はじめて読んだ大門さんの作品は雪冤です。2017年のことです。
今では20冊以上の大門作品を読了していますが、ほとんどがリーガルミステリで各作品の柱になっているのは冤罪と死刑制度です。
最初はストーリーの面白さに惹かれて読んでいるだけという状態でしたから、死刑制度に興味を持って真剣に考えることはできませんでした。ところが次第にこのテーマに興味を持つようになり、面白さも変化していき、いつのまにか大門作品にドップリ浸っていました。
今回はこの大きなテーマをエンタメに昇華した作品の中から、大好きな3冊をピックアップして書いていきます。
まずは「雪冤」、2009年に横溝正史ミステリ大賞を受賞してテレビドラマ化され、テレビ東京賞も受賞している作品です。
2冊目は「シリウスの反証」、2019年2月から9月まで文芸カドカワとカドブンノベルに掲載された作品を2021年に書籍化したものです。
3冊目は「神都の証人」、2025年の山田風太郎賞を受賞した作品です。
ところで、大門さんがとりあげている死刑制度の問題点とはどういうものなのでしょうか。もしも冤罪だったとしたら無実の人を殺してしまうことになるから・・・という点がよく取り上げられているようです。しかし大門作品、特に「雪冤」では、死刑制度廃止を求めるものは冤罪を根拠にすべきではないと訴えています。
まず第一に死刑を感情論で復讐として求めることに警鐘を鳴らし、被害者家族も加害者家族も苦しみを背負っている点では同じであると考えています。
従来の刑事司法とは異なり、犯罪によって生じた被害を、加害者、被害者、の直接対話を通じて修復することを目指す修復的司法という考え方が含まれています。
「シリウスの反証」は、冤罪の可能性がない事件などないという厳しい立場で書かれています。どんな高精度な鑑定技術でも間違うことはあります。序盤からヒートアップした言葉が続きますが、あまり暗さを感じないポップな作風です。
冤罪救済活動は20世紀末にアメリカで始まった「イノセンス・プロジェクト」をモデルにしています。弁護士やロースクールの学生などが中心になり多くの冤罪を晴らした実績を持つ活動です。私たちが考える以上に冤罪は多いということなのでしょう。
アメリカでは被告人にDNA型の再鑑定を求める権利が与えられているそうです。しかし残念ながら日本の再審は非常にハードルが高く再鑑定もかなり難しいようです。
この作品では指紋鑑定が目視による共通点の数で決められることから、その危うさに焦点があてられています。
「神都の証人」は、昭和18年の裁判に疑問を持った弁護士の遺志が引き継がれて令和まで続く大河小説的な作風です。
戦時下でも裁判が行われていたことにまず驚きました。官憲が市民の法律相談にのり、弁護士は思想犯の味方をする悪人のように扱われていたこともはじめて知りました。
80年もの長きに渡って、再審請求と棄却が繰り返されるなかで真犯人を探したくなるのは当然のことなのですが、冤罪救済と真犯人探しは別物だという考え方も出てきます。
正義は刃だ。その刃で利を得るものと傷つけられる者が出てくる。正義の価値とはそれを振りかざすことで傷つく者への配慮なくしてはありえません。このような言葉が出てきますが、いまさら真犯人を見つけてみても苦しむ人が増えるだけという考えもまた一つの真理なのでしょう。
この作品では検察の姿勢が「法的安定性」に基づいていることに触れています。確定した判決には強い力がある。後から簡単に揺れてしまっては司法は成り立たない。司法の信用にも関わるというのが再審を認めない根拠になっているのです。
再審請求は本人と親族以外にも検察官が行うことができるということをこの作品で知りました。検察側も間違いに気づいたなら再審ですべてを明らかにするという手段を使えるのです。
3冊とも非常に考えさせられる作品ですが小説としての面白さも群を抜いていると思います。。
それでは、この後は簡単に各作品のストーリー紹介に入っていきます。
(3作品ともに登場人物表がついていませんのでこのブログでも省略します)
雪 冤
冤罪を訴える息子、慎一を救うため活動している八木沼悦史は元弁護士。ビラ配りをしながら新証拠を見つけようと奔走しています。
悦史をサポートしているのは現役弁護士の石和。もともと慎一の知り合いでもありこの物語の牽引役でもあります。この石和弁護士は終盤で意外な心情を吐露して周囲を驚かせます。
慎一にかけられた嫌疑は京都で起きた殺人です。殺されたのは男子大学生とスーパーの店員をしていた19歳の女性の2人でした。当時2人と親交のあった慎一は現場近くで被害女性の妹と鉢合わせになり服に血がついているのを目撃されています。
物語は殺人事件の15年後から始まります。慎一は4年前に最高裁で死刑判決を受け服役中です。悦史は何度も慎一に面会できるよう働きかけをしていますが叶わず。それでも息子を信じてビラ配りを続けているのです。
いつもどおり京都駅でビラ配りをしていた悦史に声をかけてきた青年が援軍として加わり活動が活気づいてきたタイミングで慎一の手記が週刊誌に掲載されました。
手記には慎一が自分の経験を客観的に書いた事件の全貌とともに、魂が抜けた状態で自白してしまったこと、そして最後に死刑制度に関する考えが書かれています。
死刑制度は必要である。故意に人を殺した者はその命をもって罪をあがなうべきだが、冤罪の起こらないシステムの構築が必要だ。手記に書かれていたのはこのような内容でした。
手記掲載がきっかけとなったのでしょうか、被害女性の妹、菜摘のもとに「メロス」と名乗る真犯人から電話が入ります。報道されていない事件当日の様子を知っていることなどから真実味があると感じますが警察に報告することができないまま日が過ぎていきます。
同じころ石和弁護士のもとにも真犯人からの電話があり、悦史と「メロス」が会う段取りが進みます。
さらには、京都駅で出会った青年が悦史と因縁のある事件の関係者であることが判明し、悦史が弁護士を辞めるきっかけとなった事件が語られていきます。
まだ弁護士として駆け出しのころ、死刑を求刑された殺人犯を弁護して懲役15年を勝ち取ったことがありました。その犯人が仮出所後に再度殺人を犯したことから弁護の意味がわからなくなった悦史。その後弁護士を辞めてしまったのです。その事件の被害者家族が自分を助けてくれている。本当に善意からなのだろうか。真犯人の可能性はないのだろうか。悦史の苦悩が始まります。
この作品のすごさは、支援者や被害者家族、死刑廃止派と肯定派、条件付きで死刑に賛成する人々、それぞれの視点に立って書かれていることです。
さらに被害者家族も加害者家族も苦しみを背負っているという点では同じだ。という解釈も加わっています。
被害者にとって加害者は道端に落ちた一切れの泥まみれのパンのうようなもの。普通は汚いパンを食べようとは思わないが飢餓状態なら食べるしかない。大切な人を失った時もそのような状況に置かれる。怒りや悲しみをぶつける相手がいるとぶつけてしまう。
それぞれの立場での思惑が交錯しますが、根本にあるのは感情論で死刑制度存続を語ってはいけないということです。そしてそれと同様に死刑制度廃止を求めるものは冤罪を根拠にすべきではない。
かなり深い議論が関係者の間で交わされながら物語は進んでいきます。
後半は真実と思われていたことが次々と書き換えられていく展開、そして意外な真実が待っています。
慎一があまりにも純粋で優秀で一途な性格であることから少々現実味を欠いた作風となってはいますが、走れメロスをもう一度読んでみたくなるような熱を感じる作品です。
シリウスの反証
冤罪被害者の救済に取り組む団体「チーム・ゼロ」の活動を描いている作品です。
アメリカで冤罪救済活動に携わり、帰国後、冤罪被害者の支援を呼びかけた東山佐奈を中心に、弁護士や大学教授などがボランティアで支援しているのがチーム・ゼロです。
相談者は無償で支援を受けることができるシステムになっているため、資金面は寄付に頼っています。
チーム・ゼロはアメリカのイノセンスプロジェクトを参考にして作られました。アメリカでは2017年時点でDNA型鑑定によって351人を救済し、150件で真犯人を発見。しかも救済された人のうち20人が死刑囚だそうです。
東山佐奈を支えるチーム・ゼロのメンバー藤嶋と安野は高校の同級生。2人とも天文部だったことから、佐奈をシリウス、自分たち2人を、ペテルギウスとプロキオンに喩えて尊敬しています。
藤嶋は、冤罪事件に巻き込まれ東山佐奈に助けられたことがあります。そのことをきっかけに弁護士を目指し司法試験を受けて28歳で弁護士になりました。
「この世に絶対の正義があるとしたらそれは冤罪をなくすことです。無実の人が罰せられるなんて絶対にあってはいけない」という佐奈に魅了されるように藤嶋は冤罪救済にハマっていきます。
物語はチーム・ゼロが勝ち取った再審無罪の祝賀パーティから始まります。しかし、パーティーの盛り上がりに水を差すかのように起きる相談者の自殺。続いて、無罪を訴える手紙が死刑囚から直接送られてくるというスピーディな展開です。
藤嶋は死刑囚の宮原から届いた手紙の真偽を確かめるために刑務所へ向かいます。
手紙の主は郡上おどりの夜、米穀店の店主と家族あわせて4人が刺殺された吉田川事件の犯人です。藤嶋が面会したときは宮原には拘禁反応と言われている精神的に異常な症状が表れていました。
藤嶋は真実を突き止めることができるのでしょうか。宮原は冤罪被害者なのでしょうか。同情し出したらきりがないという安野。客観的にみて判断すると再審は難しいと考える他のチームメンバー。
それでも藤嶋は郡上に実際に足を運んで関係者の話を聞きます。1人だけ生き残った米穀店の長女、司法関係者、事件に関わった鑑識官などに話を聞くも冤罪の決め手はつかめず、藤嶋の熱意も冷めかけていきます。
本書では「無知の暴露」と「秘密の暴露」、 「コンコルドの誤謬」などさまざまな司法関係の言葉が出てきます。自白の信憑性とは、証拠の確実性とは、そして司法側に認知バイアスはあるのか・・・人間のすることに「絶対」などということはないのだと少しずつ納得させられる展開です。
そして特にポイントとなってくるのが指紋鑑定の方法です。
鑑定の専門家が目視で判定して犯罪現場から見つかった指紋と関係者の指紋の一致点をみつけていく手法をはじめて知りました(今までこんなにたくさんのミステリを読んできたのに指紋鑑定の方法を知らなかったなんて)・・・衝撃を受けました。
チーム内では宮原の冤罪を疑問視する声が多かったのですが、意外にも佐奈が積極的に行動を起こすことを宣言し、メンバーも少しずつエンジンがかかってきます・・・しかし、物語は意外な方向へと進んでいきます。
ここまでミステリを何冊も読んでくると、物語の方向性は割とすぐにわかってしまうことが多いのですが、この作品はまったく予想外の展開でした。
ネタバレになるので詳しくは書けませんが、この作品の主人公は東山佐奈ではなくて藤嶋だということです。
後半になって正義とは何かという問題提起もあります。冤罪救済のためとはいえ弁護士としてルール違反に近い行為は許されるはずもないのですが、正攻法では勝ち目がないのも事実です。
弁護士だけではなく、裁判官や警官にとっても正しさだけでは乗り切れない「しがらみ」がある。このことが独特な本書の雰囲気に繋がっているように思いました。
神都の証人
【 序 】
昭和18年4月20日。
伊勢神宮で行われた20年ごとの遷宮(お木曳)の様子が波子の回想という形で語られていきます。
遷宮とはお宮を新しく建て替えるための御用材を木曽の山からを運んでくるお祭りのことです。
昭和18年当時、波子は8歳、母はすでに亡くなっています。お木曳は父と二人で出かけた最後の思い出となりました。
【 第一部 】
昭和18年9月、吾妻太一
安濃津(現在の三重県津市)の弁護士、吾妻太一は地元の子どもたちから「弁護士は悪いもんの味方、まともな職業じゃない、正業につけ」などと言われ悶々とする日々を送っていました。
吾妻はもともとは東京で検事をしていましたが弁護士に転業し、戦争が始まったことと一人娘を亡くしたことが重なり生まれ故郷に帰ってきました。
思想弾圧、国家総動員法、戦争がはじまると裁判そのものが減少し、官憲が世の中のすべてを仕切るような風潮で弁護士の出番がない。昭和18年はすでに陪審員裁判も廃止され検察や官憲の権力に委ねられていました。
ある晩、吾妻は親戚の家からの帰路、高熱を出してポストにもたれ掛かっていた少女を助けます。
少女の名は谷口波子。娘を亡くした寂しさから吾妻の妻は波子を養子にと望みますが、波子の父は殺人罪で死刑が確定し服役中であることがわかります。
波子を何とか父親に会わせてやりたいと奔走する吾妻。殺人事件の詳細も次第にわかってきます。
事件当日は波子と父親はお木曳を見に行っていたためアリバイが成立しているはずなのですが、しかし目撃証言、血液型鑑定と不利な証拠がそろっていました。
吾妻弁護士は、まずは目撃証言から確認しようと考えて証人に会いにいったところ、証人は亡くなり遺体が警察から戻ってきたところでした。
亡くなった証人は頭部に傷があるにもかかわらず検死では病死とされていました。死因に疑問をもった吾妻は証人の息子、捨次郎の助けを借りて真相を突き止めようと動き出します。
目撃証言が嘘であるならば波子の父も無罪である。つい数日前まで弁護士を辞めようとしていたことなど忘れて事実の解明に没頭する吾妻。
しかし、あまりにものめり込み過ぎて弁護士の領分を逸脱した手法まで使う吾妻の元に届いたのは、赤紙でした。
【 第二部 前編 】
昭和32年、本郷辰治、伊藤捨次郎
本郷辰治は、冤罪から救ってくれた伊藤捨次郎弁護士の法律事務所で働きはじめます。
捨次郎は第一部で父親を亡くした少年です。戦後、吾妻弁護士の遺志を受け継ぐため猛勉強して弁護士になりました。
波子は近所の店で働きながら父の再審開始を待っています。
本郷は記憶力が良いため何でもすぐに覚えることができるのですが怠惰な生活が癖になっていて問題行動も目立ちます。
そんな本郷も再審のことを知ってからは何か波子の役に立ちたいと思い証人捜しのビラ配りを始めます。しかしそう簡単に証人は見つからず空回りの連続です。それでも二人は意気投合し助け合いながら日々を過ごしています。
再審はあらたな証拠が見つかったにもかかわらず棄却。
昭和34年、死刑が執行されてしまいます。
【 第二部 後編 】
昭和60年、本郷辰治
本郷は検事になっています。捨次郎の事務所で働き始めたときは読み書きができなかった本郷ですが、事務仕事をまかされるまでに成長しました。
そして好意を抱いていた波子の失踪。捨次郎の熱意もあり怠惰な本郷の心に火がついたのです。猛勉強をして諦めずに何度も司法試験を受け続けることで夢をかなえた本郷ですが、誰もが弁護士を目指しているものと思っていました。ではなぜ検事に?
捨次郎の反対を押し切ってまで検事になった理由は、検事には再審請求権があるからです。
波子の父の冤罪を晴らすべく捜査を続ける一方で、波子の行方をさがす本郷。
新証言、新証拠が出てきてもなかなかに再審の壁は突破できず。このまま風化していっても仕方ない雰囲気が漂いますがそれでも本郷は諦めません。
【 第三部 】
平成16年、伊藤太一
捨次郎の次男、太一は大学を卒業したものの就職氷河期で就活は全滅。司法試験を受けるという名目で親から仕送りをしてもらいバイト生活をしていますが、司法試験に挑戦しても何度も不合格となり鬱々とした日々を送っています。
父の捨次郎は72歳。三度目の再審請求で地裁から再審開始の決定を受けるも検察が即時抗告し再審は棄却。そのショックからか捨次郎は倒れてそのまま息を引き取ります。
大きな宿題を残して去った捨次郎。
太一は父の死後、ついに司法試験に合格して弁護士になります。事務所は子どものころから優秀だった兄が後継者となり、四度目の再審請求が行われようとしています。
第三部は新証拠がポイントとなりますが、真犯人をめぐって二転三転する中で難しい選択を迫られます。真実は人々を救うことになるのでしょうか。
長い長い物語の結末は少々切ないものでした。小説として一番面白いのは第一部、ミステリとして読み応えがあるのが第三部です。
終盤まで着地点が見えないまま読み進んだため最後の大きな展開は驚きました。しかし、ここまで正しさに拘る必要があるのだろうか、という疑問も残ります。
ただしこの物語は複数の若き弁護士の成長物語として読むこともできます。人間としての成長と考えると納得できる結末と言えるでしょう。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
このように2009年から今年までの3作品を比較してみると、大門さんの価値観も少しずつ変化していますし、十数年の間に時代も変わり実際に再審無罪も実現しています。
「シリウスの反証」と「神都の証人」の2作品は弁護士の熱意が危うい方向に逸れていきそうなシーンがあります。無実の人を救うためであっても、弁護士の領分を超えた行いは慎まなけらばいけないことは当然のことです。ハードボイルドの面白さとリアルさを両立させながらストーリーを作り上げる苦労が垣間見れることも面白さの一つです。
次作はどのような問題提起をしてくれるのでしょうか。楽しみに待ちたいと思います。

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