2023/06/21

グラッサー博士の選択理論(2)基本的欲求

 


ウイリアム・グラッサー著

選択理論の基本の書である。

各章まとめの2回目、基本的欲求について。




第一部      理論編

第2      人を動かすもの

生まれた時に私たちにできることは、泣く、ぐずつく、 手足をばたつかせることぐらいである。この行為は生存するために遺伝的欲求を満たす手段であり、生涯にわたる他人をコントロールする試みの導入となる。しかしこれはほんの導入にすぎない。

『遺伝子』

  • 私たちには、生存の欲求の他にも心理的欲求を満足させる遺伝子がプログラムされていると考えられる。
  • 心理的欲求は「愛と所属」「力」「自由」「楽しみ」の4つである。
  • 生まれるやいなや、これら4つの欲求を満たそうとする取り組みが始まる。そして、一生この苦闘を繰り返す。
  • 心理的欲求は見知らぬ他人に対して思いやりを示すだけではなく、配偶者、家族、友人のような特別な人々との満足のいく関係を生涯求め続ける。
  • 私たちは体験の記憶に基づいて、できるだけ良い気分を味わうように努め悪い気分は避けようとする。
  • 私たちのほとんどは幸福になることを諦めない。より良い人間関係は容易ではないが、人との関わりが必要であるという考えを決して投げ出すことはない。
  •  この欲求について学べば、気分が悪いときには何か満たされていないか、気分が良いときには何が満たされているか大体わかるようになるだろう。


『生存の欲求』

  • あらゆる生物は生存のために努力をするよう遺伝子によってプログラムされている。
  • 人間は人生の初期から生存の欲求を自覚していて、長生きできるような生き方をしようと努力する。 
  • 有史以前には、生存の欲求が唯一の基本的欲求であった。しかし本書は飢について直接触れるものではない。社会的行為に焦点をあてている。
  • 生存の欲求から分離し追加された基本的欲求「愛」「力」「自由」「楽しみ」が私達の人生を複雑にしている。
 

『愛・所属の欲求』

  • 愛と所属を求める遺伝子は、生涯を通して愛に満ちた関係が継続することを求める。
  • 愛を定義するのは困難だが、愛は高揚した気分であり、愛されていない状態は不幸であることを私たちは知っている。
  • 私たちは結婚という一生を共にする決断をするときには、愛を維持することがどんなに困難かわかっていない。
  • 私をコントロールし変えようとする人を愛することは困難である。また逆に私がコントロールし変えようとしている人を愛し続けることも困難である。
  • 夫婦は互いに自分自身の趣味、興味、友人(批判される恐れがなく文句を言われることもない別個のもの)を別々に持つ必要がある。 
  • 愛も友情も一方通行ではない。愛を受けることも一つの技能である。愛を感謝して受けることを学ぶことはどんな人間関係においても有益である


『力の欲求』

  • 人間が力(パワー)を求めるような意味合いで、力のための力を求める生き物は人間以外にはいない。人間は力の欲求を満たそうとする唯一の種である。 
  • より多くを得ようとする際限のない欲望を持つ人と友情を保ち続けることは困難である。 
  • 多くの人にとって力を追求することが人間関係の破壊を意味していても、その力にとりつかれた人は必要だと思うことは何でも躊躇なく実行する。
  • 力はそれ自体では良くも悪くもない。どのように定義づけ、どのように手に入れ、どのように使うかが違いを作る。多くの人が社会のために働くことで力の欲求を満たしている。
  • 大多数の人が誰かに自分の話を聞いてもらいたいと思っている。 誰も耳を傾けてくれなければ力の欲求が満たされない苦痛を覚える。
  • 選択理論が実践される社会では、互いを裁き合う理由はない。違いについては交渉する努力がなされるであろう。人を支配することよりも仲良くすることの方がもっと力の欲求を満たすことに気づくであろう。

 

『自由の欲求』

  • 自由の欲求は、他人の人生をコントロールしたいと思う人と、このようなコントロールから解放されたいと思う私との間でバランスを取る自然な欲求である。
  • 外的コントロールは力の落とし子であり、自由の敵である。
  • アメリカ合衆国を最も創造的な近代諸国の一つにしたのは、言論の自由を保障していることである。しかし、多くの人は言論の自由ということを疑問視している。「私の言う通りのことをすれば、悪があなたに及ばないように護ってあげよう」これは歴史上のあらゆる暴君が実践した格言である。
 

『楽しみの欲求』 

  • 楽しみは、学習に対する遺伝子の報酬である。私たちは他の動物よりも、より良く学んだ人の子孫である。学習は生存のために有利さをもたらし、楽しみの欲求が遺伝子に組み込まれるようになった。
  • 人間は生涯遊ぶ唯一の生き物である。遊ぶから一生学ぶのである。遊ぶのをやめたときが学びをやめたときである。
  • 愛し合っている人々はお互いについて多くを学んでいる。他人と仲良く関わっていくにはかなりの努力を要するが、良い関係を保つ最善の方法は一緒に学習する楽しみを持つことである。


 『欲求と人間関係』
  • 愛と所属の欲求を満たす努力をしても、他の欲求、特に力の欲求と自由の欲求を無視することはできない。力は愛を滅ぼす。支配する人がどれほど自分の愛を主張したとしても、支配されることを望む人はいない。
  • 愛はまた、どのくらい一緒に過ごすかを決めることを意味する。良い人間関係には、私たちが求めるほどの自由はあまりない。うまく話し合いがなされなければその関係は失敗する。
  •  自由は決して全ての人からの自由ではない。私たちの遺伝子は、それほど多くの自由を楽しむことを許さない。学んだことを他人と分かち合うことができなかったら、何かを学んだり何かを達成したりすることにどんな楽しみがあるというのか。

 

◆今回再読して気づいたこと

  • 面白いのは「力の欲求」「自由の欲求」の両方ともに話を聞いてもらうことで欲求を満たすことができる点である。傾聴は大事だが「力の欲求」の強い人の話を熱心に聞くことは難しいだろう。外的コントロールから上手に距離を置く方法として「スルー力」ということもよく言われる。これは、聞くこと=コントロールされることではないという点を繰り返し確認する必要があると感じた。愛も友情も一方通行ではない。傾聴と発信のバランスが交渉力につながると考えると「うまく話し合いがなされなければその関係は失敗する」というのがすべてなのかもしれない。
  • 愛を受けることも一つの技能である。という一文が印象に残った。技能というと味気ないようだが、練習による量的な蓄積で質的変化をもたらす。続ければ必ず上達する。これは須山先生の著書にも書かれていたことである。場面によっては心からの感謝の言葉が難しいこともあるだろうが、せめて「ありがとう」だけでも伝えるように心がけたいと思う。
  • あらためて読んでみると理解しているようでしていなかった面も多い。自由については基本的欲求だから仕方ないと正当化してしまう傾向が私にはある。5つの基本的欲求はすべての人が持っているがそれぞれ強さが違う。自分はどの欲求が強いのか知ることは非常に重要だと再認識した。

第1章まとめはコチラから


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