◆のマークの部分は感想を書いています。その他の部分は本書の内容をまとめています。
水城さんは、NVC(非暴力コミュニケーション)を学ぶ中で、ご自身が理解・体験したことを書き残してきた。
NVCの詳細については、
「NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法 新版」を参照していただきたい
◆私は2016年に水城さんの共感的コミュニケーション(2015年版)を読んでいるが、その本は現在は販売されていない。2017年に新装版が出版され、2018、2019年と続編が出ている。今回はこの3冊(2017~2019)の中からいくつか心に残った点を、ピックアップしてみたいと思う◆
【共感的コミュニケーション2017】
・共感的であるというのは、お互いに大切にしていることを尊重し合うこと。相手が大切にしていることに興味を持ち続けること。これが共感的にコミュニケーションをするための基本姿勢となる。
・共感を向ける方法はシンプルで、相手が大事にしていること、必要としていることを知り、それを尊重する。ただそれだけ。決して言われてもいないことを察して先回りして相手の望みを叶えることではない。
・『あなたが○○な気持ちになっているのは、○○を大切にしているから。○○が必要だからですか?』という文法で質問を投げかける。すると相手は「そうだ」とか「違う」とか答える。そのとき相手は必ず自分の内側を見て、自分が何を大切にしているのかを確認するのである。
・誰かに評価されることは大切なことのように思えるが、それ自体が価値があるのではなく評価されることは手段である。人に評価されることによって自分の何が満たされるのか、ということである。
・楽しい気分→良い。落ち込んでいる→良くない。このように自分を批判、評価してしまうのはいずれも自分をないがしろにしている。感情はどんなものであれ自分が何を必要としているのかを示す大切な指針である。自分自身をないがしろにしないためにはこれを丁寧に扱う必要がある。
・満たされなかったニーズがある場合は十分に嘆く必要がある。十分に嘆かれていないニーズは自分の中にしこりのような禍根を残し後で悪さをすることがある。十分に嘆かれたニーズは自分の中に大切なものとして存在し再び満たされる機会をうかがう。
・誰かの悪口、決めつけ、あの人から嫌われているとかいうジャッジは、ときに快感である。自分の安全安心のニーズから生じる行為である。そこに自分のニーズがあることを否定する必要はない。ただし、それを相手に直接ぶつけると対立を生むことになる。自分の中や信頼できる仲間と十分に毒を吐いてみることも時には良い。十分に楽しんだなら共感の世界に移行しよう。
・身近な関係でコミュニケーションの方法がパターン化していて、共感的なコミュニケーションへと移行するのが難しいこともある。そこから抜け出すには、まず非共感の鎧を脱ぎ、正直で無防備になる必要がある。非共感の鎧とは人を決めつけ評価し判断し、分析し、非難し、アドバイスし、同情し、こちらの思考で相手のことをあれこれ考えてやってしまう反応のことである。
・小学校でいじめ防止プログラムとして、友達の良いところをあげて発表するという方法がある。子どもたちの繋がりをつくるように見えるこの方法も評価方式の上に成り立っている。良いと評価することは悪いと評価することと表裏一体、同じ心理で行われている。同情ではなく共感する。それはお互いの違いを受け入れることであり、お互いが大切にしていることを尊重し合うこと、評価システムではそれができない。
◆ほんの一部だけポイントを取り上げたが、具体的な事例も多数書かれている本なので興味のある方はぜひ読んでみていただきたい◆
【共感的コミュニケーション2018】
2017のリリース後に行った勉強会や活動のなかでの気づきを書いた本である。
・あらためて共感を考えてみる。
誰かに共感する、ということは結果ではなく、その過程であり態度/ありようが重要なのである。この人は何を大切にしているのだろうと、相手に興味を向けるとき、あなたのその態度/ありようが変化している。その変化しているあなた自身の様子のことを共感的という。
・感謝するとはどういうことか。
人は2種類のことしか言っていない。「ありがとう」と「お願い」だ。これはマーシャル・ローゼンバーグの言葉である。ありがとうはニーズが満たされたとき、お願いというのはニーズが満たされていないとき。感謝するのは、誰かに強制されたり何らかの手順の中で決められた通り行うものではない。何らかのニーズが満たされたとき、ありがとうが自然に出てくるのだ。
・対立は手段のレベルで生まれる。
互いに自分の手段を手放さず、執着してこだわっている限り対立は解消されない。手段のレベルからその手段を取ろうとしているのは何のニーズがあるからなのかというレベルへと降りていったとき、そこには対立ではなく相互理解が生まれる。
・人間にはもともと、相手の感情や動作、姿勢を無意識に写し取ってしまう心の働きがある。社会的な動物として必要があってそういう働きを持っている。だが、ときにはそれがやっかいなことを引き起こす。では、どうすればいいのか。
①その場を離れる。逃げるというのも一つの方法。
②相手の言動や感情は、相手のニーズが満たされたり満たされなかったりしているために現れているもので、こちらとはなんの関係もない。つまり、相手が何を大切にしてるのか、どんなことを必要としているのか、そのことに注意や好奇心を向けていくのだ。そのとき、こちらはこちらのままでよく、相手の言動や感情に振り回されることなく、ただ相手に好奇心を向けていくだけだ。
・特定の相手に何か言われると反射的にカッとなって決まりきったパターンで返してしまう。その相手の言動を変えることは難しい。こちらが変わるためには、「なるほど、自分はこう言われるとこんなふうに反応してしまうんだな」と客観的に理解ができるかどうかがポイントになる。
・「ただ共感すること」を勧めると、そんなことをしたら、相手はますます図に乗るのではないか、自分ばかり不利な立場になるのではないかという不安に襲われてしまう人がいる。しかし、今相手が必死にしがみついている方法でなくても、ニーズは満たせるということに気づいてもらえれば、相手にも余裕が生まれ必死の態度は消えることが多い。
・共感的コミュニケーションでは「コンテンツを聞くな」という。つまり相手の言っている内容や意味をできるだけ聞かないようにしようと言っているのだ。代わりにそこに見える相手の様子、感情、ニーズなどに注目する。
◆水城さんが作家活動や朗読療法、共感カフェなどの多彩な活動のなかで日々感じていることがエッセイ風に書かれている。
【共感的コミュニケーション2019】
共感的コミュニケーションの勉強会が増え、自ら教える人も急増してきている。希望を感じると同時に、形骸化が起こったり似て非なる偽物が蔓延したりするのではないか。どのようなスタンスをとっていくか模索し続けた一年間の記録である。
・2019は「縁側の復権」というタイトルがついている。昔の家には縁側があった。そこでは、おばあちゃんや母が自然に、ただ自分の仕事にマイペースで没頭していた。つまり、おばあちゃんや母は自分自身に繋がっていたのである。いつもそこにいて話を聞いてくれる。彼女たちはただ自分のことをしていて、しかし同時にこちらにも耳を傾けていて、どちらも積極的な感じはどこにもなかった。自分のことをするのも、遊んでいる子どもを見守るのも、積極的にではなく自然にごく普通に行っていた。そのことが私を安心させていた。共感的コミュニケーションにおいて、もっと自然に普通に人と人が繋がって安心し合える関係を持つことはできないだろうか。
・人の話を共感的に聞くというのは、その人にきちんと向かい合い、話を完全に受け取り、集中して感情とニーズに注意を向けることだと考えて努力をする。しかし相手にとって、そんなふうに全力で聞かれるのは一種のプレッシャーになるのではないか。
・いつでも共感的であればならないという一種の強迫観念に似た自分教育が生まれることがある。相手に対しても自分に対しても、いついかなるときでも常に共感的であり自分と相手を尊重し、思いやりを持って繋がることを目指すことを自分に強要してしまう。しかしそんなことはなかなか難しい。もちろんそれは理想であるが、共感にも様々の濃さや姿勢やベクトルがあっていいのではないだろうか。
・「自分がやりたいことだけやりなさい。やりたくない、気が向かないことは一切やらない方がいい」とマーシャル・ローゼンバークは説いている。すると「そんなことをすると世の中が混乱するんじゃないですか」と聞く人がいる。その心配も理解できるが、わがままに振る舞うことと、自分のニーズに忠実で正直であることは別のことである。
・わがままというのは、互いに主張し合って対立することである。さらに一歩踏み込んで、自分は、あるいは相手は何を必要としているからこそ、そんな方法を主張しているのだろうかと見ていくのが共感的コミュニケーションの方法である。そうすれば、お互いのニーズをないがしろにせず協力し合ってやっていく方法はないものだろうかと考え始めることができる。
・共感的コミュニケーションの考え方や権利は非常にシンプルでわかりやすく、誰でも伝えることができる。問題は、実際にそれを実践できるようになるかどうかだ。ワークショップや勉強会でも実践的な練習を提供している場はあるが、日常生活の中で参加者がそれぞれやってみて、実際に身につくようになるかというと、それはまた別の話である。共感的コミュニケーションを身につけるには、練習そのものを習慣化する必要がある。
◆2019の後半では、様々な練習方法(習慣化させるための方法)が紹介されている。主なものは、共感手帳(エンパシーノート)、共感カフェ、共感文章講座、ブログ「水の反映」、音読療法、編み物カフェ、などである。詳細な実践方法については、本書を実際に読んでいただきたい。音読療法については「音読療法の基礎」という本も出ている。日々の健康法や介護予防、うつなどこころの病の予防法としても効果がある音読療法(自分自身の呼吸と声を使ったセルフメンタルヘルスケア)は、深呼吸というよりも音読で息を吐くことに重点をおく感じである。また、文学作品など他人の書いた文章を読むことで、自分の内部の雑念や感情、反芻思考を手放していく方法でもある◆
◆2017~2019の3冊を読んで感じたことは非常に正直に書いているということである。NVCを学び、実践するものとしての気負いはまったく感じられない。むしろ他人に共感できないときや愚痴がとまらないときにこそ自己共感のチャンスとして優しく捉えていることに癒される思いである◆
◆NVCにはKD(Key Difference)といわれているカギとなる差異がある。わがままと正直は違うというような小さな違いのことである。この3冊には日々感じる小さな出来事を掘り下げる内容が多い。似ているようだが「これとこれは別物だ」 「こういう考え方はまた別だ」というような表現を多用することで理解しやすい文章に仕上がっているのである。日本人が馴染める表現にするという水城さんの熱意と繊細な感性が伝わってくる清々しい読後感だった◆
◆2016年にはじめて共感的コミュニケーションを読んだときには、正直なところ本質的なことは理解できていなかった。2016年当時は音読のテキストを探していたような記憶もある。もしかしたら共感に重点をあまり置いていなかったのかもしれない。最近になってマーシャル・ローゼンバーグ氏の本を3冊読んだところ、少しずつだが何だかわかってきたような気がしている。そしてそのあとに水城さんのことを思い出してAmazonやブログをあらためて拝見した(そこで水城さんが2020年に旅立たれたことを知ったのである)私は遅々とした歩みで行きつ戻りつしながら学んでいるので、ここまで来るのに7年もかかってしまった。もっと真剣に学んでいたならば、とっくに人生変わっていただろうという後悔もある。しかしこれが私なのだと受けとめることにした。そしてこれからも遅々とした歩みで迷走しながら学んでいくことだろうと思う◆
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