2024/05/28

伴走型支援: 新しい支援と社会のカタチ



 奥田知志、原田正樹(編集)


本書は北九州ホームレス支援機構の奥田知志氏と日本福祉大学教授の原田正樹氏の編集だが、第1章から第10章までを10名の方々が執筆されていて、伴走型支援実例報告集のような形式になっている。

伴走型支援はまだ確定的な定義はなく、これからみんなで作りあげていくもの。各人がご自分の仕事の中で試行錯誤している現在進行形の詳細が書かれている。そのエピソードの一つひとつをここでピックアップすることは難しいため章ごとに私がポイントと感じた点を簡単にまとめていく。◆のマークの部分は私の感想を、他の部分は本書を要約して書いていくこととする。





第1章【伴走型支援の理念と価値】

NPO法人抱僕理事長 奥田知志

・伴走型支援とは、社会的孤立に対応するため「つながり続ける」こと。このつながりは助けたり助けられたりという双方向のものである。従来の問題解決型支援と伴走型支援は支援の両輪として実施される必要がある。

・何よりも重要なのは個人が自らの人生を選び取り自分の物語を生きることができるように対話的に実施され、本人主体であること。

・伴走型支援は「専門職領域」と「地域共生社会領域」があり、さらに国の公的な支援が土台としてある。

・専門職領域の働きは主に3つある。

  1. 孤立した人と「つながる」こと 
  2. 地域やキーパーソンへと「つなげる」こと 
  3. 緩やかな見守りを続け、問題が生じれば「もどし」て「つなぎ直し」をすること。この継続的実施が特徴。それゆえに長い時の流れが前提となる。問題解決型は短期集中の点の支援、伴走型は線の支援となる。

◆ホームレス支援の奥田さんが書かれた第1章は伴走型支援とは何かという根本的な部分だが、読者を(貧困対策の)専門員と想定しての内容なのだろうか。少々堅い印象をだった。しかし、支援とはお弁当を渡すことや家を見つけてあげることで終わらず、対話をベースに長期的につながるという説明は非常にわかりやすい。


第2章【なぜ伴走型支援がもとめられているのか】

北九州市立大学基盤教育センター教授 稲月正

 ・社会的な支援には2つの柱がある。1つは包括的な社会保障制度。これは多様な複合的困難に対応する制度の拡充と必要な支出を国が責任を持つことである。もう1つは生活の場である地域社会で問題解決のための制度につなぐ仕組みをつくること。

・自らを大切に思えなくなることが「助けて」という声を奪っている。自分を大切な存在と思えるかどうかは他者との関係できまる。他者との対話を通して自分が危機的な状況にあることが認識できるようになれば「助けて」と言えるようになる。

◆どういう状態が生活困窮状態なのかの考察から始まり、データも豊富に紹介されている。貧困率は1984年が12%で2018年が15.4%である。想像していたよりも増加していない印象だが、金融資産非保有世帯比率や生活が苦しいと答えた人の比率は大きく変動している。データ的な考察から「助けて」と言えない心理的原因まで多様な内容になっている。自分で自分自身を排除してしまうという表現は心に響くものがある。また参考文献も多く紹介されている。


第3章【単身化する社会と社会的孤立に対する伴走型支援】

日本福祉大学福祉経営学部教授 藤森克彦

・社会的孤立は孤独感など主観的なものではなく他者との関係性の欠如といった客観的な状態のことで、次の4点から測定する。

  1. 会話頻度が低い
  2. 困ったときに頼りになる人がいない
  3. 手助けする相手がいない
  4. 団体やグループ活動への不参加

・3 の手助けする相手がいないという点が興味深いが、これは役割を得て他者への支援をすることが自己有益感につながるからである。

・伴走型支援の目的は伴走することそれ自体にある。相談できる相手の存在が大事であり、対話の中から人生の意義を模索し生きる価値を見出す。他者が関わることで困窮や痛みが起こったことの意味を人生の物語の中に位置づけられれば痛みは緩和していく。

◆社会的孤立の測定法があることを初めて知った。1人の時間の貴重さについても触れ、データも多く紹介されている。また、終活的なことにまで言及していることや生きる意味についての考察は面白い。しかし誰かのためと思うことが生きる意味につながるかどうかは性格に左右されるのではないだろうか。


第4章【伴走型支援と地域づくり】

豊中市社会福祉協議会福祉推進室長 勝部麗子

・ 助けてくださいと声を上げることができない当事者がたくさんいる背景に、現代の日本社会が抱える2つの貧困がある。1つは経済的な貧困で、もう1つが人間関係の貧困=社会的孤立である。

・地域社会は理解できない人を排除する側面があるが、その人自身の境遇や背景を知る中で誰にでも(自分にも)起こりうることという認識がひろがれば「我ごと感」が広がって優しくなれる。

・簡単につながっていける人ならば、困った状態にはならない。制度利用に抵抗がある場合も考えられる。一緒に動き、一緒に考え、一緒に怒り、一緒に悲しむ中で、つなぐことが始まっていく。

・一度サポートしても、また生活がうまく回らなくなることも多々ある。専門職は、ときに正しさを振りかざし本人を追い込むことがある。正しさだけでは人は支えられない。優しくあり続けることが力になる。

◆地域の社会福祉協議会という立場からの実例。アルコール依存、ゴミ屋敷、8050問題、引きこもり支援、ホームレス支援など多岐にわたる。非常に興味深い内容が書かれているが一つひとつはここでは紹介できないので、興味のある方はぜひ読んでいただきたい。そもそもSOSを出せない人とどうつながるのか。この部分をしっかり共有できていないと単なるおせっかいになる可能性がある。現実的に考えると非常に難しい問題である。


第5章【アウトリーチと伴走型支援】

スチューデント・サポート・フェイス代表理事 谷口仁史

・アウトリーチ(訪問支援)は、支援を受ける当事者側が拒絶的な場合もある。孤立が長期化した家庭にとりあえず訪問してみるといった行為は取り返しのつかない事態を生む可能性もある。成否の鍵は事前準備段階が握っているといっても過言ではない。そのため、事前準備を次の3段階のプロセスに分けている。

  1. 事前情報の収集と分析 
  2. 支援者としての自己分析と環境確認 
  3. 間接的アプローチによる生きる情報の提供

・人は傷つきを重ねる中で、ストレスに耐える力が極端に弱まってくる。まず徹底的に配慮した個別対応の段階から始まり、小集団活動へ。そこから集団活動へと持っていく。

・孤立が長期化することで深刻化、複雑化した課題を抱える場合も多いため、多職種連携を重視した組織作りが必要がある。国家資格取得者を中心に、キャリアコンサルタント、教員や社会福祉士、精神保健福祉士などが必要に応じてチームを編成することで支援プランの実効性を高めていく。

◆ホームレス支援よりも、一歩進んだ身近な話題であるため面白かった。実際の活動の事例報告のほかに谷口さんがNPO法人を立ち上げるに至った経緯が書かれている。大学時代に家庭教師として関わったADHDの少年とのエピソード。さらに、友人の自殺など。二度とSOSを見逃さないという思いで始めた活動のことなど興味深い内容だった。


第6章【越境する伴走型支援】

社会福祉法人ゆうゆう理事長 大原裕介

・伴走型支援を続けていくためには、一人でフルマラソンを走るのではなく、様々な人たちとタスキをつないでいく必要がある。つなぐ相手がたくさんいればいるほど長く続いていく。

・ 義務的に作るケアプランや支援計画でタスキをつないでいくのは難しい。なぜならそれは、目的ではなく手段にすぎないから。受け取る側にとって伴走していくことにどのような価値があるのか、自分に何がもたらされるのかということがしっかり打ち出されていないと、タスキはつながっていかない。

・ボランティアをお願いするときに押し付けの説得ではなく、対話を繰り返しながら、価値観や考え方を自分たちでしっかり受け止めていくことが必要。共感というのは納得やポジティブなものだけでなくてもいい。違和感や、ちょっとした違いなどを感じるのも共感だと思う。多分相手もそう感じているはずだから。

・フラットな議論ができる場がないと、つながり続けることはできない。様々なアプローチをする人が一つのチームの中にいた方がいい。チームは多様性の中から作られていかないと非常に偏ったものになってしまうからである。

◆北海道当別町での活動は、医療大学時代にダウン症の男の子と出会ったことから始まる。ダウン症の子を持つお母さんの「この子よりも長生きしたい」という言葉に衝撃を受けた大原さん。伴走型支援の中核ともいえるタスキをつなぐことが書かれているが、母親の目線で考えるとやはり一人で背負ってしまうような気がする。それでもそこに寄り添っていく大原さんの姿からは学ぶことが多い。ここでも大切なのは共感と対話であることも興味深い。


第7章【日本における伴走型支援】
日本福祉大学社会福祉学部教授 原田正樹

・伴走型支援とは、その人の存在を基点にエンパワメントやナラティブ(物語)を重視したアプローチである。本人や地域の有している強みに着目して回復力に寄り添っていく。弱さも力になるという視点が大切。

・地域共生社会の理念は「支え手側と受け手側に分かれるのではなく、地域のあらゆる住民が役割をもち、支え合いながら、自分らしく活躍できる地域コミュニティ」を育成すること。 

◆本書の編集を担当された原田さんが他の執筆やの言葉を再掲しながら全体像を語る場面が多い。全体的にカタカナ言葉が多く専門職向けの内容となっている。社会福祉基礎構造改革以降の契約に基づくサービスの在り方は判断が分かれるところだろうと思う。


第8章【伴走型支援と当事者研究】

べてるの家理事長 向谷地生良

・ソーシャルワーカーとして働くなかで専門性を取り去り、当事者としてともにあるというスタイルに変化していった。伴走型支援とは、人と人とが対話を重ねながら、生き方や暮らし方をともに模索するプロセスであり、具体的な生活実践だと理解している。

・留意したいことは、当事者研究の活動は組織や人を支える「人を大切にする文化」とそれを実現するための方法的態度を重視するところに特徴がある。人を変えるための期待を目的としたプログラムやツールではないということである。

◆当事者研究の第一人者、向谷地さんのそもそも論が詰まっている。精神保健福祉士として働いている我が家の娘は、大学時代に「べてるの家」に強い興味を持っていた。大学の実習先として希望を出したほどである。残念ながら実習は自宅から通える施設が条件だったため実現はしなかった。私も娘の影響で何冊か本を読んだ記憶がある。本書の内容は簡潔にまとめられていて読みやすく、専門職以外のかたでも理解しやすいと思う。


第9章【伴走型支援は本当に有効か】
毎日新聞記者・論説委員 野澤和弘

・ 現在の社会保障は現金の給付と、医療や福祉サービスの給付によって成り立っている。サービスの内容は訓練的な意味合いのものが多い。就労を軸としたサービス体系を整備し、就労障害者が働いて自立できることを目指している。しかし何をもって自立と考えるかは立場によって大きな違いが最近は少子高齢化による社会保障費の膨張を抑えるため、あらゆる分野で自立や自己責任を求める圧力が高まっているように感じる。このような福祉制度や思想的な文脈の中で、伴走的支援にどんな意味を見出すことができるのか、どのように位置づけられているのかを考えていかねばならない。

・ALS患者である岡部宏生さんは、「支援はdoingばかりではなく、beingが最高のときがしばしばある」と言っている。doingは具体的に何をするかということ。beingはただ一緒にいることである。現在の社会保障は自立というゴールを定めそこに向けて当事者に福祉サービスを提供するまさにdoingの支援だが、訓練を主とした福祉サービスでは救えない人がいる。しかし、経済的な生産性を重視する価値観からすれば、ただ一緒にいるということが公費を投じる支援と言えるのかという疑問を持つ人もいるだろう。

・これまでは判断能力やコミュニケーション能力にハンディのある人の場合、家族や支援者が実質的にほとんどのことを決めてきた。しかし、本人の意思を汲み取ろうともせずに、家族や支援者が勝手に決めるのはおかしいのではないか。本人中心の支援を考えていかなければならない。そんな考えから、意思決定支援というものが現在は模索されている。

・人生という舞台を走る主人公はあくまでも本人。支援者はあくまでも隣を伴走する人でしかあり得ない。先入観を排除し、あらゆる場面で本人の意思決定の参画を促し、本人の意思を支援者側が探求していくことが必要とされている。

◆本書の中で1人だけ新聞記者という特殊な立ち位置だが、それだけにわかりやすいという側面がある。ALS嘱託殺人の概要も書かれていて、自立の意味、命は誰のものか、というような深い内容にも触れられている。beingを「ただ一緒にいる」と定義付けている。私はいつもbeingは存在するという意味だと考えてきた。最近はウェルビーイングという言葉が流行っているが、よりよく生きると考えるとき、このビーイングは何かしら意味のあることをするdoingに近い。単なる言葉の問題でしかないのかもしれないが、「ただ一緒にいる」という解釈は嬉しい内容だった。


第10章【伴走型支援が作る未来】
津田塾大学客員教授 村木厚子

・伴走型支援という言葉から連想するのは「親」の役割であるが、親や家族の支援と福祉のプロが行う伴走型支援とはどう違うのか。当事者に長く寄り添い、一定の距離を置きながら、専門的、体系的な知識、ノウハウを持って支援するというイメージが社会福祉としての伴走型支援である。

・子育て4訓では寄り添うことと手放すことの大切さを教えてくれている。この手放し方が難しい。子育ての極意でもある。

    1. 乳児はしっかり抱いて肌を離すな
    2. 乳児は肌を離せ、手を離すな
    3. 少年は手を離せ、目を離すな
    4. 青年は目を離せ、心を離すな
プロの伴走型支援もいずれは支援を必要としなくなってくれることを目指しながら、関わり方、手放し方を模索していく。

・市民に理解をしてもらい社会資源を増やして参加のハードルを下げていく。本人の成長・エンパワーに応じて、本人とつながった社会資源の豊かさに応じて、プロの伴走型支援者は心を通わせつつも手は離していく。そして危機が訪れればまた抱き留める。寄り添いながら耕していくのが伴走型支援である。

◆村木さんは郵便不正事件で身に覚えのない嫌疑をかけられたときに、人は一夜にして支えられる立場になると気づいたとのこと。支える側と支えられる側の人間がいるのではなく、支援とは関係性なのだとあらためて思った。


◆全体を通して・・・
様々な活動の中での様々な伴走型支援が語られているが、共通しているのは「助けて」と言えない当事者の心理と日本社会の特徴である。そして対話の重要性。コミュニケーションは生きることの根幹なのである。私は要約筆記者としてコミュニケーション支援に関わっているが、残念ながら現時点では点の支援である。通院や会議や役所の手続きなどの困りごとに対応することと、伴走型としてコミュニケーション支援することは違う。どうすれば寄り添っていけるのか。難しいことではあるが考え続けることに意味があるのかもしれない。

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