2024/03/18

コリーニ事件


フェルディナント・フォン・シーラッハ(著)

ベルリンで刑事事件弁護士として活動。元東ドイツ政治局員ギュンター・シャボフスキーや、ドイツ連邦情報局工作員ノルベルト・ユレツコの弁護に携わり、ドイツでも屈指の弁護士と見なされている。








本書は結末の意外さで話題になった作品である。世界的ベストセラーになり映画化もされている。リーガル・サスペンスとしての面白さはもちろんだが、ポイントとなるのはドイツで1960年代に行われた第二次大戦中の残虐行為に関する捜査である。


(ネタバレを含みますのでご注意ください)


大虐殺に関わった将校や親衛隊が次々と裁かれる中で、1968年に秩序違反法の一部が改正された。このことにより関与した人物の多くが、ただ命令に従っただけだったとして謀殺罪ではなく幇助罪で裁かれることになった。そして幇助罪の時効は15年。1960年代にはすでに時効が成立していたのである。



主な登場人物は


・ファブリツィオ・コリーニ

イタリアからドイツにやってきて真面目に35年間働いた67歳の自動車組立工   


・ハンス・マイヤー

機械工業会社の元社長、85歳。


・ヨハナ・マイヤー

ハンスの孫娘


・リヒャルト・マッティンガー

マイヤー家の弁護士で裁判の代理人


・カスパー・ライネン

コリーニを弁護する新人弁護士



 

・物語は2001年、コリーニがハンス・マイヤーに4発の銃弾を撃ち込み殺害するシーンから始まる。コリーニはすでに息のない老紳士の顔を頭蓋骨が砕けるほど執拗に踏み続けた。いったい2人の間になにがあったのか。


・このあとはライネン弁護士の視点で描かれていく。弁護士になったばかりのライネンはコリーニが最初の依頼人である。国選弁護人として深く考えもせず引き受けた弁護で大きな苦しみを背負ってしまう。


・コリーニは犯行を自供したものの動機は黙秘し続けた。状況からみて復讐にまちがいないが2人の接点は全くみつからない。家宅捜査からも何も見つからなかった。そもそもコリーニは真面目で几帳面で仕事を休むこともほとんどなかった。独身で質素な生活。大会社の元社長であるハンス・マイヤーと知り合う機会さえなかったはずである。ライネンは凶器が第二次大戦中ドイツ軍用銃だったワルサーP38であることに注目して調査を始める。


・大きな動きがあるのは第七回公判。物語の中盤を過ぎてからである。静かな法廷で陳述書を読み上げるライネン。それはコリーニが9歳のとき、6歳上の姉と父がドイツ兵に殺害された顛末である。当時の親衛隊大隊指導者ハンス・マイヤーの名前が読み上げられると法廷の空気も一変した。


・被害者と加害者の接点が不明なときは無差別殺人か狂気によるものと思われていたが、ここにきて復讐であることは明確になったのである。しかし、なぜこんなにも年数が経過してからの復讐なのか。理由は2つある。


まず1つ目は、コリーニの伯母が亡くなったことである。イタリア在住の伯母はドイツは人殺しのいる国と言って、コリーニがドイツで働くことをいやがっていた。コリーニがドイツの刑務所に入るようなことになったら心臓がつぶれてしまうだろう。伯母の死を待っての犯行だったのである。


2つ目は、冒頭で書いた秩序違反法の一部が改正されたことと関係している。1968年にコリーニは証拠を上げ検察局にハンス・マイヤーを告発したが、時効により捜査は打ち切られ起訴されなかった。これはハンス・マイヤーに罪がなかったということではない。大戦中はイタリア国内でドイツ兵を狙うテロが多数起きていた。ドイツ軍はテロで死んだドイツ兵1人につきイタリア人10人を殺害するよう指示していた。それはテロの抑止として認められていたとのことである。ハンス・マイヤーの行為は犯罪なのだろうか。


・陳述書により法廷の空気は一変したがそれでもコリーニの罪が消えるわけではない。裁判は誰も思いもしない結末へと向かっていく。




本書の面白さは裁判のシーンだけではない。母親がいなかったライネンは子ども時代にマイヤー家で家族同然に過ごした時期があった。そしてヨハナとは恋愛関係にある。恩人を殺した犯人の弁護を引き受けてしまった。ハンス・マイヤーは日常生活で使用していた通名であった。調書や勾留状に書かれた本名を見ただけでは恩人と気づかなかったのである。


・このまま裁判を続けていいのだろうか、悩むライネン。そのライネンを救ったのは被害者側の代理人弁護してあるマッティンガーだった。

弁護人が任を解かれるのは依頼人との信頼関係が揺らいだときだけである。今回の弁護を引き受けたのはライネンの過ちだったとしても依頼人に対して責任がある。依頼人が望めば弁護を続けなければならない」老弁護士マッティンガーの言葉が刺さった。


・ヨハナとの関係もライネンに重くのしかかってきた。ハンス・マイヤーの大戦中の行為が暴かれたなら2人の関係は終わってしまうだろう。それでも結局ライネンは真実を明らかにする道を選んだ。何年にもわたって刑事訴訟を理解しようと努めて教授から学んできたが、この裁判でライネンは全く違う学びを得た。それは虐げられてきた人のことを一番に考えなくてはいけないということだった。



【あとがき】より

著者 フェルディナント・フォン・シーラッハについて


著者の祖父バルドゥール・フォン・シーラッハはナチ党全国青少年指導者であった。独裁政権の中心人物の一人であり、ニュルンベルク裁判で禁固20年の判決を受けた。著者が12歳のときに教科書を見て祖父のことをはじめて理解した。また、同級生にはヒトラー暗殺計画に参加して処刑された人物の孫もいた。彼も自分の祖父のことを12歳になるまで知らなかった。2人は大人になっても友人同士であるとのこと。詳細はエッセイに書いてあるらしいので興味のある方はぜひ読んでみていただきたい。



◆初読は2022年、そのときはただただ衝撃を受け、ストーリーに圧倒されたことを記憶している。今回、ハンナ・アーレントの「悪の凡庸さ」に興味を持って何冊か本を読んだことをキッカケに「コリーニ事件」を再読してみた。今回は時間をかけて2度読んで考えた。しかし、何かがわかったとは簡単には言えない。何かに盲目的に従うのではなく自分らしく生きることだと理解はしても余りにも大きな問いかけである。


◆秩序違反法をめぐり、犯罪とは何か、さらに弁護士の仕事とは何かという2つの大きな問題が投げかけられている。余りにも大きな問題なので、どう受け止めていいか困惑する場面も多々あった。


◆秩序違反法は表向きにはナチ関連の裁判を止めるために改正されたわけではない。多くの国民は本当の意味がわかっていなかったというのが現実のようである。議会側には、もうこの辺りで戦犯を裁くのはいいだろうという思惑があったのだろう。戦争中の残虐行為の一つひとつを裁いていたのなら、いつになったら裁判が終わるのかわからないというのが本音だろうか。


◆被害者ハンス・マイヤーは会社の代表として多くの人から慕われ、ライネンにも親がわりとして愛情をそそいできた。一方で加害者のコリーニも真面目な手堅い人という評判だった。なぜあんなにいい人が・・・という思いが本書の雰囲気を作っていると言っても過言ではない。それはまさに、誰もが状況によっては凡庸な(陳腐な)悪に傾く可能性があるということでもある。


◆コリーニは「死者は復讐を望まない。望むのは生者だけ」とライネンに語っている。復讐の虚しさを理解しながらも止められなかったコリーニの思い、揺れ動きながらも弁護士としての矜持を忘れなかったライネン。静まりかえった法廷で陳述書を読むシーンではライネンの声が本当に聞こえてくるかのようであった。


◆誰かと話をしたいと思っても、マイヤー家との絡みから誰にも心を開くことができないライネン。孤独との闘いでもあった。蚤の市にも行き、雑多なものを見てまわり、若い恋人同士のデートを眺め、呼び込みの男の口上を聞くライネン。感情的にならない淡々とした文章が却って涙を誘った。


やはり最後はヨハナである。「わたし、すべてを背負っていかなければいけないのかしら」と呟くヨハナ、「きみはきみにふさわしく生きればいいのさ」と応じるライネン。後日談をエピローグとして書かなかった著者のセンスに浸りながら読了した。




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