アガサ・クリスティの本を初めて読んだのは何歳だったのだろうか。もう思い出せないほど昔の話。ネット書店などなかった時代に北海道の田舎町で育った私にとってはアガサ・クリスティは手に取りやすい本だったというのが正直なところです。それから年月を重ねて結婚、出産、子育てをするなかでアガサ・クリスティの世界〈閉鎖的で、過干渉で、ちょっと面倒で、暗くもあり怖くもある、でも優しさもある〉そんな世界に深くハマっていきました。これまで読んだクリスティ本は70冊ほど。完全制覇とはいかないまでもかなり読み続けてきました。
そこでこの70冊の読了本のなかからベスト5を選んでみたいと思います。初期の謎解きに重点を置いた有名作品以外から、小説として読み応えのある面白い作品を選んでいきます。
まずアガサ・クリスティの生涯を簡単に自伝から抜粋し、その後、5位〜紹介していきます。
アガサ・クリスティー自伝
1890年9月15日、英国の海辺の避暑地トーキイで誕生。アガサと名付けられた内向的な少女は、才気みなぎる姉と心豊かな母の影響を受けて空想好きな少女に成長していきます。メイドの給料の支払いもギリギリな生活でしたがそれでも家族全員が前向きに心地よく生活をしていました。
恋愛、婚約、そして電撃的な結婚。相変わらずお金には恵まれない生活をおくるアガサは薬剤師として働くようになります。「モンテ・クリスト伯」を愛読した少女は「黄色い部屋の秘密」を堪能するようになり、薬物の知識を身につけ、やがてポアロが登場します。
作家として順風満帆のスタート。世界一周貧乏大旅行。大論争を巻き起こす話題作の誕生。そして母の死、離婚。最愛の男性との出会いと再婚。
アガサがプロ作家になっていくに従って増える苦悩や不満、別名義の執筆などアガサの悩みは絶えることはありませんでした。
💬 自伝には作品に対するアガサの思いも多く書かれています。ポアロのキャラが意外と簡単に決まっていったこと、「春にして~」は長年温めてきた題材であったこと、「そして誰もいなくなった」は構成で苦労したこと、等々。プライベートでは、元夫のこと。金遣いが荒い人だったようですが自伝には好意的に書かれています。なぜ離婚後も元夫の姓を名乗り続けたのか、何だか理解できる気がしました。苦労を重ね人間の愚かさや怖さを知り尽くしたアガサだからこそ書けた小説の数々をぜひ楽しんでみてください。
第5位
死との約束
1957年「世界探偵小説全集343」 2004年「
ポアロシリーズ 中近東シリーズ
ヨルダンの古都ペトラが舞台。
旅の途上でポアロは「いいかい、彼女を殺してしまわなきゃいけないんだよ」という言葉を耳にする。しかしなかなか殺人は起きない。「彼女」とは成人している子供たちを外部の人間関係から隔離して支配する母親のこと。
その支配ぶりは虐待とも受け取れるほどひどいもので、あまりの暴挙に「この母親には感情移入できない」と感じる読者も多いのではないでしょうか(私だけかも)・・・しかしこれもクリスティの巧みな仕掛けなのです。
ミステリ小説では被害者に同情できなかったり、加害者が可哀想だったりすることも多いのですが、ポアロは「それでも真実を明らかにしなければならない。なぜならば、一度罪を犯して逃げ切った人間はまた同じことをする。いやエスカレートしていくこともあるからだ」と常々口にしています。ドラマでは余りこの類のセリフを言ってる印象はありませんが、小説ではポアロは意外と哲学的で好人物に描かれているのです。
このような家族に他人がどこまで関わるべきなのか、判断は難しいでしょう・・・「中年になると有益なことも有害なこともやらなくなる」という言葉にドキリとしますが、そうこうしているうちに母親は死体で発見され、ポアロの出番となります。
前半のインパクトが強いので犯人探しに没入できない感覚もあります。結局この作品は、ポアロの巧みな質問と家族の行動記録から組み立てる推理を聞いて納得できるか否かにかかっているのかもしれません。結末も賛否がわかれるでしょう。でも何故か記憶に残ってしまう作品です。
※この作品は2021年に三谷幸喜さんの脚本でドラマ化されています。
第4位
忘られぬ死
2004年「クリスティー文庫 」
魅力あふれる美女ローズマリーが自分の誕生日パーティの席上で青酸入りシャンパンを飲んで亡くなった。その場にいた誰一人として毒を混入することは不可能であったこと、彼女のバッグの中から青酸を包んでいた紙が発見されたことなどから自殺として処理されました。そしてちょうどその1年後に同じような状況で今度は夫がこの世を去ります。
物語は一旦過去に戻り、多額の財産を相続した奔放なローズマリーと年上で少々退屈な夫との生活が語られ、妹アイリスとの関係も心理小説のような感じで描きながら進んでいきます。
当然の如くローズマリーが交際していた二人の男友達にも焦点があたります。怪しかった人物が善人だったり、妹のアイリスまで疑われたり、お約束のように親族の中の嫌われ者が登場したり、優能な女性秘書がダメ男に誘惑されたり、どんどん物語は面白くなっていきます。そしてレイス大佐の登場。ついにスパイ要素までも加わってしまうのです。
ノンシリーズものでシェークスピアを引用しながら進む少し文学的な作風なので終盤まで犯人捜しを忘れさせる魅力に満ちています。そんな雰囲気の中でいよいよクライマックスというときに、クリスティらしさ全開の謎解きシーンが始まるのですから驚きます。
トリック自体は短編の「黄色いアイリス」でほぼ同じものを使用しているのであまり新鮮味はなく、クリスティファンならすぐに分かってしまうでしょう。しかし長編に生まれ変わったこの作品には何よりもトリックを凌ぐ小説としての面白さがあります。
第3位
愛の重さ
1956年 日本では2004年「クリスティー文庫 」
愛の小説シリーズ
メアリ・ウェストマコット名義で書いた「愛の小説シリーズ」6作品の中の1つ。
この作品も「一度罪を犯して逃げ切った人間はまた同じことをする」理論が適用されていますが、ポアロもマープルも出てきません。
本書の主人公ローラは大人しくて賢くて、あまりにも手がかからない子どもだったので親にかまってもらえなかった。2歳年上の兄が病気で亡くなると両親を独り占めできると考えたが・・・すぐに妹シャーリーが誕生。
シャーリーへの嫉妬から「妹などいなくなればいい」と神様に頼むほど思い詰めるローラですが、家が火事になって取り残されたシャーリーを見た途端にローラの愛情は爆発します。火の中に飛び込んで救助してからは人が変わったようになり、両親が事故死してからは異常なまでに愛情が深くなっていきます。ローラはそんな自分が怖くなります。
2人は成長しやがてシャーリーは結婚します。夫はお金と女性にだらしがなく仕事が続かないダメっぷり。それでいながら不思議と周囲の人気を集める魅力があり・・・シャーリーもそれなりに幸せに暮らしていました。
ローラは妹の結婚生活は不幸だと思い込んでしまって次第に自分がコントロールができなくなっていきます。そして悲劇が・・・
(愛のシリーズなので探偵が出てきて謎解きするシーンはありません)
愛とは与えることも、与えられることも時として難しい。その後、ローラも愛され支えられる立場になっていきますが、ここにきてやっと愛の重さと期待に応えることの大変さを知るのです。
ローラの愛情は怖い側面がありますが、シャーリーの夫に対する愛情もまた疑問を感じるほどに深いのです。この作品も心理描写がポイントになります。
まだまだ心理学が一般には浸透していなかった時代に書かれた作品が70年近い時を経て読者を感動させているのだからクリスティは本当に凄いと思います。
※この作品は以前にも取り上げています。詳細はコチラから→【小説】愛の重さ (クリスティー文庫)
第2位
五匹の子豚
1942年 日本では1977年「ハヤカワミステリ文庫」2004年「クリスティー文庫」
エルキュール・ポアロ・シリーズ
父を毒殺し獄中で亡くなった母は無実だったのでは?
事件から16年後、結婚を控えた娘がポアロに再調査を依頼。ポアロはマザー・グースの童謡「五匹の子豚」の如き5人の関係者と会話をして過去へと遡り、年月とともに美化されたことや、今だから語れる真実を掘り起こそうと尽力します。
画家だった父のモデルとして家に滞在していた少女、母の妹のアンジェラと家庭教師、近所に住む父の親友とその兄。16年前の裁判で明らかになった項目に何ら惑わされることなく5人の話を聞き続けるポアロ。
陰鬱な空気の中で繰り広げられるマザーグースの歌、獄中の母から届いた手紙、当時のことを思い出しながら書いた5人の手記、といった小道具的なものも雰囲気づくりに一役買っています。この作品は構成の旨さと言ってもいいのかもしれません。
状況証拠ばかりで何もつかめない可能性がある中で、それでもすべてを貴重な情報と受け取り、推理が完成するまでは勝手な判断をしないポアロ。この姿からは学ぶことも多いと感じました。ポアロは時々鼻に付くことも事実ですがいい探偵であることは間違いないのです。
この作品は読んでみてくださいとしか言いようのない作品なのです。プロの書評家さんからは高い評価を得ていますがミステリファンからはあまり支持されていないようです。謎解きの楽しさをあまり感じないからでしょうか。
※五匹の子豚(マザー・グース)
この子豚はマーケットへ行ったこの子豚は家にいたこの子豚はローストビーフを食べたこの子豚は何も持っていなかったこの子豚はウィー、ウィー、ウィーと鳴く
第1位
七つの時計
1929年 日本では1956年にハヤカワ・ポケット・ミステリ235。その後、東京創元社やハヤカワミステリ文庫、新潮文庫などでタイトルを少しづつ変えながら出版。2004年「クリスティ文庫」
「チムニーズ館の秘密」で活躍したケイタラム卿と娘のバンドル、バトル警視が再登場。
3人の青年外交官と3人のお嬢さん、その友人がひとり、館を訪れて休日を満喫している場面から始まります。
いつもいつも寝坊をするジェリーの寝室に複数の目覚まし時計をセットして驚かすというドッキリを仕掛けることに。買い物班とジェリーを館に引き留める班に分かれて賑やかに物語は進みます。
常に何かしら笑いを誘う雰囲気が漂う中で、誰がどうやって目覚まし時計をジェリーの寝室にセットしにいくかが次の課題に。
試行錯誤の末になんとか準備も完了して、ついにベルが鳴り響く瞬間が・・・ところが・・・何も騒ぎは起きない・・・まさかその青年がドッキリを仕掛けた朝死んでしまうとは・・・そこからセブンダイヤルズという秘密結社の謎が始まります。
展開は早くて序盤で3人の外交官のうち2人が殺され、その後、貴重な鉄鋼関係の研究が盗まれる可能性も出てきます。
ケイタラム卿の娘バンドルがセブンダイヤルズや政治関係のパーティに潜入する辺りから混迷へ突入し面白くなります。
バンドルが良かれと思って行動して空回りしたり、愛すべきボンクラとして描かれている青年が本当は敏腕の外交官だったり、チムニーズ館主ケイタラム卿が驚きのグウタラぶりを披露したり。クリスティ作品には珍しくユーモアのセンス溢れる作品です。
もう一つの面白さは【シニア世代】VS【時代に前乗りしたような若者たち】のやり取りです。1929年の作品とは思えないくらい現代病に似ていることに驚きます。クリスティファンは意外なことに若者世代にも多いのですが、この作品を読んでいるとその理由がわかるような気がします。最近の若者は・・・というセリフはクリスティの時代にもさかんに呟かれていたのです。
💬 2024年最後の読書として「七つの時計」の再読を選びました。結末を知っていても楽しめるのはミステリ要素より人間関係の面白さがあるからだと思います。この作品は「チムニーズ館の秘密」の続編ともいわれていますが、本編よりも絶対に面白くてこの本単独で楽しめます。実は本編のほうも読んでいますがまったく内容を覚えていないのです。2~5位もかなりマニアックな作品です。どちらかというとミステリより心理学が好きな人向けかもしれません。もちろん初期の作品でトリックの秀逸な作品もたくさんありますが、あえて私の好みの心理小説的傾向の強い作品を選んでいますのでお許しください。
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