2023/05/19

【小説】ジュリアン・ウェルズの葬られた秘密

トマス・H. クック 

 

犯罪・虐殺を題材に執筆を続けてきた作家のジュリアンが亡くなった。その謎をつきとめるため親友のフィリップがヨーロッパ、ロシア、アルゼンチンを旅して真相に辿り着く物語である。前半は語り手のフィリップの嘆きが陰鬱で読むのがしんどかった。

 

フィリップとジュリアンの二人は親友というよりも双子のような関係。ジュリアンの父はジュリアンが15歳のときに他界している。その後ジュリアンはフィリップの父を慕い自分の将来の夢を相談するなど親密な関係を続けていた。大学の卒業旅行でアルゼンチンに行った二人はガイドの女性と知り合う。その女性が行方不明になったことがジュリアンの人格をも変えてしまったのである。

 




ジュリアンに何があったのか。何としても知りたいフィリップ。国務省勤務だったフィリップの父に勧められて政治的に不安定だったアルゼンチンを旅した二人。父が重要な鍵を握っているようなザワザワ感が漂うが、物語は二人の若かりしころの思い出に浸っていく。

 

アルゼンチンの政治の問題は何も知らなかったので、キューバ、アメリカ、ロシアなども絡んでこれほどのスパイ合戦が繰り広げられていたことにまず驚いた。

二重スパイ、三重スパイとなってくるとストーリーについていくのが難しくなるが、とにかく二人が信用していた純真無垢で賢い女性ガイドがスパイかもしれない状況になっていくのであった。

 

本書の構成はジュリアンが書いたノンフィクション作品をなぞるようにできている。フィリップも亡きジュリアンの取材先を追いかけるように旅をする。

 

そもそも何故こんな暗い話を長々と書くのかと読んでいて疑問に思う瞬間もあったが、著者が書きたいことは徐々に明らかになっていく。

 

他の作品にも共通していることだが、善とは何かをとにかく追い求めている。少々ネタバレになるってしまうが、本書では善は悪のきわめて巧妙な変装であると語っている。

 

ジュリアンは世界を変えるような立派な正しいことをしたい。一人の人間の力で世界を変えることは可能なのか思い悩む少年だった。フィリップの父のように国務省に入っても正しいことは出来ないのではないか。あまりにも真っ直ぐなジュリアンが悪気もなくついた嘘が大惨事に繋がってしまった。人はだれでも何かしら役を演じて生きているわけだが、政治が絡むとそれは危険な領域に入ってしまう。

 

善意の人々が時としてトラブルメーカーになってしまうことは私達の身近でも起き得ることである。大きな後悔を抱えながらも、それでも生きていく人と力尽きてしまう人がいる。その違いは何なのか。正しさとは何か。そして罪悪感から真実を語ることは救いとなるのか。

 

「緋色の記憶」と本書と、二冊を読了して感じたことは真実を告白することは必ずしも救いにならないということである。自分の罪を告白することは自分を救う手段であっても誰かを傷つけるのであれば語らないこともまた善であるのかもしれない。だが、本書はそこでは終わらない。「この世で最も残酷な行為は欺瞞である」とたたみかけてくるのだから何ともやりきれない気持ちになる。

 

第一部の『クエンカの拷問』は死体なき殺人事件であり冤罪事件でもある。拷問で自白した二人の容疑者は決して善人とは言えないが無実であった。なによりも、いじめの被害者であり弱者と思われていた被害者が生きていたこと、復讐のため自分自身を死んだことにした、というのは本当に闇が深い。

 

このように社会的・政治的な闇を描いているためにミステリとしてのインパクトが弱いような印象を持った。ミステリよりもノワール、いやノワールよりも哲学的な小説と言っていいのかもしれない。

決して明るい小説ではないうえにミステリ要素も少ない。しかし非常に読み応えのある作品だった。


0 件のコメント: