追熟読書会

女性刑事〈ケイト・リンヴィル〉シリーズ(イギリス)


著者シャルロッテ・リンクはドイツ生まれで現在もドイツ在住ですが、小説の舞台はイギリスのヨークシャー地方です。

なぜイギリスかというと、ブロンテ姉妹(嵐が丘やジェーン・エアの作者)に憧れて少女時代から頻繁にイギリスを訪れていたからだそうです。

主人公ケイトはスコットランドヤードで働く女性警官です。

父のリチャードはヨークシャー警察の伝説的な名警部でした。

ケイトは父リチャードを深く愛し尊敬していましたが、自分が生きづらさを感じていること、孤独なことや、仕事で悩みを抱えていることなどを父には言えずにいました。

退職後のリチャードもまた孤独でしたが、人生が上手くいっているかのように振る舞う娘の意思を尊重して、ともに過ごす時間は自分の気持ちをごまかすことに費やしていたのです。

1作目の序盤でリチャードは惨殺されケイトは一人ぼっちになってしまいます。休暇を取ってヨークシャーに帰省したケイトは管轄外の捜査に首を突っ込む形になります。

このシリーズはヨークシャーのスカボロー署ケイレブ警部との関係が重要なポイントになりますが、1、2作目は休暇中のケイトがケイレブの事件に関わり、3作目ではケイレブが停職中で立場が逆転します。どちらにしても毎回片方がアウトサイダー的な立場で事件に関わるというスタイルになっています。

全体を通して読みやすい作品ばかりです。女性作家が描く繊細な女性警官の姿が特徴といえるでしょう。養子縁組の難しさ、親子の距離感、孤独感から支配的な相手に洗脳される女性、他人や子どもへの依存傾向など毎回興味深いテーマが選ばれています。

依存という意味では捜査責任者の重圧でアルコール漬けになるケイレブ警部の苦悩も大きな柱になっています。

毎回、意外な結末に辿り着きますが「どんでん返し」というような派手なものではなく、「人間生きていればイロイロある」と考えさせられるような趣のある展開です。

それでは、まずは「おもな登場人物」の紹介を。そしてその後、各作品の内容に入っていきます。


ケイト・リンヴィル

スコットランドヤードの刑事。巡査部長。
シリーズスタート時点で39歳。夫なし、子供なし、恋人なし、友人なし。他人と関係を築くことが苦手。職場内には「ケイトのやることなすこと全てがどこか間違っている」と感じさせる何かがあり、自分に自信が持てず悶々とした日々を過ごしています。小柄で華奢で目立たないことも悩みの一つ。

リチャード・リンヴィル

ケイトの父親。
ヨークシャー警察元警部。妻を病気で亡くし、退職後は長年一緒に働いた同僚も離れていき孤独な日々を過ごしています。ケイトの一番の理解者。

 

 ケイレブ・ヘイル

スカボロー警察署の警部。
ケイトの父リチャードと一年ほど一緒に仕事をしたことがあり、
ケイトのことはあくまでもリチャードの娘であり恋愛対象とはみていません。アルコール依存症の治療を受けるため入院していたことがあって表向きは完治したことになっています。しかし時々プレッシャーに耐えられなくなると仕事中にお酒を飲んでトラブルを起こしています。妻と離婚し子どもなし。大きな家で一人暮らし。

ロバート・スチュワート

スカボロー警察署の巡査部長。ケイレブの部下。切れ者という感じではないが、仕事ができないわけでもないという平均的な警察官。わりとシニカルな一面を持っていてケイレブが暴走しそうになったときのストッパー役になることもあります。

コリン・ブレア

2作目でケイトとマッチングサイトを通して出会います初登場時点で45歳。週4日はジムに行き外見を整え、常に自信満々な態度で周囲を圧倒していきます2人の間に恋は生まれずカップルにはなりませんが、人との社会的な繋がりをうまく持てない人間同士が完全な孤独に陥らないために週末に時々会う関係を築いていきます。ケイトの唯一の友人。


 

 裏切り 上 


名警部だったリチャード・リンヴィルが惨殺され娘のケイトは深い悲しみに沈みます。

ケイトは自分で調べられる範囲で父の過去と事件関係者を調べ始めるのですが、捜査責任者のケイレブ警部は当然面白く思わず、すぐに諍いが始まります。

ケイレブ警部の活躍にもかかわらず次第に捜査は行き詰まっていきます。そんななかでケイトは父の知り合いだった女性メリッサから会いたいという連絡を受けます。ところがケイトが会いに行ったときには、すでにメリッサは父と同じ方法で惨殺されていました。

メリッサの周辺捜査で父にも大きな秘密があったことがわかってきます。まさか父が母以外の女性と交際していたとは。

大きな衝撃を受けたケイトの心情に理解を示しサポートするのは女性警官スカピンでした。スカピンとケイトは急速に距離を縮めていきます。

もう一つのストーリーとして脚本家夫妻の養子縁組が並行して語られていきます。養子とその実母との関係、実母と恋人の関係などが複雑に絡み合いあい、この辺りからザワザワ感が満載になってきます。

リチャードの事件の凄惨さ、意外な秘密の露呈、余りにも大きな悲しみを背負うケイトに感情移入しないではいられなくなります。

ケイトが決して美人ではないこと、印象に残るような特徴も華やかさもないこと、深く踏み込んだ会話が苦手なこと。その一つひとつは読者と等身大の悩みといってもいいのですが、ケイトがケイレブ警部に好意を抱いていることがなんとも切なくなります。

とにかく上巻では何一つ解決には向かわず複数のストーリーが同時進行で進んでいきます。登場人物表もなく次々と人が増えていきますが混乱せずに読んでいけるのが不思議です。

さて、これらはどう繋がっていくのでしょうか。


 裏切り 下 


父の裏切りを知ったケイトはショックを隠せませんが、それでも事実を知りたいという思いから父の家を片付け書類を整理しはじめます。

そこでリチャードの元同僚ダウリックの住所が見つかり合いに行くケイトですが、またもや悲惨な事件に遭遇することに・・・

相変わらず複数のストーリーが並行して進みますが、次第に絡み合って繋がっていきます。

ケイトは事件終息とともに家族の病を卒業して一歩踏み出していきます。この父娘の問題はケイトが親離れできず境界線を引けなかったことが原因だったのでしょう。

下巻に入ってもう一つの家族の物語、障害のある弟と暮らすスカピン刑事の悪戦苦闘の日々が語られます。刑事としての優秀さとプライベートでの深い悲しみ。この2つの視点で新たな物語は展開していきます

全体的には事件の内容と心理描写のバランスの良さ、アクションシーンの少なさが読みやすさに繋がっている印象です。アルコール依存症のケイレブ警部とケイトが安易な恋愛に走らなかったことも好印象です。

ケイレブ警部のアルコール依存症はストレス解消法という意味だけではなうようです。過去には酔っているときほど脳が働いて閃きがあったとのことで、今後も何かしらトラブルを起こしそうな余韻を残しています。

とはいえ、ケイレブの弱さやケイトの抱える生きづらさが読者にとっては感情移入できるところなのでしょう。



  誘拐犯 上  


2017年、前作から3年が経過しケイトは42歳。相変わらず独り身。

ケイトは父の家を売ることができず貸していましたが、賃貸人が家を滅茶苦茶に汚して行方不明になるという悲劇が起きます。

再びヨークシャーを訪れたケイトを待っていたのは家の修復だけではなく、宿泊先の宿で起きた少女行方不明事件でした。

今回も複数の事件が並行して語られていきます。

2013年、父と二人暮らしの少女ハル(14歳)が祖母の家からの帰りに行方不明に。

2016年、雨の夜に友人と会ったあと少女サスキアが見知らぬ男の車に無理やり乗せられて誘拐される。1年後にムーアで遺体発見。

2017年、ケイトの宿泊先オーナーの娘アメリー(14歳)は母と買い物にいったスーパーの駐車場で行方不明に。

さらに実母に反抗して家出した少女マンディの危うい逃走劇が語られていきます。

果たして同一犯人なのでしょうか。

ケイトはなるべく行方不明事件に関わりたくはなかったのですが、結局ケイレブ警部と再び遭遇することになります。意外なことにケイレブはケイトに優しく接しスカボロー署への移籍を勧めます。

容疑者が次々と浮かびシロと判定され捜査の方向性も定まらないままストーリーは進んでいきます。さらにケイト自身の問題も解決には向かわず、亡き父との思い出と孤独と家の処分に押し潰されそうになります。

唯一の救いは賃貸人が置き去りにした猫のメッシーが新しいご主人ケイトに懐いていることでしょう。


※ムーアとは

前作でもムーアが出てきました。今回もムーアで少女の遺体が見つかっています。スカボロー近郊に「ノース・ヨーク・ムーアズ国立公園」がありますが、このシリーズではムーアは地名ではなく単に「湿原」の意味で使われているようにも思われます。スカボロー近郊の湿原地帯ということでしょうか。

※スカボローはどこ?

イングランド・ノース・ヨークシャーの北海海岸沿いの大規模な居住エリアの一つ。タウンの人口は約50,000人で、ヨークシャー海岸では最大の休日のリゾート地でもあります。

中世の頃から交易港として栄え、夏季には大規模な市場(フェア)が立ちます。『スカボロー・フェア』という曲が、1967年の映画『卒業』の挿入歌として用いられ世界的に有名になりました。

 ケイトの育った家はスカボロー郊外のスカルピーにあります。地図で確認するとスカボロー中心地から数キロ北上したところにある緑豊かな住宅地です。家は1階にキッチンとリビングとダイニング、2階に寝室が3つとバスルーム、それにかわいらしい小さな庭があると書かれています。

そんな素敵な土地で起きた連続少女誘拐事件。下巻でどんな展開が待っているのでしょうか。

海外小説を読むときに、舞台となった土地や背景情報を調べると楽しみが増えますが、『スカボロー・フェア』をYouTubeで聞いて、再び本に戻るとケイトの孤独に一層寄り添うことができるように感じました。




  誘拐犯 下  


ケイトは記者になりすまして第1の事件でハナを車に乗せた青年やハナの父親など次々と訪ねて話を聞きます。しかしなかなか核心に迫ることはできません。

家出娘のマンディは監禁状態にあり、こちらは犯人側から描かれていきますが犯人像は相変わらず掴むことはできません。

そして、ケイトに恋愛の兆しが・・・それも2人も・・・1人はマッチングサイトを通してロンドンで出会ったコリン。意外なことにしつこくケイトに絡んでくるという驚きの展開が起きます。

もう1人は宿の娘アメリーを嵐の海で助けたデイヴィッド。意気投合した2人は急激に距離を縮めていきます。

優しくすべてを受け入れる理想の男性として描かれるデイヴィッド。恋愛経験の乏しいケイト。警官であることを隠して付き合うケイト。この恋心がケイトの心を傷つけませんように、と感情移入してしまうようなシーンが続きます。

事件のほうはハナの祖母を訪ねたことから動き始めますが、ケイトの閃きや推理よりも偶然に導かれていく感じで進み、ケイトの身にも危険が迫ります。

少女たちはなぜ見知らぬ人間の車に簡単に乗ってしまうのでしょうか。ハナの母親はなぜ娘を置いて出ていったのでしょうか。

今回もまた親子関係が大きなテーマとなっていますが、距離感というより依存の問題と言ってもいいでしょう。

精神医学に関しては誇張して書かれている部分もあるとは思いますが、自分の人生に幸福感を得られず他人に依存していく姿はリアリティがあります。

ケイトに関しては趣味が何もないこと、おしゃれにも美食にも興味がないことが読み進むにつれて何となく違和感になってきています。

そしてケイレブの飲酒問題。アルコールに依存しているとは言えない状況まで回復していますが、以前のような公正さやひらめきはなくなり、部下から一緒に働きたいとは思えない人間と評されています。

事件は当然のことながら解決します。しかしケイトもケイレブも問題を抱えたままで、またしてもこの先どうなる?という思いが残ります。


  罪なくして 上   


20年もの間、スコットランドヤードで華々しい捜査結果を残したにもかかわらず巡査部長にしかなれなかったケイト。普通は上司が部下を昇進試験に推薦し本人にも受けてみるように進めるものなのですが、ケイトの上司は決してすすめてはくれなかったのです。

そこで、ケイトの捜査能力を認めてくれているケイレブ警部の勧めに従ってークシャーのスカボロー署に移籍することを決意します。

長年、誰からも相手にされていないと感じていたケイト。しかし思いがけず同僚からお別れプレゼント・・・ウェルネス・ホテルの週末宿泊券2枚をもらいます

このホテルに向かう列車内で、ケイトは女性が銃撃されそうな場面に偶然遭遇し助けることになりますが、この辺りは謎に包まれたアイリッシュ作品のような雰囲気です。しかしこれは第一の事件に過ぎなかったのです。

▶ウェルネス・ホテルの週末宿泊券は2枚ありました。ここで前作で知り合ったコリンが登場。事件解決に貢献しようとして実にコリンらしく物語を引っ張っていってくれます。

その数日後、女性教師が襲われて重傷を負います。これが第二の事件。

この二つの事件で使われた銃が同じだったことから、ケイトが捜査の主導権を握ることになります。

ケイレブ警部はというと、勤務中の飲酒が発覚し人質事件の全責任を背負わされていました。そしてなんとケイトが赴任したときは停職中だったのです。

ケイトの能力を認めてくれたケイレブと仕事がしたくてヨークシャーに赴任してきたのに・・・新しい上司ロバートと上手く折り合いがつけられないケイトの苦悩が始まります。

さらに、少女誘拐事件を目撃した女性が警察に通報する場面や、ロシア人の子どもを養子にした夫妻の悪戦苦闘の物語、自己啓発セミナーに次々と参加してパートナーと仲たがいした女性の失踪事件等々が描かれていきます。

とにかく忙しく場面が変わり次々と新しい人物が登場する展開ですが、これらはどう結びついていくのでしょうか。
  (本書も登場人物表がありません)


  罪なくして 下   


第一の事件の被害者クセニアがコリンと一緒に行方不明になります。

第二の事件の被害者ソフィアは四肢麻痺で寝たきりになり、リハビリ施設に輸送中に行方不明になります。

急激に状況は変化していき、ロバートは何も対応できずケイトが実質的に捜査を引っ張っていくなかで大きなトラブルに巻き込まれていきます。

いろいろ新たな展開も起きるのですが、何といっても下巻のメインになるのはロシア人の子を養子にした夫妻の過去です。

養子にした子は軽い知的障害があり幼稚園でも小学校でも周囲と馴染めなくて問題を起こします。よくある話ですが妊活を諦めて養子縁組をしたあとになって自分たちの子ども(娘)を授かったことでさらに疲弊する夫妻。

娘のベビーシッターとして雇われたロシア人女性が非常に優秀だったので一家に平和が訪れますが、妻のアリスはすでに重い育児ノイローゼになっていました。

読むにしたがってタイトルの「罪なくして」の意味がわかってきます。

しかしこの「罪なくして」も別の人物の角度から見ると「罪と罰」であり、なかなか重い内容が暴かれていきます。

アリスの心情は育児経験者であれば理解できる程度の内容と思いながら読み進むも、どんどん空回りしてすべてが悪いほうにいってしまうとは・・・

何でも器用にこなすベビーシッターへ嫉妬するアリスの姿なども切ないのですが、女性作家ならではの観察力で繊細に書かれています。

停職中のケイレブはケイトを助けてアイデアを出し、自分も聞き込みに奔走します。ケイレブの発想はいつも素晴らしく行動力もあるのですが、何故か向かう先が少しずれているのです。

今回は非常に重いテーマですが、救いはケイレブとケイトの気持ちが通い始めていることでしょう。

ケイレブがケイトに対してあからさまに魅力の欠如を突き付けるシーンが減っただけでも読みやすさが増してきました。一方で目標も自信も失ったケイレブに新しい目的意識は生まれてくるのでしょうか。

どこまでいってもケイトとケイレブはこの後どうなる?という思いが残ります。


何となくシリーズ終結の雰囲気もありますが、まだ翻訳されていない続編が2冊ほどあるそうです。

邦訳が出版されしだい順次レビューを追加していきます。







現代版シリアルキラー VS セルヴァズ警部(フランス)



ヨーロッパのミステリを読んでいると連続殺人はほとんど起きないというようなことが書かれています。殺人事件自体が少ないのでシリアルキラー(連続殺人犯)など存在しないという認識なのでしょう。しかしというべきか、だからこそなのでしょうか。シリアルキラーが暗躍するシリーズは意外と多いのです。

フランスの『 警部セルヴァズの事件ファイル』はシリーズ1作目からピレネーの精神医療研究所に収監されている連続殺人犯(シリアルキラー)ハルトマンが登場します。


主人公セルヴァズは、本当は文学者になるはずだったインテリ刑事。


そんなセルヴァズがシリアル・キラーと対決するのですから何が起きるかわからないと不安になるかもしれませんが、大丈夫です。日本の警察ではあり得ない自由さや大胆さで乗り切っていきます。

警察の仕事については実際よりも自由を利かせている」と著者の付記(第2作目巻末)があるほどですおそらく本シリーズは警察小説としての一面もあるという表現が正解なのでしょう。

セルヴァズ警部は仕事で出会った女性やその他諸々の女性とのロマンスが多く、毎回何かしらのワクワクが(ハニートラップのこともありますが・・・)埋め込んであります。本シリーズはロマンス小説の一面もあるという表現も正解なのかもしれません。

また、ロマンスの一方で女性の管理職は男性から軽く見られるなどシビアなジェンダー問題も描かれています。憲兵隊の大尉が女性であることも、美女でピアスに入れ墨だったりすることも、日本では考えられないことです。

セルヴァズは家族や元恋人のことで心の大きな傷を抱えています。しかしシリーズが進むなかで孤独は和らぎ、面倒くさい小心者なのにハードボイルドな一面を披露するようになっていきます。

それでは、まずは「おもな登場人物」の紹介を。そしてその後、各作品の内容に入っていきます。


セルヴァズ警部

トゥルーズ署の犯罪捜査部班長。
詩を引用し、マーラーの交響曲を好んで聞きます。サッカーの試合で町中が騒いでいると憂鬱になるほどのスポーツ嫌い銃の扱いが苦手なのになぜか一人で危険な場に飛び込んだりして展開を面白くする天才でもあります。
フランス特有の憲兵隊との勢力争いが度々勃発する中で掟破りの捜査や管轄外の事案に首を突っ込んで停職になること複数。

ジーグラー

憲兵隊の女性大尉。
1作目から登場する重要なポジションの美女。深い緑色の目、金髪、鼻ピアスをして首筋には小さな入れ墨(中国語?)があります。セルヴァズと恋愛関係にはなりません。その理由も次第に明らかになっていきます。

マリアンヌ

セルヴァズの昔の恋人。 
「死者の雨」で20年を経てセルヴァズと再会。複数の作品に登場するがその度に事件に巻き込まれセルヴァズも振り回される。

アレクサンドラ

セルヴァズの元妻。
「姉妹殺し」で離婚の詳細が語られますが、あまり好人物として描かれていません。客室乗務員で生活の半分は飛行機と空港とホテルで過ごしている状態。セルヴァズとの出会いは大学時代。


マルゴ

セルヴァズの娘。
幼児期や反抗期の様子も描かれていますが、セルヴァズの離婚後は定期的に食事をしたり良い距離を保っています。セルヴァズの捜査中の事件に巻き込まれそうになることも。本シリーズはイロイロな側面がありますがマルゴの成長物語として読むこともできます。

エスペランデュー

セルヴァズが一番信頼する部下。
妻のシャルレーヌがセルヴァズの生活や子育ての手伝いをしているのですが、軽くロマンスに傾きそうな危険な雰囲気も・・・

ハルトマン

連続殺人犯(シリアルキラー)
スイス人の元検事。自分の妻と愛人を殺して逮捕されます。この事件は上流階級の人間を多数巻き込んだ社会的激震に発展します。その他にも5ケ国40人ほどの女性の失踪事件の容疑者とされていますが確証はつかめていません。シリーズスタート時点では、ピレネーのヴァルニエ精神医療研究所(最も危険と思われる社会的捕食者のための施設)に収監されていました。刑務所や精神病院の中から外部の人間を操作することもあるマインドコントロールの天才でもあります。ハルトマンはシリーズ内の複数作品で登場してセルヴァズとマリアンヌのプライベートな面にまで影響を及ぼします。



  氷結(上)


シリーズ最初の事件は、なんと馬殺しです。大富豪ロンバールの愛馬が標高2千メートルの水力発電所で皮を剥がれ吊るされた状態で見つかります。

特命を受けた警部セルヴァズは、美貌の女性憲兵隊大尉ジーグラーを相棒に捜査を始めることに。現場からは猟奇殺人鬼ハルトマンのDNAが採取され、事件は不気味な様相を呈していきます。

閉ざされた冬の水力発電所で働く男たち、すべてを飲み込むピレネー山脈の雪、犯罪者の終の住み処である精神医療研究所、舞台は揃っています。

日本以上に苦境に立たされるフランスの精神医療の実態が暴かれている点もポイントと言えるでしょう。ザワザワ感が半端ない中でセルヴァズは憲兵隊の女性大尉に見惚れるなど余裕を見せるシーンもあります。



  氷結(下)


DNAの持ち主ハルトマンは人里離れた研究所に隔離されているのだから犯行は不可能なはず。そんななか、裸で吊された男の惨殺体が渓流沿いで見つかります。

セルヴァズは捜査を進めるうち15年前に起きたある忌まわしい事件と山間の町に眠る暗い秘密に辿り着くのですが、予想を超える容疑者が浮上してきます。

セルヴァズは車に拳銃を忘れたり、大事な時に携帯が充電切れだったり、ミステリとしての完成度は疑問が残るかもしれません。

構成から考えて序盤から登場している人物の誰かが犯人であることは間違いないでしょう。そのためかセルヴァズや周辺の人物の造形は丁寧なうえ、精神医学についてもかなり詳細に書かれていますので、その分野に興味があれば楽しめるのではないかと思います。

殺人鬼ハルトマンは今後の作品でもセルヴァズの精神衛生に大きく関わってくるのでしょう(予測)

ポイントは支配的な親子関係、田舎の隠蔽体質、結局は人間関係なのです。




 死者の雨(上)



今回は、フランス南西部の学園都市で起きた女性高校教師の変死事件です。

高校はエリートばかりが通う名門高校。逮捕された17歳の少年ユーゴ。少年の母でありセルヴァズの元恋人であるマリアンヌとの再会。

捜査を進めるうちに、セルヴァズの周囲に姿なき猟奇殺人鬼の影がちらつきはじめるのです。そんな中で、ゆるゆるとセルヴァズの過去と現在のロマンスが語られていきます。

憲兵隊と警察との軋轢が事件解決の壁となるのは前作と同じ展開。

マリアンヌはロマンスと事件のどちらに関わってくるのでしょう。


 死者の雨(下)



連続殺人鬼ハルトマンのことが頭から離れないセルヴァズ。さらに逮捕された少年ユーゴ以外にも若手政治家や同僚教師らが新たに容疑者として浮上し、捜査は一気に混沌としてきます。

その混沌の最中、ユーゴと同じ学校に通うセルヴァズの娘マルゴが襲われ、町を震撼させる凄惨な事件が・・・次第に進学校の闇が明らかになっていきます

セルヴァズは哲学的で自分の感情を常に分析する素晴らしい刑事なのですが、ここ一番という場面で単独行動をしていて一人で危険に飛び込むことになるのはなぜでしょう。

セルヴァズ自身の学生時代のロマンスや思い出が語られることもポイントの一つですが、そのロマンスもことごとく裏切りに変化し終わっていきます。

親友という言葉の意味すらわからなくなり、恋人を理想化しすぎて結局失望する孤独なセルヴァズ。

だんだんと感情移入していかざるを得ないストーリー展開になっていきます。




 魔女の組曲(上)



ラジオパーソナリティーのクリスティーヌに
自殺予告が届きます。その日から何者かの悪意に運命を狂わされていくのですが、誰が何の目的で彼女を追いつめるのでしょう。

巧妙な手口に警察や周囲の誰もが狂言を疑うなか、姿なきストーカーは死へ誘う究極の罠を仕掛けていたのです。

同じ頃、休職中の警部セルヴァズにも差出人不明の小包が届きます。前作で復活したかのようだったセルヴァズは心を病んで警察の施設で療養中。

半分はラジオパーソナリティの女性の話。様々な嫌がらせを受けたうえ、加害者と間違われ仕事も恋人も失うまでの経緯が語られていきます。

そしてセルヴァズの元に届いたホテルのカードキー。まだ2つの事件は絡まってこないのですが、文学や宇宙開発、音楽など著者の博識を披露しながら話は進んでいきます。



 魔女の組曲(下)



セルヴァズに届いた高級ホテルのルームキー。その部屋では1年前、成功した女性写真家が壮絶な自死を遂げていました。

単独調査に着手したセルヴァズは匿名の情報を手がかりに地元名士の存在に行きつきます。暴力と妄執、権力で歪められたその過去が明らかに。

下巻に入ってからは急速に話が進んでいきます。今回は仮面を剥がす系ですがそれが2重3重に仕組まれ、マニピュレーターと復讐がテーマになっています。

本来の自分を取り戻していくセルヴァズ。
世俗的な喧騒を嫌い一人でマーラーを聞きながら読書するセルヴァズ。
公園で一人でシャンパンを飲みながら年越しをするセルヴァズ。

読みながら、だんだんと保護者のような気持ちになっていくのでは何故でしょうか。

マニピュレーター(manipulator)とは、親切と理不尽な態度という2つの矛盾した行為を繰り返したり、善人のふりをして相手を支配していく人物のこと。




 夜 



今回はノルウェーの教会で起きた女性の惨殺事件。遺体にはオスロ警察の女性刑事シュステンの名が記されていました。

被害女性が勤めていたのは北海の石油プラットフォーム。

この石油プラットフォームは世界中から集まってきた人々が海洋都市で泊まり込みで働いてる過酷な場所です。

事件当夜に外泊して戻っていない従業員の部屋を捜査するシュステン。そこで見つかったのは、連続殺人鬼ハルトマンのDNAと大量の隠し撮り写真。被写体は警部セルヴァズと判明。シュステンはフランスに合同捜査を申し入れます。

そのころセルヴァズは別件のレイプ犯を追跡中に重傷を負い、生死の境をさまよっていました。この臨死体験を精神科医の解説付きで詳細に説明していることが今までとは違う本作の大きな特徴です。

このときのレイプ犯の逆恨みが後にセルヴァズを追い込んでいくことになるのです。臨死体験で考え方が変わってしまったセルヴァズは、家族を大切に思う気持ちが強くなりすぎたのか、家族を思って行動するといつもピンチに陥ります。同僚とも今までのように話ができないセルヴァス。唯一の救いがノルウェーの女性刑事シュステンでした。

そしていよいよ殺人鬼ハルトマンとの対決が。

今回、ハルトマンはギュスターヴ(グスタフのフランス読み)という5歳の男の子を連れています。ハルトマンとセルヴァズはグスタフ・マーラー(ウィーンの作曲家)が好きという共通点があるのですが、ギュスターヴはいったい誰の子どもで、なぜ可愛がるのでしょうか。シリアスキラーという設定にそぐわない優しさの発露にセルヴァスも戸惑いを隠せません。

法も犯罪も知り尽くしてマインドコントールに長けた元検事のハルトマン。

どこか挙動不審なオスロの女性刑事シュステン。

執念深く復讐を計画するレイプ犯。

つぎつぎと罠にハマって(ハニートラップもあったり・・・)何度も命を落としかけるセルヴァズ。

満身創痍という言葉はセルヴァズのためにあるのです。

心身ともに傷ついた孤独なセルヴァズのもとに娘のマルゴが戻ってきたり、家族が増えていくという微笑ましい展開もあるのですが、部下の妻に好意を寄せたり相変わらずの軽さも披露していきます。

シリーズ4作目。今までの作品よりは短くて上下巻に分かれてもいませんが、複数の出来事を追っていくのが大変になるほど内容は詰まっています。シリーズの続きを読み進めていくと、この「夜」は大きな転換地点だったことがわかってきます。


 

  姉妹殺し  



1993年、トゥールーズの森で起きた大学生姉妹殺人件から始まりますが、
25年後の事件と交互に描かれ交錯していきます。セルヴァズが初めて自分と父の過去、妻との別れを語る異色作でもあります。

駆け出しの刑事セルヴァズが目にしたのは、白いドレス姿で木につながれた異様な遺体。容疑者に浮上したのは人気ミステリー作家でした。犯行手口が彼の小説と酷似しており、姉妹との関係も判明します

25年後、今度は作家の妻が白いドレス姿で小説と同じ手口で殺されます。

セカンドストーリーとして、セルヴァズが父の自死の第一発見者となるシーンが描かれています。なぜマーラーの交響曲なのか。なぜ警察官になったのか。父と母の間には何があったのか。そしてセルヴァズと元妻との関係は・・・

本筋の2つの事件は関係者も警察官も少し狂っていながら、それでいてどこか哲学の匂いがする不思議なテイストです。

1993年は、DNA鑑定もまだ浸透していない状態で警察官の暴力が蔓延しています。セルヴァズはどのようにして警部として信頼を勝ち得てきたのか。ある程度の年齢の人にとっては時代の変化に思いを巡らしながら読み進むという楽しみ方もあるのかもしれません。

後半になってまたセルヴァズがピンチに陥るパターンになります。一気に物語は終息に向かって加速するので読みごたえがあるのですが、どちらかというと若かりし頃のセルヴァズに興味を奪われる感じがあります。

父とセルヴァズ、そしてセルヴァズと息子。今回は親子関係がテーマでもあるのですが、読みながらマーラーが聞きたくなってYoutubeに飛ぶというオマケ付きでした。




 黒い谷 



前作で我が子の命を守るために掟破りの捜査をしたことで降格&停職中のセルヴァズですが、8年前に拉致された元恋人マリアンヌから電話がありピレネー山中に向います。

そのころピレネー山中では、謎の記号が描かれた石の傍で男性の惨殺体が見つかります

以前にもこの地で同様の手口の殺しが起きていたと聞いたセルヴァズはマリアンヌ拉致事件との関連を調べ始めます。

管轄外の事件ですが停職中なのでセルヴァズはしたい放題。

憲兵隊のジーグラーの好意で捜査会議にも出席しますが、意外なことに職場内の男女差別でジーグラーが悩んでいることを知ります。

そうこうしているうちに、さらなる殺人が・・・

そして土砂崩れ。

捜査関係者も山村に犯罪者と一緒に閉じ込められてしまいます。

しかし地元の人間ならば洞窟を抜けたり山越えの方法もあるため、完全なクローズドサークルではないことが判明します。次々と起こる不可解な事件。様々な推理に発展して事件は混迷していきます。

今回はセルヴァズに新恋人ができて孤独から抜け出していることが大きなポイント。

もうマリアンヌのことはいいでしょう、とセルヴァズ自身も思っているような感じもありながら、決着を付けたいという強い思いもあり・・・マリアンヌの捜索隊を結成したいと思いながらも目の前の事件に振り回され、それでも結局は引き込まれていくのです。

どちらにしても、もうハニートラップには引っ掛からないでしょう(・・・たぶん)

ひとつ頭をよぎったのは、このシリーズはロマンス抜きで進められないのだろうかということです。おそらく答えはYESなのでしょう。警察小説の主人公が独身かバツイチの場合は、プライベートなことにページを割いて本筋のミステリが弱くならないための設定なのでしょう。しかしこのシリーズはどっぷりとセルヴァズのプライベートシーンに浸りながら事件は解決していくのです。(ときには事件関係者とのロマンスだったりします)

相変わらず心理学や哲学的な会話が多いのですが、さらに今回はフランス国内で広がる警察不信、所得格差と二極化、SNSと子どもと犯罪など重要なテーマにも迫っていきます。

SNSと犯罪というテーマを扱ったミステリは本書以外にも次のような作品があります。

M W クレイヴン(著)『キュレーターの殺人 (ワシントン・ポー&テリー)
・ジェフリー・ディーバー(著)『ロードサイド・クロス』(キャサリン・ダンス捜査官

上記の2作品はミステリ要素は「黒い谷」よりも強いのですが、セルヴァズには独特の暖かい視点があり、また違った趣があります。

また、シリアル・キラーとの対決を描いた作品は他にヨーナ・リンナ刑事シリーズ(スウェーデン)があります。このシリーズはクライム・ノベル(犯罪小説)に分類されることが多い作品で警察よりもシリアル・キラーがメインになっている印象です。ヨーナとセルヴァズとでは性格も全く違いますし捜査方法も異なります。共通点は家族がシリアル・キラーの標的になって命がけで戦うことでしょうか。

まったく個人的な感想ですが、私はセルヴァズのメンヘラっぽい感じが好みです。


※シリアル・キラー
一般的に異常な心理的欲求のもと、1か月以上にわたって一定の冷却期間をおきながら複数の殺人を繰り返す連続殺人犯のこと。一か所で多数の人間を殺害する一般的な大量殺人とは異なります。また、二箇所以上の場所で(複数の)殺人を行い、それらの間隔に冷却期間がほとんどない場合はスプリー・キラーと言われています。

本シリーズでは、ハルトマンのことを「一見健全な社会生活を長年維持しながら、その裏で残虐非道な犯罪行為によって快感を覚える連続殺人犯のなかでも稀な部類」と説明しています。


 

 



今後も新刊を順次追加していきます 

 

アガサ・クリスティの世界



アガサ・クリスティの本を初めて読んだのは何歳だったのだろうか。もう思い出せないほど昔の話。ネット書店などなかった時代に北海道の田舎町で育った私にとってはアガサ・クリスティは手に取りやすい本だったというのが正直なところです。それから年月を重ねて結婚、出産、子育てをするなかでアガサ・クリスティの世界〈閉鎖的で、過干渉で、ちょっと面倒で、暗くもあり怖くもある、でも優しさもある〉そんな世界に深くハマっていきました。これまで読んだクリスティ本は70冊ほど。完全制覇とはいかないまでもかなり読み続けてきました。

そこでこの70冊の読了本のなかからベスト5を選んでみたいと思います。初期の謎解きに重点を置いた有名作品以外から、小説として読み応えのある面白い作品を選んでいきます。
まずアガサ・クリスティの生涯を簡単に自伝から抜粋し、その後、5位〜紹介していきます



 アガサ・クリスティー自伝  

1977年 日本では2004年「クリスティ文庫」


1890年9月15日、英国の海辺の避暑地トーキイで誕生。アガサと名付けられた内向的な少女は、才気みなぎる姉と心豊かな母の影響を受けて空想好きな少女に成長していきます。メイドの給料の支払いもギリギリな生活でしたがそれでも家族全員が前向きに心地よく生活をしていました。

恋愛、婚約、そして電撃的な結婚。相変わらずお金には恵まれない生活をおくるアガサは薬剤師として働くようになります。「モンテ・クリスト伯」を愛読した少女は「黄色い部屋の秘密」を堪能するようになり、薬物の知識を身につけ、やがてポアロが登場します。

作家として順風満帆のスタート。世界一周貧乏大旅行。大論争を巻き起こす話題作の誕生。そして母の死、離婚。最愛の男性との出会いと再婚。

アガサがプロ作家になっていくに従って増える苦悩や不満、別名義の執筆などアガサの悩みは絶えることはありませんでした。



 💬  自伝には作品に対するアガサの思いも多く書かれています。ポアロのキャラが意外と簡単に決まっていったこと、「春にして~」は長年温めてきた題材であったこと、「そして誰もいなくなった」は構成で苦労したこと、等々。プライベートでは、元夫のこと。金遣いが荒い人だったようですが自伝には好意的に書かれています。なぜ離婚後も元夫の姓を名乗り続けたのか、何だか理解できる気がしました。苦労を重ね人間の愚かさや怖さを知り尽くしたアガサだからこそ書けた小説の数々をぜひ楽しんでみてください。



 第5位 

死との約束 

1938年 日本では1957年「世界探偵小説全集343」 2004年「クリスティー文庫 16」

ポアロシリーズ 中近東シリーズ


ヨルダンの古都ペトラが舞台。
旅の途上でポアロは「いいかい、彼女を殺してしまわなきゃいけないんだよ」という言葉を耳にする。しかしなかなか殺人は起きない。「彼女」とは成人している子供たちを外部の人間関係から隔離して支配する母親のこと。

その支配ぶりは虐待とも受け取れるほどひどいもので、あまりの暴挙に「この母親には感情移入できない」と感じる読者も多いのではないでしょうか(私だけかも)・・・しかしこれもクリスティの巧みな仕掛けなのです。

ミステリ小説では被害者に同情できなかったり、加害者が可哀想だったりすることも多いのですが、ポアロは「それでも真実を明らかにしなければならない。なぜならば、一度罪を犯して逃げ切った人間はまた同じことをする。いやエスカレートしていくこともあるからだ」と常々口にしています。ドラマでは余りこの類のセリフを言ってる印象はありませんが、小説ではポアロは意外と哲学的で好人物に描かれているのです。

このような家族に他人がどこまで関わるべきなのか、判断は難しいでしょう・・・「中年になると有益なことも有害なこともやらなくなる」という言葉にドキリとしますが、そうこうしているうちに母親は死体で発見され、ポアロの出番となります。

前半のインパクトが強いので犯人探しに没入できない感覚もあります。結局この作品は、ポアロの巧みな質問と家族の行動記録から組み立てる推理を聞いて納得できるか否かにかかっているのかもしれません。結末も賛否がわかれるでしょう。でも何故か記憶に残ってしまう作品です。

※この作品は2021年に三谷幸喜さんの脚本でドラマ化されています。



 第4位 

忘られぬ死

1945年 日本では2004年「クリスティー文庫 」


魅力あふれる美女ローズマリーが自分の誕生日パーティの席上で青酸入りシャンパンを飲んで亡くなった。その場にいた誰一人として毒を混入することは不可能であったこと、彼女のバッグの中から青酸を包んでいた紙が発見されたことなどから自殺として処理されました。そしてちょうどその1年後に同じような状況で今度は夫がこの世を去ります。

物語は一旦過去に戻り、多額の財産を相続した奔放なローズマリーと年上で少々退屈な夫との生活が語られ、妹アイリスとの関係も心理小説のような感じで描きながら進んでいきます。

当然の如くローズマリーが交際していた二人の男友達にも焦点があたります。怪しかった人物が善人だったり、妹のアイリスまで疑われたり、お約束のように親族の中の嫌われ者が登場したり、優能な女性秘書がダメ男に誘惑されたり、どんどん物語は面白くなっていきます。そしてレイス大佐の登場。ついにスパイ要素までも加わってしまうのです。

ノンシリーズものでシェークスピアを引用しながら進む少し文学的な作風なので終盤まで犯人捜しを忘れさせる魅力に満ちています。そんな雰囲気の中でいよいよクライマックスというときに、クリスティらしさ全開の謎解きシーンが始まるのですから驚きます。

トリック自体は短編の「黄色いアイリス」でほぼ同じものを使用しているのであまり新鮮味はなく、クリスティファンならすぐに分かってしまうでしょう。しかし長編に生まれ変わったこの作品には何よりもトリックを凌ぐ小説としての面白さがあります。




 第3位 

愛の重さ

1956年 日本では2004年「クリスティー文庫 」


愛の小説シリーズ

メアリ・ウェストマコット名義で書いた「愛の小説シリーズ」6作品の中の1つ。

この作品も「一度罪を犯して逃げ切った人間はまた同じことをする」理論が適用されていますが、ポアロもマープルも出てきません。

本書の主人公ローラは大人しくて賢くて、あまりにも手がかからない子どもだったので親にかまってもらえなかった。2歳年上の兄が病気で亡くなると両親を独り占めできると考えたが・・・すぐに妹シャーリーが誕生。

シャーリーへの嫉妬から「妹などいなくなればいい」と神様に頼むほど思い詰めるローラですが、家が火事になって取り残されたシャーリーを見た途端にローラの愛情は爆発します。火の中に飛び込んで救助してからは人が変わったようになり、両親が事故死してからは異常なまでに愛情が深くなっていきます。ローラはそんな自分が怖くなります。

2人は成長しやがてシャーリーは結婚します。夫はお金と女性にだらしがなく仕事が続かないダメっぷり。それでいながら不思議と周囲の人気を集める魅力があり・・・シャーリーもそれなりに幸せに暮らしていました

ローラは妹の結婚生活は不幸だと思い込んでしまって次第に自分がコントロールができなくなっていきます。そして悲劇が・・・
(愛のシリーズなので探偵が出てきて謎解きするシーンはありません)

愛とは与えることも、与えられることも時として難しい。その後、ローラも愛され支えられる立場になっていきますが、ここにきてやっと愛の重さと期待に応えることの大変さを知るのです。

ローラの愛情は怖い側面がありますが、シャーリーの夫に対する愛情もまた疑問を感じるほどに深いのです。この作品も心理描写がポイントになります。

まだまだ心理学が一般には浸透していなかった時代に書かれた作品が70年近い時を経て読者を感動させているのだからクリスティは本当に凄いと思います。

※この作品は以前にも取り上げています。詳細はコチラから→【小説】愛の重さ (クリスティー文庫)


 第2位 

五匹の子豚

1942年 日本では1977年「ハヤカワミステリ文庫」2004年「クリスティー文庫」


エルキュール・ポアロ・シリーズ


父を毒殺し獄中で亡くなった母は無実だったのでは? 

事件から16年後、結婚を控えた娘がポアロに再調査を依頼。ポアロはマザー・グースの童謡「五匹の子豚」の如き5人の関係者と会話をして過去へと遡り、年月とともに美化されたことや、今だから語れる真実を掘り起こそうと尽力します

画家だった父のモデルとして家に滞在していた少女、母の妹のアンジェラと家庭教師、近所に住む父の親友とその兄。16年前の裁判で明らかになった項目に何ら惑わされることなく5人の話を聞き続けるポアロ

陰鬱な空気の中で繰り広げられるマザーグースの歌、獄中の母から届いた手紙、当時のことを思い出しながら書いた5人の手記、といった小道具的なものも雰囲気づくりに一役買っています。この作品は構成の旨さと言ってもいいのかもしれません。

状況証拠ばかりで何もつかめない可能性がある中で、それでもすべてを貴重な情報と受け取り、推理が完成するまでは勝手な判断をしないポアロ。この姿からは学ぶことも多いと感じました。ポアロは時々鼻に付くことも事実ですがいい探偵であることは間違いないのです。

この作品は読んでみてくださいとしか言いようのない作品なのです。プロの書評家さんからは高い評価を得ていますがミステリファンからはあまり支持されていないようです。謎解きの楽しさをあまり感じないからでしょうか。


※五匹の子豚(マザー・グース)
この子豚はマーケットへ行った
この子豚は家にいた
この子豚はローストビーフを食べた
この子豚は何も持っていなかった
この子豚はウィー、ウィー、ウィーと鳴く


 第1位 

七つの時計


1929年 日本では1956年にハヤカワ・ポケット・ミステリ235。その後、東京創元社やハヤカワミステリ文庫、新潮文庫などでタイトルを少しづつ変えながら出版。2004年「クリスティ文庫」


「チムニーズ館の秘密」で活躍したケイタラム卿と娘のバンドル、バトル警視が再登場。

3人の青年外交官と3人のお嬢さん、その友人がひとり、館を訪れて休日を満喫している場面から始まります。

いつもいつも寝坊をするジェリーの寝室に複数の目覚まし時計をセットして驚かすというドッキリを仕掛けることに。買い物班とジェリーを館に引き留める班に分かれて賑やかに物語は進みます。

常に何かしら笑いを誘う雰囲気が漂う中で、誰がどうやって目覚まし時計をジェリーの寝室にセットしにいくかが次の課題に。

試行錯誤の末になんとか準備も完了して、ついにベルが鳴り響く瞬間が・・・ところが・・・何も騒ぎは起きない・・・まさかその青年がドッキリを仕掛けた朝死んでしまうとは・・・そこからセブンダイヤルズという秘密結社の謎が始まりま

展開は早くて序盤で3人の外交官のうち2人が殺され、その後、貴重な鉄鋼関係の研究が盗まれる可能性も出てきます。

ケイタラム卿の娘バンドルセブンダイヤルズや政治関係のパーティに潜入する辺りから混迷へ突入し面白くなります。

バンドルが良かれと思って行動して空回りしたり、愛すべきボンクラとして描かれている青年が本当は敏腕の外交官だったり、チムニーズ館主ケイタラム卿が驚きのグウタラぶりを披露したり。クリスティ作品には珍しくユーモアのセンス溢れる作品です。

もう一つの面白さは【シニア世代】VS【時代に前乗りしたような若者たちのやり取りです。1929年の作品とは思えないくらい現代病に似ていることに驚きます。クリスティファンは意外なことに若者世代にも多いのですが、この作品を読んでいるとその理由がわかるような気がします。最近の若者は・・・というセリフはクリスティの時代にもさかんに呟かれていたのです。


 💬  2024年最後の読書として「七つの時計」の再読を選びました。結末を知っていても楽しめるのはミステリ要素より人間関係の面白さがあるからだと思います。この作品は「チムニーズ館の秘密」の続編ともいわれていますが、本編よりも絶対に面白くてこの本単独で楽しめます。実は本編のほうも読んでいますがまったく内容を覚えていないのです。2~5位もかなりマニアックな作品です。どちらかというとミステリより心理学が好きな人向けかもしれません。もちろん初期の作品でトリックの秀逸な作品もたくさんありますが、あえて私の好みの心理小説的傾向の強い作品を選んでいますのでお許しください。