2023/06/13

【小説】アルジャーノンに花束を


ダニエル・キイス著
初読は30年ほど前。
その当時も人気の作品だったが、現在でもAmazonランキングの上位に入っている名作である。
1959年に中編小説として発表されてヒューゴー賞を受賞、その後1966年に長編に改作されてネビュラ賞を受賞。私が読んだのは長編の作品。






主人公はパン屋で働くチャーリー。知的障害を持つ32歳のチャーリーは精一杯自分にできることをしながら日々を送り、周囲の人達から愛されていた。チャーリーの夢は賢くなってもっともっとみんなに愛されることだった。

【手術】チャーリーのもとに知的能力を改善する外科手術の話が舞い込む。本書は手術を受けてIQが劇的に改善するチャーリーの経過報告を書いた作品であり、終始チャーリーの日記形式で進む。アルジャーノンは大学の研究室で同じ外科手術をうけたネズミの名前。あくまでも主人公はチャーリーである。最初は平仮名ばかりの文章で間違いも多い。この部分の読みにくさから本書を敬遠する人も多いがぜひとも辛抱して読み進んでもらいたい。


【覚醒】チャーリーは賢くなっていく過程で自分は周囲から「愛されていた」のとはちょっと違うと気づき、母親がなぜ自分を嫌って施設に入れようとしたのか理解する。自分がいかに愚かだったかを受容していくチャーリーの姿に今回も胸が締め付けられるような思いがした。
物語の前半は主に天才的なIQに上り詰めていくチャーリーが描かれている。今まで憧れの存在だった人々が自分よりも愚かな人間に見えてきて傲慢になるチャーリー。教養は人と人の間に障壁を築く可能性がある。周囲の人間もチャーリーを畏れ嫌うようになる。さらに追い打ちをかけるように過去の思い出が堰を切って襲いかかる。

チャーリーが初めて一人で読破した小説はロビンソン・クルーソーであった。無人島での孤独に同情し「どうか友人が見つかりますように」と祈るチャーリー。普通の人が10年、20年かけて乗り越える人間関係のハードルをどうやって数ヶ月で乗り越えればいいのだろうか。思春期というのは人間の成長にとって大事な役目を持っている。親を、先生を、世の中の矛盾を自分なりに乗り越える試練のときでもある。IQが高くなっただけではチャーリーは幸せになれなかったのである。IQはどれだけの知能を得られるかを示すもので計量カップの目盛りのようなもの。カップには中身をいれなければならない。大量の本を読んでインプットしてみても女性と交際する方法さえわからない。女性に好意を持つと現れる母親と妹の幻影に悩まされ続ける。

【逃亡】ちょうど中盤あたりで物語は大きな転換を迎える。手術を担当したニーマー教授と研究室の仲間達とともに学会に出席したチャーリー。無断でビデオに撮られていた手術前の自分の姿を笑いながら見る人々。実験動物として扱われていることに憤慨する。決定打となったのはニーマー教授が手術前にはチャーリーは存在しなかったと発言したことである。
知的障害者にも感情はある。家族も過去も記憶もある。アルジャーノンを連れて学会の会場から逃亡したチャーリー。自分はいつどんな状態でも存在し得ることを証明したくなったのである。

本書の舞台は1950年代といわれている。現在の若者からしたら差別的表現が多くて福祉とかけ離れた世界と感じるかもしれない。本書がSFというジャンルに属していることが不思議なほどのリアルさに驚く人も多いだろう。私は脳外科手術などのリアリティよりも(実際にアメリカでは1940年代にロボトミー手術が行われていたが)肝心な点はこの「存在の意義」ではないかと考えている。やっと、というべきなのか最近はBeingという言葉で存在を尊重する風潮がうまれてきている。Well-beingという言葉もよく聞くようになっている。成果主義が叫ばれる一方でDoingよりBeingという考えも出てきたことは素晴らしい変化といっていいのではないだろうか。

【退化】チャーリーは天才的な研究成果を残すが、退化もまた突然に急速に訪れる。この数ヶ月間の奇跡的な出来事が嘘のように消えていく。初読のときよりもこの衰えていく自分を見つめるチャーリーの苛立ちが理解できるような気がした。私自身も人生という山を着実に下っているのだから当たり前のことなのかもしれない。

チャーリーは施設に入る事を考えはじめる。30年前はノーマライゼーションという言葉も知らずに読んでいた。大きく福祉の概念が変わったいま、読み返してみて感じたことは、チャーリーの決断は決して間違っていないということである。可哀想な人と周囲に思われながら暮らすよりも同じ障害を持つ仲間と暮らしたい。これも一つの決断である。



【ロマンス】本書のもう一つのポイントとされるのは、知的障害成人センターの教師でチャーリーに手術を勧めてくれたアリスとのロマンスである。強い絆で結ばれ愛し合う二人だが余りにも大きな障害と悲しい結末に涙する。「訳者あとがき」によると、悲しすぎるので結末を書き換えなければ出版できないと何度も出版社に断られたということである。しかしキイス氏は書き換えなかった。私も悲恋であっても結末はこのままでいいと思う。





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