ヨーロッパのミステリを読んでいると連続殺人はほとんど起きないというようなことが書かれています。殺人事件自体が少ないのでシリアル・キラー(連続殺人犯)など存在しないという認識なのでしょう。しかしというべきか、だからこそなのでしょうか。シリアル・キラーが暗躍するシリーズは意外と多いのです。
フランスの『 警部セルヴァズの事件ファイル』はシリーズ1作目からピレネーの精神医療研究所に収監されている連続殺人犯(シリアル・キラー)ハルトマンが登場します。
主人公セルヴァズは、本当は文学者になるはずだったインテリ刑事。
そんなセルヴァズがシリアル・キラーと対決するのですから何が起きるかわからないと不安になるかもしれませんが、大丈夫です。日本の警察ではあり得ない自由さや大胆さで乗り切っていきます。
「警察の仕事については実際よりも自由を利かせている」と著者の付記(第2作目巻末)があるほどです。おそらく本シリーズは警察小説としての一面もあるという表現が正解なのでしょう。
セルヴァズ警部は仕事で出会った女性やその他諸々の女性とのロマンスが多く、毎回何かしらのワクワクが(ハニートラップのこともありますが・・・)埋め込んであります。本シリーズはロマンス小説の一面もあるという表現も正解なのかもしれません。
また、ロマンスの一方で女性の管理職は男性から軽く見られるなどシビアなジェンダー問題も描かれています。憲兵隊の大尉が女性であることも、美女でピアスに入れ墨だったりすることも、日本では考えられないことです。
セルヴァズは家族や元恋人のことで心の大きな傷を抱えています。しかしシリーズが進むなかで孤独は和らぎ、面倒くさい小心者なのにハードボイルドな一面を披露するようになっていきます。
それでは、まずは「おもな登場人物」の紹介を。そしてその後、各作品の内容に入っていきます。
セルヴァズ警部
トゥルーズ署の犯罪捜査部班長。
詩を引用し、マーラーの交響曲を好んで聞きます。サッカーの試合で町中が騒いでいると憂鬱になるほどのスポーツ嫌い。銃の扱いが苦手なのになぜか一人で危険な場に飛び込んだりして展開を面白くする天才でもあります。
フランス特有の憲兵隊との勢力争いが度々勃発する中で掟破りの捜査や管轄外の事案に首を突っ込んで停職になること複数。
ジーグラー
憲兵隊の女性大尉。
1作目から登場する重要なポジションの美女。深い緑色の目、金髪、鼻ピアスをして首筋には小さな入れ墨(中国語?)があります。セルヴァズと恋愛関係にはなりません。その理由も次第に明らかになっていきます。
マリアンヌ
セルヴァズの昔の恋人。
「死者の雨」で20年を経てセルヴァズと再会。複数の作品に登場するがその度に事件に巻き込まれセルヴァズも振り回される。
アレクサンドラ
セルヴァズの元妻。
「姉妹殺し」で離婚の詳細が語られますが、あまり好人物として描かれていません。客室乗務員で生活の半分は飛行機と空港とホテルで過ごしている状態。セルヴァズとの出会いは大学時代。
マルゴ
幼児期や反抗期の様子も描かれていますが、セルヴァズの離婚後は定期的に食事をしたり良い距離を保っています。セルヴァズの捜査中の事件に巻き込まれそうになることも。本シリーズはイロイロな側面がありますがマルゴの成長物語として読むこともできます。
エスペランデュー
セルヴァズが一番信頼する部下。
妻のシャルレーヌがセルヴァズの生活や子育ての手伝いをしているのですが、軽くロマンスに傾きそうな危険な雰囲気も・・・
ハルトマン
連続殺人犯(シリアル・キラー)
スイス人の元検事。自分の妻と愛人を殺して逮捕されます。この事件は上流階級の人間を多数巻き込んだ社会的激震に発展します。その他にも5ケ国40人ほどの女性の失踪事件の容疑者とされていますが確証はつかめていません。シリーズスタート時点では、ピレネーのヴァルニエ精神医療研究所(最も危険と思われる社会的捕食者のための施設)に収監されていました。刑務所や精神病院の中から外部の人間を操作することもあるマインドコントロールの天才でもあります。ハルトマンはシリーズ内の複数作品で登場してセルヴァズとマリアンヌのプライベートな面にまで影響を及ぼします。
氷結(上)
シリーズ最初の事件は、なんと馬殺しです。大富豪ロンバールの愛馬が標高2千メートルの水力発電所で皮を剥がれ吊るされた状態で見つかります。
特命を受けた警部セルヴァズは、美貌の女性憲兵隊大尉ジーグラーを相棒に捜査を始めることに。現場からは猟奇殺人鬼ハルトマンのDNAが採取され、事件は不気味な様相を呈していきます。
閉ざされた冬の水力発電所で働く男たち、すべてを飲み込むピレネー山脈の雪、犯罪者の終の住み処である精神医療研究所、舞台は揃っています。
日本以上に苦境に立たされるフランスの精神医療の実態が暴かれている点もポイントと言えるでしょう。ザワザワ感が半端ない中でセルヴァズは憲兵隊の女性大尉に見惚れるなど余裕を見せるシーンもあります。
氷結(下)
DNAの持ち主ハルトマンは人里離れた研究所に隔離されているのだから犯行は不可能なはず。そんななか、裸で吊された男の惨殺体が渓流沿いで見つかります。
セルヴァズは捜査を進めるうち15年前に起きたある忌まわしい事件と山間の町に眠る暗い秘密に辿り着くのですが、予想を超える容疑者が浮上してきます。
セルヴァズは車に拳銃を忘れたり、大事な時に携帯が充電切れだったり、ミステリとしての完成度は疑問が残るかもしれません。
構成から考えて序盤から登場している人物の誰かが犯人であることは間違いないでしょう。そのためかセルヴァズや周辺の人物の造形は丁寧なうえ、精神医学についてもかなり詳細に書かれていますので、その分野に興味があれば楽しめるのではないかと思います。
殺人鬼ハルトマンは今後の作品でもセルヴァズの精神衛生に大きく関わってくるのでしょう(予測)
ポイントは支配的な親子関係、田舎の隠蔽体質、結局は人間関係なのです。
死者の雨(上)
今回は、フランス南西部の学園都市で起きた女性高校教師の変死事件です。
高校はエリートばかりが通う名門高校。逮捕された17歳の少年ユーゴ。少年の母でありセルヴァズの元恋人であるマリアンヌとの再会。
捜査を進めるうちに、セルヴァズの周囲に姿なき猟奇殺人鬼の影がちらつきはじめるのです。そんな中で、ゆるゆるとセルヴァズの過去と現在のロマンスが語られていきます。
憲兵隊と警察との軋轢が事件解決の壁となるのは前作と同じ展開。
マリアンヌはロマンスと事件のどちらに関わってくるのでしょう。
死者の雨(下)
連続殺人鬼ハルトマンのことが頭から離れないセルヴァズ。さらに逮捕された少年ユーゴ以外にも若手政治家や同僚教師らが新たに容疑者として浮上し、捜査は一気に混沌としてきます。
その混沌の最中、ユーゴと同じ学校に通うセルヴァズの娘マルゴが襲われ、町を震撼させる凄惨な事件が・・・次第に進学校の闇が明らかになっていきます。
セルヴァズは哲学的で自分の感情を常に分析する素晴らしい刑事なのですが、ここ一番という場面で単独行動をしていて一人で危険に飛び込むことになるのはなぜでしょう。
セルヴァズ自身の学生時代のロマンスや思い出が語られることもポイントの一つですが、そのロマンスもことごとく裏切りに変化し終わっていきます。
親友という言葉の意味すらわからなくなり、恋人を理想化しすぎて結局失望する孤独なセルヴァズ。
だんだんと感情移入していかざるを得ないストーリー展開になっていきます。
魔女の組曲(上)
ラジオパーソナリティーのクリスティーヌに自殺予告が届きます。その日から何者かの悪意に運命を狂わされていくのですが、誰が何の目的で彼女を追いつめるのでしょう。
巧妙な手口に警察や周囲の誰もが狂言を疑うなか、姿なきストーカーは死へ誘う究極の罠を仕掛けていたのです。
同じ頃、休職中の警部セルヴァズにも差出人不明の小包が届きます。前作で復活したかのようだったセルヴァズは心を病んで警察の施設で療養中。
半分はラジオパーソナリティの女性の話。様々な嫌がらせを受けたうえ、加害者と間違われ仕事も恋人も失うまでの経緯が語られていきます。
そしてセルヴァズの元に届いたホテルのカードキー。まだ2つの事件は絡まってこないのですが、文学や宇宙開発、音楽など著者の博識を披露しながら話は進んでいきます。
魔女の組曲(下)
セルヴァズに届いた高級ホテルのルームキー。その部屋では1年前、成功した女性写真家が壮絶な自死を遂げていました。
単独調査に着手したセルヴァズは匿名の情報を手がかりに地元名士の存在に行きつきます。暴力と妄執、権力で歪められたその過去が明らかに。
下巻に入ってからは急速に話が進んでいきます。今回は仮面を剥がす系ですがそれが2重3重に仕組まれ、マニピュレーターと復讐がテーマになっています。
本来の自分を取り戻していくセルヴァズ。
世俗的な喧騒を嫌い一人でマーラーを聞きながら読書するセルヴァズ。
公園で一人でシャンパンを飲みながら年越しをするセルヴァズ。
読みながら、だんだんと保護者のような気持ちになっていくのでは何故でしょうか。
※マニピュレーター(manipulator)とは、親切と理不尽な態度という2つの矛盾した行為を繰り返したり、善人のふりをして相手を支配していく人物のこと。
夜
今回はノルウェーの教会で起きた女性の惨殺事件。遺体にはオスロ警察の女性刑事シュステンの名が記されていました。
被害女性が勤めていたのは北海の石油プラットフォーム。
この石油プラットフォームは世界中から集まってきた人々が海洋都市で泊まり込みで働いてる過酷な場所です。
事件当夜に外泊して戻っていない従業員の部屋を捜査するシュステン。そこで見つかったのは、連続殺人鬼ハルトマンのDNAと大量の隠し撮り写真。被写体は警部セルヴァズと判明。シュステンはフランスに合同捜査を申し入れます。
そのころセルヴァズは別件のレイプ犯を追跡中に重傷を負い、生死の境をさまよっていました。この臨死体験を精神科医の解説付きで詳細に説明していることが今までとは違う本作の大きな特徴です。
このときのレイプ犯の逆恨みが後にセルヴァズを追い込んでいくことになるのです。臨死体験で考え方が変わってしまったセルヴァズは、家族を大切に思う気持ちが強くなりすぎたのか、家族を思って行動するといつもピンチに陥ります。同僚とも今までのように話ができないセルヴァス。唯一の救いがノルウェーの女性刑事シュステンでした。
そしていよいよ殺人鬼ハルトマンとの対決が。
今回、ハルトマンはギュスターヴ(グスタフのフランス読み)という5歳の男の子を連れています。ハルトマンとセルヴァズはグスタフ・マーラー(ウィーンの作曲家)が好きという共通点があるのですが、ギュスターヴはいったい誰の子どもで、なぜ可愛がるのでしょうか。シリアスキラーという設定にそぐわない優しさの発露にセルヴァスも戸惑いを隠せません。
法も犯罪も知り尽くしてマインドコントールに長けた元検事のハルトマン。
どこか挙動不審なオスロの女性刑事シュステン。
執念深く復讐を計画するレイプ犯。
つぎつぎと罠にハマって(ハニートラップもあったり・・・)何度も命を落としかけるセルヴァズ。
満身創痍という言葉はセルヴァズのためにあるのです。
心身ともに傷ついた孤独なセルヴァズのもとに娘のマルゴが戻ってきたり、家族が増えていくという微笑ましい展開もあるのですが、部下の妻に好意を寄せたり相変わらずの軽さも披露していきます。
シリーズ4作目。今までの作品よりは短くて上下巻に分かれてもいませんが、複数の出来事を追っていくのが大変になるほど内容は詰まっています。シリーズの続きを読み進めていくと、この「夜」は大きな転換地点だったことがわかってきます。
姉妹殺し
1993年、トゥールーズの森で起きた大学生姉妹殺人件から始まりますが、25年後の事件と交互に描かれ交錯していきます。セルヴァズが初めて自分と父の過去、妻との別れを語る異色作でもあります。
駆け出しの刑事セルヴァズが目にしたのは、白いドレス姿で木につながれた異様な遺体。容疑者に浮上したのは人気ミステリー作家でした。犯行手口が彼の小説と酷似しており、姉妹との関係も判明します。
25年後、今度は作家の妻が白いドレス姿で小説と同じ手口で殺されます。
セカンドストーリーとして、セルヴァズが父の自死の第一発見者となるシーンが描かれています。なぜマーラーの交響曲なのか。なぜ警察官になったのか。父と母の間には何があったのか。そしてセルヴァズと元妻との関係は・・・
本筋の2つの事件は関係者も警察官も少し狂っていながら、それでいてどこか哲学の匂いがする不思議なテイストです。
1993年は、DNA鑑定もまだ浸透していない状態で警察官の暴力が蔓延しています。セルヴァズはどのようにして警部として信頼を勝ち得てきたのか。ある程度の年齢の人にとっては時代の変化に思いを巡らしながら読み進むという楽しみ方もあるのかもしれません。
後半になってまたセルヴァズがピンチに陥るパターンになります。一気に物語は終息に向かって加速するので読みごたえがあるのですが、どちらかというと若かりし頃のセルヴァズに興味を奪われる感じがあります。
父とセルヴァズ、そしてセルヴァズと息子。今回は親子関係がテーマでもあるのですが、読みながらマーラーが聞きたくなってYoutubeに飛ぶというオマケ付きでした。
黒い谷
前作で我が子の命を守るために掟破りの捜査をしたことで降格&停職中のセルヴァズですが、8年前に拉致された元恋人マリアンヌから電話がありピレネー山中に向います。
そのころピレネー山中では、謎の記号が描かれた石の傍で男性の惨殺体が見つかります。
以前にもこの地で同様の手口の殺しが起きていたと聞いたセルヴァズは、マリアンヌ拉致事件との関連を調べ始めます。
管轄外の事件ですが停職中なのでセルヴァズはしたい放題。
憲兵隊のジーグラーの好意で捜査会議にも出席しますが、意外なことに職場内の男女差別でジーグラーが悩んでいることを知ります。
そうこうしているうちに、さらなる殺人が・・・
そして土砂崩れ。
捜査関係者も山村に犯罪者と一緒に閉じ込められてしまいます。
しかし地元の人間ならば洞窟を抜けたり山越えの方法もあるため、完全なクローズドサークルではないことが判明します。次々と起こる不可解な事件。様々な推理に発展して事件は混迷していきます。
今回はセルヴァズに新恋人ができて孤独から抜け出していることが大きなポイント。
もうマリアンヌのことはいいでしょう、とセルヴァズ自身も思っているような感じもありながら、決着を付けたいという強い思いもあり・・・マリアンヌの捜索隊を結成したいと思いながらも目の前の事件に振り回され、それでも結局は引き込まれていくのです。
どちらにしても、もうハニートラップには引っ掛からないでしょう(・・・たぶん)
ひとつ頭をよぎったのは、このシリーズはロマンス抜きで進められないのだろうかということです。おそらく答えはYESなのでしょう。警察小説の主人公が独身かバツイチの場合は、プライベートなことにページを割いて本筋のミステリが弱くならないための設定なのでしょう。しかしこのシリーズはどっぷりとセルヴァズのプライベートシーンに浸りながら事件は解決していくのです。(ときには事件関係者とのロマンスだったりします)
相変わらず心理学や哲学的な会話が多いのですが、さらに今回はフランス国内で広がる警察不信、所得格差と二極化、SNSと子どもと犯罪など重要なテーマにも迫っていきます。
SNSと犯罪というテーマを扱ったミステリは本書以外にも次のような作品があります。
・M W クレイヴン(著)『キュレーターの殺人』 (ワシントン・ポー&テリー)
・ジェフリー・ディーバー(著)『ロードサイド・クロス』(キャサリン・ダンス捜査官)
上記の2作品はミステリ要素は「黒い谷」よりも強いのですが、セルヴァズには独特の暖かい視点があり、また違った趣があります。
また、シリアル・キラーとの対決を描いた作品は他にヨーナ・リンナ刑事シリーズ(スウェーデン)があります。このシリーズはクライム・ノベル(犯罪小説)に分類されることが多い作品で警察よりもシリアル・キラーがメインになっている印象です。ヨーナとセルヴァズとでは性格も全く違いますし捜査方法も異なります。共通点は家族がシリアル・キラーの標的になって命がけで戦うことでしょうか。
まったく個人的な感想ですが、私はセルヴァズのメンヘラっぽい感じが好みです。
※シリアル・キラー
一般的に異常な心理的欲求のもと、1か月以上にわたって一定の冷却期間をおきながら複数の殺人を繰り返す連続殺人犯のこと。一か所で多数の人間を殺害する一般的な大量殺人とは異なります。また、二箇所以上の場所で(複数の)殺人を行い、それらの間隔に冷却期間がほとんどない場合はスプリー・キラーと言われています。
本シリーズでは、ハルトマンのことを「一見健全な社会生活を長年維持しながら、その裏で残虐非道な犯罪行為によって快感を覚える連続殺人犯のなかでも稀な部類」と説明しています。
今後も新刊を順次追加していきます
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