでも口角を上げて笑顔になれば心に非常に良い影響が生まれる。大声を出すのが苦手な人は、誰かになりきって話をしてみるのもいい。


『ありがとう

・「ありがとう」は口ぐせの中でも最強のものである。これは言うまでもなく感謝の言葉。「ありがとう」と口に出すとき、心は必ずポジティブな状態になる。

・「ありがとう」は言った側も言われた側も絶対にポジティブな気持ちになれる魔法の言葉である。脈絡がなくても、心が伴っていなくても構わない。思ってもいないのに「ありがとう」なんて言いたくないという人がいる。しかし、意識的に「ありがとう」と言葉にすることには大きな意味がある。

条件反射的に、「ありがとう」と言ってみると、その言葉がワンクッションになるので、冷静に次の選択肢を考えるれるようになる。それだけではなく、だんだんと自分自身への感謝の気持ちも湧いてくる。そうして少しずつ自分を受け入れられるようになる。

・口ぐせとして「ありがとう」をたくさん言うようになると、「ありがとう」を見つける目が育っていく。物事の肯定的な側面を見て、些細なことにも感謝ができるようになる。ぜひ、「ありがとう」を口ぐせにして、うまくいく人生を送ってほしい。


『習慣化すること』

・脳は繰り返しを優先するという事実がある。受け取った言葉が真実かどうかに関わらず、もうそれを真実として受け入れて優先するようになる。繰り返しメソッドは2つのやり方がある。

①その場で同じ言葉を繰り返す

3回繰り返すことがおすすめ。大丈夫と思ったとき、「大丈夫、大丈夫、大丈夫」と3回唱えてみる。そうすることで脳にとっては大丈夫ということが優先されていく。

②毎日繰り返すこと

おすすめは朝一番に繰り返すこと。朝の時間を少しだけ良い方向へ向けることで、人生は大きく変わっていく。

・習慣化にはまず2ヶ月。

ロンドン大学のフィリップ・ラリー博士らの研究によると、単純な事柄であれば、21日間続ければ習慣化するとのこと。複雑な変化であっても、2ヶ月ほど継続すれば習慣化するとも言われている。


『ネガティブ感情

・ネガティブ感情は吐き出して捨てる。言葉に義務感を持つのはやめる。これは言っちゃ駄目、こんな言い方をすべきじゃないという思考で自分を縛らない。

・どんなに自己肯定感が高い人でも、ネガティブな感情が湧くことはある。つらい気持ちになったり落ち込むこともある。それに蓋をしたら心の中に溜まってしまう。それでは全くの逆効果。悪い口ぐせを一度でも言ってしまったら取り戻せないなんてことはない。自己肯定感はいつからでも取り戻せる。ネガティブな感情を否定するのではなく、受け入れて、そこから素早く回復できる方法を行っていくことが、自己肯定感の高いアクションだと言える。


『ポジティブ信仰の危険性

・自己肯定感の勘違いの中に、自己肯定感が高い人はポジティブであるという考え方がある。だが、自己肯定感を高めるというのはポジティブになることではない。ポジティブ信仰は強くなりすぎると危険である。

・不安や恐怖といったネガティブ感情は生きるために必要不可欠な感情である。だからこそ自分の中にあるネガティブな要素を受け入れた上で、ポジティブな側面に光を当てることが重要になる。ポジティブな感情も、ネガティブな感情も使いどころや使い方を間違えないことが何よりも大切。


『心理的安全性と安心感

・心理的安全性とは、自分の言動に対して拒絶されたり罰せられたりする不安や恐怖のない状態のこと。心理的安全性は、外的要因による安全の保障のことである。安心感とどう違うのか。安心感は内発的なもの。安心感を作るのは誰かではなく、自分自身である。

・安心感を生み出す3つの要素

①心のシェルターを持つ

自分にとって安心安全なコミュニティを持つ。もしくはこの人がわかってくれればいいと思えるシェルター的な人物を持つ。

②世界の広さや人生の長さを知る

人生を一つの側面、一時的、一点だけで見ない目線を持つこと。もしこの1つが駄目になっても別の道がある。これで人生が終わるわけじゃない。そんなふうに思える感覚が生まれていくと、肩の力が抜けて安心感が強まっていく。

③人を信じること

もっと人を頼ってもいいんだと気づけたら、安心して生きていけるようになるはずである。

 

『再び、自己肯定感とは何か

自己肯定感とは「こころの免疫力」心が風邪をひいてしまわないよう予防してくれるものである。ここではさらに6つの観点から説明していく。

自尊感情

私という人間が、あるがままに、ただそこに存在しているだけで価値があると思えている状態のこと。基本的人権に近い考え方かもしれない。

自己受容感

自分のポジティブな面も、ネガティブな面も受け入れられる感覚。これが自分なんだ、これでOKなんだと思えること。

自己効力感

自分は何かを成し遂げられると思える感覚が自己効力感。あまり高い壁を見上げていると、自分にはどうせ無理だという声が頭の中に響くようになる。スモールステップを使ってみよう。

自己信頼感

自分自身を信じられる感覚のこと。自分の未来を信じてその力を頼りにするというのが一番近い感覚かもしれない。自分のことを信頼できていないと、他者の言動に左右されがちになる。

自己決定感

自分で選択したり決定したりすることができるという感覚のこと。自己決定の低い人は幸福感も低くなる。その結果、今の自分がこんなに不幸せなのはあの人のせいだと他責的な発想をするようになる。

自己有用感

周囲の人や社会にとって、自分は役に立てていると思える感覚のこと。この実感はそのまま私はここにいてもいいんだという安心感や所属感につながる


・専門家も含め、多くの人は自己肯定感のことを一つの感情として考える。そのため、何かが足りていないだけなのに、自分を全否定してしまう。足りないところに目を向けすぎず、セルフチェックのツールとして、この6つを覚えて自分に足りないパーツの口ぐせを重点的に備えていけばいいのである。


『最終目標

最終目標、それは自立である。ではそもそも自立とはどのような状態を言うのか。自立には2つの観点がある。1つは経済的自立、もう1つは精神的自立。自己肯定感を高める最終目標は、心の問題なので精神的自立のことを指す。

・精神的な自立とはどんな状態なのか。自分で考え自分で決めること。精神的に自立することによって、人は自由を勝ち取ることができる。選択権や決定権を持ち、実行力があること。注意してほしいのは孤立や独立ではないということ。私達は人との繋がりなくして安心感を醸成することなどはできない。


『おわりに』

・私達はありのままの自分で自由に生きていくことを求めている。とりあえず本書で紹介した口ぐせを言ってみてほしい。「ありがとう」って毎日言うと自己肯定感が上がるらしいよ、という言葉を信じて実践してみるのである。よい口ぐせは、スーパーに買いに行く必要がないのでお金がかからない。時間も使わない。どこにいてもできる。今すぐに試せることである。


まずは「ありがとう」

その一言からあなたの人生が変わり始める。

 

◆著者の中島さんは、25歳から10年もの間、引きこもり生活をしていたとのこと。自殺未遂を繰り返す困難な精神状態の中、独学で心理学やセラピーを学び、自ら実践し、回復した過去をもつ。大変な体験を乗り越えてきたからなのだろうか、優しい平易な言葉のなかにも説得力がある。強く共感しながら読了した。本書にはよい口ぐせの例もたくさん掲載されているので、興味のあるかたはぜひ読んでみていただきたい。

◆たとえ本心からでなくても「ありがとう」と言うと、その言葉がワンクッションになって、冷静に次の選択肢を考えるれるようになる。この一文が本書で一番心に残った。仕事でお客様さまと話しているときに、何となく間がもたなくなって「ありがとうございます」と言ってしまうことがあった。何が「ありがとう」なのかよくわからなくても、それでも言っていい言葉なのだということがわかって何だか安心した。とても読みやすくて、読むこと自体が癒される体験だった。