2023/08/09

グラッサー博士の選択理論(9)信頼される生き方

 



ウイリアム・グラッサー著

選択理論の基本の書(実践編







第二部      実践編

第9      信頼される生き方


私たちは意識して両親を上質社会に入れるわけではない。両親のことを自覚したときにはその選択をしてしまっている。ほとんどの人にとって、それは一生続く。自分を育ててくれた両親を上質世界から剥がし取ることはほとんど不可能に近い。なぜならほとんどの場合、それに取って代わるものがないからである。

虐待を受けている子どもは自分が必要とする人々を喜ばせようと必死になってひどい仕打ちも受け入れる。代えがたいと思っている人から引き離されるという考えよりも、虐待からくる苦痛ははるかに耐えやすい。こうした多くの子どもたちにとって、両親以外に関わることができるのは教師である。しかし私たちの学校を支配している外的コントロールシステムは、こうした若者の多くから機会を奪い取っている。

選択理論を家族、特に子育てに適用することによって人間関係の問題の多くをどのようにして防げるか、その方法についてこの章で説明をしていく。

 

『選択理論、家族、子育て』

  • 家族の不幸の大半は、親が善かれと思って子どもを強制し、したくないことをさせようとすることである。子どもたちは、特に成人した子どもたちは自由を求めて、親のすることに抵抗する。
  • 親が次のように言うのが聞こえてくる「"親としての責任を放棄するのですか、子どもがしたいことを何でもさせるのですか」もちろんそうではない。子どもに対応するときには限界を知り、この限界の中でできるだけのことをしなければならない。親には限界があり、自分の行動しかコントロールできない。子ども、親、配偶者を含め他の人々に対して与えることができるのは情報である。この情報は、脅迫、賄賂、殴打、監禁であるかもしれないが、それでも情報である。
  • 選択理論による子育ての原理は、子どもが成長して幸せになり、成功し、親と親しい関係を持ち続けてほしいと親が願うなら2人の距離を引き離すと思われるようなことをしない選択をすることである。この原理が意味することは、親しい関係を維持したいと思う人に対して批判しない、脅さない、文句を言わない、馬鹿にしない、罰しない、賄賂を与えないということだ。実際には、この原理は、あらゆる人間関係に適用できる。

 

『選択理論を使った子育て』

  • 選択理論は、問題の解決よりも、問題の予防に用いられるときに効果がある。ほとんどの親にとって最大の関心事は子どもたちの将来である。私たちのほとんどは、子どもたちがずば抜けるような事を望んでいない。どんなに努力しても、子どもたちを頂上に押し上げるためにできることは、ある点を超えると何もないということである。親は援助や支援はできるが、最終的に子どもたちがどうなるかコントロールはできない。
  • 外的コントロール心理学の第3の信条は「子どもたちにとって何が正しいかを私たちは知っている」である。これに従ってわたし達のほとんどは、子どもたちに自分たちが正しいと信じていることをさせようとして、褒美で釣ったり、罰を与えたりする。それをし続けるが、子どもを理想とする地点にまで導くことは失敗し、親子の関係を破壊してしまう。
  • 愛に関する限り、具体的な行動と相手を結び付けないことだ。子どもが何をしても、あなたが子どもを愛していることを明確にすることだ。しかし、子どもが無軌道な行動をしているときには、愛することは容易でないと素直に言うことだ。
  • あなたが子どもを愛していることを伝える最善の方法はいつも話すこと、聞くことの用意があることだ。このような態度でいると、あなたには自分の意見を述べる権利があり、子どもが何か変なことをしていたりしようとしているときには、それについて自由に話すことができるはずである。これは結婚で用いられるサークルに匹敵する。子どもと親の解決のサークルである。
  • 選択理論の人間関係の基礎は信頼を確立することである。これは子どもが何を言っても、また何をしても、親が子どもを拒否することはないということを意味している。しかし同意できないことをも支持するという意味ではない。
  • 子どもの信頼を回復する唯一の方法は、子どもと話し、子どもの話に耳を傾けること、そうしながらお互いが接近することである。親が間違いを犯したら、すぐに親は間違いを認めなさい。あなたは子どもに完全であることを期待しないし、あなたもまた完全ではない。過ちを犯すことを認めることは信頼を確立し、また回復する。
  • 選択理論は次のようなメッセージを送り続ける。「私はおまえに自分の間違いから学んでもらいたい。もし私たちのどちらかがお前の選んだ行動に不満足であれば、親の責務は話し合い、より良い方法を見つける手助けをすることだ。どんなときにも、より良い方法はある。しかしながら、おまえがあまりにも若すぎて、どんな方向に向かっているかわかっていないと思えるときには介入して、おまえのしていることを止めるつもりだ。しかし、親の目的はおまえを止めることではない、おまえが後悔するようなことをする前に学んでもらうためなのだ」ここでも信頼がとても重要である。
  • 子どもが自分で処理できると思えることにはできるだけ多くの選択の自由を与える。しかしまだできないと思えるなら、子どもができると思えるようになるまで、心を開いて、繰り返し話し合いをする。強く主張する価値があると思うことは主張して良いが、なるべく少ない方がいい。

『虐待された子ども、または、子どものとき虐待された大人への対応』

  • 虐待が現在も進行中であるなら、それを止めるためにあらゆることをしなければならない。たいてい子どもをその状況から引き離すことを意味している。しかし、しばしば虐待が発見されたときには既に虐待は止まっている。それでも子どもは起こったことに対して対処する助けを依然として必要としている。
  • 報告されないままに止まった子ども時代の虐待が大人になってから表面化することがある。従来の考え方は、子ども自身が加害者に対決しなければ、起こった出来事に対応できないというものである。自分一人では対処できないので、心理療法士の導きを得て癒しのプロセスと呼ばれるものを経験する必要があると信じられている。選択理論は、過去の虐待に対して違った見方をする。選択理論を使って自分を助けることができると教える。彼らが自分たちを犠牲者と見る選択をしない限り、事件の犠牲者にはならない。あなたは犠牲者で自分ではどうすることもできないと暗示することは常に有害である。
  • 不幸な経験を再体験しても人間は強くならない。長い間飢えてているとき必要なのは食べ物であって、過去に食べ物が与えられなかった理由の説明ではない。選択理論の説明によると、全ての問題は、現在の問題である。将来の食事を今食べることはできないし、過去に食べなかった食事を今食べることはできない。
  • 虐待された子どもが、人を信用しないのは、彼らの経験から最もなことだ。上質世界に入っている人に傷つけられたのであれば、どうして見知らぬ人を信頼できるだろうか。彼らが学ばなければならないことは、ほとんどの人は信頼できるということである。そして信頼できる人とできない人をどうしたら区別できるかを学ばなければならない。 

本書を読むことで、不幸な関係に悩んでいる人が選択理論を学び、相手を責めるのをやめて、解決のサークルに入り、自分の要求よりも人間関係を優先すれば、今よりも良い関係になる。

 

 ◆第9章を再読して感じたこと

  • 非常に深く濃い内容である。現在進行形で子育てをしている親御さんは読んでいて辛くなることもあるのではないかと思った。
  • うちは上の子が男の子で今年31歳になる。30年前は叱らない子育てが流行り出したころである。しかし残念ながら今ほど理論が確立していなかったために、ただただ叱らず放任するお母さんも多く存在した。そのころ、息子のお友達が食卓テーブルの上でダンスを踊るという変わった遊びを好んでいた。ある時、別のお友達の家でその子が食卓テーブルに上って食べ物を蹴飛ばしながら踊ったときもお母さんは注意しなかった。私は大変驚いたがその場では何も言えなかった。後日私が「自宅ならまだしも他所の家では注意すべきではないか」と言うとその子のお母さんは激怒して我が家との関係は切れてしまった。そのことに関しては今でも時々思い出して考えるが、付き合いを続けるのはどちらにしても困難だったように思う。本書を読んだときに「同意できないことをも支持するという意味ではない」という一文を読んで癒される思いだった。
  • このブログで度々ご紹介している「ラジオセラピー」でも子育てのことをたくさん取り上げている。とくに田畑雅紀先生の子育て論は非常に面白く聞かせていただいた。長年、心に刺さっていたトゲが抜けたような感じがした。
          田畑先生のラジオセラピー
  • 上の息子は理系の国立大へ、下の娘は四年制の福祉系大学へ、高校に入学した時からすでに進学先を決めていた。2人とも自分のやりたいことはハッキリしていて、先生や友達に何を言われてもぶれることがなかったので私も口出しせずにきた。しかし、小さな事でくだらない言い争いはたくさんしてきた。そのことに関しては大人げない母親で申し訳ないという思いで一杯である。そのころに選択理論を知っていれば、もっと建設的な会話ができただろうと思うと残念である。

0 件のコメント: